帝王切開の理由別体験談
お住まい | 愛知県 |
帝王切開の回数 | 1回 |
出産地 | 愛知県 |
出産年齢 | 20代 |
子の生年月 | 2006.2 |
産院(総合・個人) | 個人 |
2月1日に帝王切開で2600グラムの女の子を産みました。
妊娠7ヶ月ごろから骨盤位と診断され その後逆子体操を毎晩やってましたが、一度も頭位になることなく 予定日が2月2日だったところ
2月1日の朝 破水したため病院に行きました。
逆子でも 子供が下りてきたら 普通分娩で。。と なるべくおなかは切らない方向で。。という方針の先生だったので
陣痛に耐えながら5時間ほど下りてくるのを待っていたんだけど結局下りてこなかったので 全身麻酔で帝王切開になりました。
術中 麻酔の効きが弱かったらしく 私が力んでしまったため腸が飛び出してきてしまったらしく
麻酔を追加して、おなかも少し余分に切って(縦に開腹されたんですが予定外でおへそまで切られてしまいました。)
腸を 納めてくれたらしいです。
術後 4日目の夜 腹痛と吐き気を訴えたら 市民病院に一応行きましょうという事で
連れて行ってもらったところ 腸閉塞の疑いがあるということで、市民病院に転院して6日間の入院となりました。
その間 子供とは離れ離れだし、2日間点滴だけで絶食。
夜は子供に届けるために 母乳を母乳パックに搾ったりと。。。散々でした。
腸閉塞になったけど 手術が必要というものではなかってけど、子供は五体満足で健康に生まれてくれたけれども、なかなかヘビーな体験でしたので、もう 産みません。。
この子を大切に育てていきます。
お住まい | 千葉県 |
帝王切開の回数 | 1回(現在妊娠中で、また来年4月ごろ帝王切開の予定) |
出産地 | 千葉県 |
出産年齢 | 20代 |
子の生年月 | 2002.12 |
産院(総合・個人) | 総合 |
2002年に逆子が直らず予定帝王切開を行いました。
こちらのホームページに同じような体験をされている方がいてびっくりしましたが、私も麻酔が効かず手術中から痛みで号泣していました。
まず、麻酔を1度しましたが、全く効かず足もパタパタ動かせる状態だったので、麻酔科の偉い先生が来て「もう一回打つ?それとも全身麻酔にする?」と聞かれました。
私自身、背中に打つ麻酔は予想していたより全く痛くなかったし、私の子供なんだから私が一番に見たい!!産声が聞きたい!!と思い「もう一回打って下さい」と言いました。
それでも、麻酔があまり効いていなかったのですが、有無を言わさず手術開始・・・・
それまで、麻酔で手術中は全く痛くないから余裕!!と思ってたのに、予想外に麻酔が効かないということで完全にびびってしまった私は号泣!!!!
怖くて怖くて泣きじゃくってました。こんなに泣いたのは子供の頃以来じゃないか、という位号泣。
怖さ&痛さで赤ちゃんが出てくるまでが恐ろしく長かったです。
実際の時間は分かりませんが、私には1時間2時間、もっとそれ以上に感じられました。
そしてお腹を押される感じがして赤ちゃん誕生。先生の「赤ちゃんが生まれたよ」という声と
同時に「おぎゃーおぎゃー」という元気な産声が聞こえました。
この時ばかりは痛みも不思議と感じず、「テレビで見るのと同じように泣いたー」と感動。
赤ちゃんを私の横に連れてきてもらい、「この子が私の赤ちゃんか」と感動してました。
何でその時は痛みが全くなくなるのでしょう??不思議です。赤ちゃんとはしばしお別れして、
今度は後処置。羊水を吸いだされるときも「殺されるーーーー!!!」という位痛かったです。
もちろん縫っている最中も地獄の痛みでした。
相変わらず「イタイイタイ!!!!!」と号泣している私に「少し眠りますか?」と看護婦さんが
言ってくれたのに、私は「いいです」といってしまいました。
今考えると眠らせてもらえばよかった・・・。手術後も想像を絶する痛みに号泣し続け、結局手術当日は泣き続けてました。
もちろん眠れなかったです。
この世のものとは思えない痛みを体験し、もう絶対赤ちゃんは生まない!!と心に決めていたのに、2年9ヵ月後妊娠発覚。
うそだ!!もうあんな思いはしたくない!と思いつつもお腹に赤ちゃんがいることがうれしく、とっても複雑な気分。
今はもちろん赤ちゃんが順調に育ってくれているし、うれしさでいっぱいですが、迫りくる恐怖の日に恐れおののいている自分もいます。
赤ちゃんに会える日だからがんばろうと思ってはいるけど、あの痛みをもう一度?又麻酔が効かなかったら・・
術後の痛みを考えると恐ろしいです。
前回は初めての経験だったし、手術のあとはいたいんだろうな・・位にしか考えていなかったから
そんなに怖くはなかったけれど、今回は全て体験済みで、順序も痛みも何もかも分かっているだけに恐ろしくてたまりません。
でも逃げも隠れも出来ないわけだしがんばろう!!と思います。
お住まい | 岡山県 |
帝王切開の回数 | 2回 |
出産地 | 岡山県 |
出産年齢 | 30代 |
子の生年月 |
2000.3(逆子) 2005.6(胎盤早期剥離) |
産院(総合・個人) |
1人目個人病院 2人目総合病院 |
現在5才と1才6ヶ月の息子がいます。
長男は逆子のため38週で予定帝王切開
次男は胎盤早期剥離のため34週で緊急帝王切開となりました。
2回の妊婦生活は順調でつわりもなく、元気にフルタイムで産休ギリギリまで仕事をしていました。
次男の帝王切開の予定日もほぼ決まっていました。
次男の胎盤早期剥離、それは明日から産休という日でした。
夕方お腹が張ってはいたものの、明日は検診日だし、しばらくゆっくりできるので仕事を終わらせ、帰宅。
疲れたせいかと思い少し横になっていたけどお腹がカチカチに張ったままおさまらない。
食事も喉を通らず、トイレにいきたいようなそんな感覚が続き、夜9時半ごろ歩いているとき
突然なま温かいものがバシャっとでたのがわかり下を見ると大量の血。
震えがきてその場で動けなくなり、主人が救急車を呼び通院している個人病院へ。
病院では子供の心拍もあったが、34週ということもあり、点滴をしながら救急車で総合病院へ。
前回帝王切開だったので子宮破裂を心配していた私だったが、違って、
胎盤早期剥離になっており剃毛や浣腸もせず即手術室へ。
全身麻酔での出産だった。
産まれた子供は2188g、アプガールスコア1の重度仮死でした。
人工呼吸器のお世話にもなり、大変な状態で、これからの成長を見守っていきましょうと
言われたが、今のところ何も問題なく順調に成長をしています。
手術後、私はむくみがひどく、重度の貧血になりました。
血が固まりにくい状態になっていたとか...。
貧血の状態がある程度回復しなければ退院は延びると言われたが 10日間の入院で退院できました。
私の場合、体重増加8kgで多少のむくみはあったが、検診で注意を言われたこともなく
原因は不明。まだ子供が元気なうちに大量出血したので早く対処できたのが救いでした。
私が搬送された総合病院は周産期母子センター未熟児新生児治療室・NICU
がある非常に設備の整った病院だったおかげで、早い手術、母子ともに最良の治療をうけることができたと思っています。
2人目は妊娠中VBACを考えましたが、1人目を産んだ個人病院はVBACをさせてくれないところだったので、他院(次男は結果ここで出産することになったのですが)を受診してみましたが、断られました。(ここの県は切った同じ病院でならやらせてもらえるかもしれないけど危険が伴うので、
どこの病院でも同じこと言われると思うよって言われました)
普通分娩も1度してみたい...そんなこと考えていましたが、今となれば母子無事に出産できれば出産の方法なんてどうでもいいことだと実感しています。
担当の先生には、帝王切開ならもう1人産めますよ。ただし中絶は絶対やめてください。と言われました。
お住まい | 大阪府 |
帝王切開の回数 | 1回 |
出産地 | 大阪府堺市 |
出産年齢 | 20代 |
子の生年月 | 2005.5 |
産院(総合・個人) | 個人 |
帝王切開スケジュール
8時~入院。待ち時間も長い・・・きっと何かあった場合に備えてだろうけど
NSTや胎児の心音を確認。MDに録音します。退院時にプレゼント。
剃毛・採血・浣腸 その後点滴開始
14時:分娩室へ
分娩台で手術着に着替えさせられる。 導尿管挿入。 麻酔
14時40分手術開始
15時半ぐらいに終了
分娩台の上でカンガルーケア
当日は絶食
術後翌日:水分補給と抗生物質と子宮伸縮剤の点滴をずっとしている。
朝:ポカリスエットをストローでもらう。 洗面にと看護婦さんが歯磨きの用意をしてくれる。
悪露のナプキン交換とガーゼ交換を看護婦さんがしてくれる。
昼:3部粥とヨーグルト
尿意が消えないので尿管を特別に?外してもらう。
その数時間後、部屋内を看護婦さん付きの元歩いてみる。
夜:7部粥と煮物
看護婦さんに付いてもらってトイレまで行く。
少しだけあかちゃんを脇に抱っこの形もあった。
術後2日:普通食開始・朝:背中の麻酔点滴外れる。昼に腕の点滴終了
たまに、赤ちゃんを連れてきてくれて抱っこ。一応母子同室の許可が下りる。ただし、
保育器から出たばかり。
この日からシャワーも許可出る。乳房マッサージ開始(毎日あります)
術後3日:母子同室開始
術後5日:抜糸(ホッチキス留めを外す)
術後7日:退院許可。運転もOK
費用:約47万円プラス部屋代 (保険適用分は10万弱)
保育器:2500g弱と低体重、低体温、体重減量大で、保育器に3日間。出た後も、電気あんま付きベッドや帽子をかぶっていたり。
寒いと体を温める為に体重が減るとか。
切開に対する考え方・・・
この子はこの体位が楽なんだねと医者も言う。
私は、生まれる日を自分で決めなくてもいいの?と話かけていたが、左右回転のみで上下は変わらず。
誕生日にこだわりがなく、他力本願な子と考えたり。
コメント・・・
術後当日と翌日が動けないというのが予想外でした。
お住まい | 大阪 |
帝王切開の回数 | 1回 |
出産地 | 京都 |
出産年齢 | 20代 |
子の生年月 |
2002.11 2004.9 |
産院(総合・個人) | 総合病院 |
9月22日
13時 入院
手術スケジュール説明、NST、抗生物質のパッチテスト、麻酔科の先生による麻酔の説((腰椎麻酔と硬膜外麻酔)
14時30分 お腹の毛剃り 15時 シャワー 16時 内診
9月23日
8時 朝食 9時30分 NSTを40分 12時 昼食 15時 シャワー・NST取り直し
9月24日
6時 浣腸 8時 点滴開始 9時 内診 9時20分 手術室へ 麻酔開始
9時?分 手術開始 10時3分 次女琉衣誕生 3028g、49.5cm
11時 手術終了
9月25日
8時 手術後初のお茶 12時 おもゆ 昼過ぎ 一人で起き上がる練習
18時 3分粥 この日は1日点滴付けっぱなし。
9月26日
8時 朝食 9時 点滴 12時 昼食 14時 初授乳
9月27日
7時30分、11時、14時、17時、20時、23時、夜中の2時の計7回授乳
10時 お風呂の入れ方の講習 15時 おやつ
9月28日
7回の授乳、ミルクの作り方の講習
9月29日
手術後初のシャワー 産後の生活についての講習 7回の授乳
15時 おやつ
9月30日
退院前の検診 異常なしの為次の日退院 7回の授乳
10月1日
退院
お住まい | ひたちなか市 |
帝王切開の回数 | 1回 |
出産地 | ひたちなか市 |
出産年齢 | 20代 |
子の生年月 | 2005.4 |
産院(総合・個人) | 個人 |
2004.9:妊娠発覚!前回、流産してるので流産止めのホルモン注射して、1週間程ひどい吐き気でそのままつわりもひどく点滴をしてもらうことも・・
6ヶ月頃:
少し動いただけで、頻繁にお腹が張るようになり、検診で、子宮口が柔らかくなってると言われる。
8ヶ月後半:
尿がでにくくなってきた。逆子体操をはじめる。
9ヶ月:
手、足の浮腫みが気になり、病院に電話して診察を受けると、子宮口が3センチ程開いていて、逆子だから破水の危険がある為、即子宮口を縛る手術を受け入院。すぐに、分娩室へ運ばれ、痛み止めの筋肉注射、点滴、検査の為の注射、裸になって手術台へ。
腰からの麻酔をして、手、足を縛られ、5分程の軽い手術。
下半身が痺れる感じが2,3時間続き、とても寒くなりしばらく震えてた。
5日間張り止めの点滴、絶対安静の為カテーテルをいれ、寝たきり。
6日目から点滴、カテーテルもとり、張り止めの薬で安定していたので8日目で退院。
37週:
朝、トイレへ行ったらおしるしかな?っと思われるものがでる。
午前11時半に布団で横になっていたら、すごい量の破水。
すぐさま、病院に電話。12時15分病院到着、即分娩台へあがり、内心、エコーで診た結果逆子治らず、同時進行で下の毛剃り、点滴、採血、赤ちゃんの心音をとり、あっというまに看護婦さん達に抱かれて手術台へおかれ、すぐに腰からの麻酔。
仰向けになり、先生が「1分で赤ちゃんでるよ~」って言われ、12時50分産声が聞こえる。赤ちゃんを近くまで運んできてくれて、「女の子だよ~」と言われ、くるんでいたタオルをとって見たら、赤ちゃんのへその緒から、腸がでていた(さいたいヘルニア)「こども病院へ救急車で運ぶからね」と言われ、赤ちゃんと離れ離れ・・・「点滴から痛み止めいれるね~」っといわれて、入った瞬間のどが熱くなり血が引いて気が遠くなる感じになった。
何をやってるのかわからないけど、胃がウェーブするような感じ、引っ張られる感じがして気もちわるくなった。気持ち悪いと訴え看護婦さんが、袋を口にあててくれた。「おぇ」ってなるが、麻酔で力が入らずに出せない・・・
最後の方は「早く。まだ?」ってばかり言っていた。
縫って、「終わったよ」って言われてようやく力が抜けて、ぐったりした。
手術室から病室へ移る時に赤ちゃんが救急車を待っていて、目が合った。(思い込み(笑))
午後1時50分頃、病室に入り、約1時間のエアーマッサージ、30分おきのバイタルチェック。
午後10時頃だんだんと痛みがでてくる。(子宮の収縮の痛み)
午前3時痛みが我慢できず、座薬を入れてもらい30分後和らいでくる。
手術後から、ビタミン剤と止血止めと子宮の収縮をたすける点滴を交互に行う。
約8時間も経てば痛み止めの座薬がきれてくる。
手術から4日目、点滴がとれたが熱が39,2度まであがり、脱水症状を起こさないように再び点滴をして、座薬で熱をさげ、抗生物質の点滴をふやされる。
5日目歩行の練習をして、尿のカテーテルをとる。先生の診察でまだ便がでていなく、癒着や腸閉塞の心配があるから浣腸をする。
6日目先生の了解をもらい、旦那に付き添ってもらい外出許可をもらい赤ちゃんに会いに行く。
7日目金具をはずし、翌日退院決定!
8日目退院前にシャワーにはいり、傷を看護婦さんに確認してもらい、軟膏の塗り方を教わり退院。
お住まい | 静岡県静岡市 |
帝王切開の回数 | 2回 |
出産地 | 静岡県静岡市 |
出産年齢 | 30代 |
子の生年月 |
2001.3 2003.2 |
産院(総合・個人) | 総合 |
私は、一人目を逆子で帝王切開出産しました。
どうにか普通分娩したくて、やれることは全てやりましたが結局戻ることなく帝王切開に。
帝王切開に決めるときに担当医に次は普通分娩したいと相談しての手術で、ちゃんと傷口も横切りにしてくれました。
上の子が1歳過ぎた頃2人目を妊娠。ちょっと早かったかなぁ~とは自分でも思いましたが、普通分娩を希望していました。
何があってもいいように緊急帝王切開の準備もしておきますからとのことで、まぁ安心して陣痛を待っていました。
予定日の2日前、おしるしと思われる出血がありました。
でも、ちょっとおしるしにしては出血の量が多かったので心配で病院へ。
診察の結果、子供もおりてきていないし、出血も止まっていたので自宅待機になりました。
その夜、案の定陣痛が始まり、2時間くらいたった頃破水して病院へ。
しかし、破水はほとんど血液かと思うほど赤く、レバー状のものが一緒に出てくる状態。
ものすごく不安な気持ちになりましたが、とりあえずは陣痛室で色々な器具をお腹につけられ陣痛に耐えていました。時々トイレに行くのですが、出産後に使うあの大きなパットが真っ赤になるくらいの出血で、行く度にブルーな気持ちになりました。
結局、胎児の心音も下がってきて出血がひどすぎこのままでは子宮破裂の危険が高いとのことで緊急帝王切開に。
この時、初めて子宮破裂の怖さを知りました。
手術も普通の帝王切開術の倍位の時間がかかり、私にとってはとても辛い手術でした。
手術中、先生に『3人目考えてる?3人目はもう最初から帝王切開だよ!傷口は補強しとくからね!』と念をおされました。
お住まい | 長野県 |
帝王切開の回数 | 1回 |
出産地 | 長野県 |
出産年齢 | 30代 |
子の生年月 |
2000.5 2002.8 2004.7 |
産院(総合・個人) | 総合 |
帝王切開に決めるまでには悩みました。というのも私の通っていた総合病院では逆子でも下から産みたいという強い希望があれば下からでもいい、というスタンスだったためです。
経産婦だと約半数が下からのお産を試みるそうで、今までトラブルは無かった、ドクターは言いました。
ただ、夜間はオペ室のスタッフが帰ってしまうためどんなに緊急のオペでも1時間くらいは準備にかかってしまう、とのことで総合病院とはいえ緊急時の対応が不安でした。
逆子で下から産む時にもし赤ちゃんが手を挙げた状態になってしまうと脱臼したり鎖骨が折れてしまうこともあること、先に破水してしまうと羊水が全部出てしまうのですべりが悪くて難産になることなど怖いことを説明したかと思うと、
「まあ、助産師さんたちがベテランだから逆子でも大丈夫でしょうがね。」とも言うのです。
実際年間十数人は逆子で下から産んでいる病院なのです。
30週で逆子になってしまってからは逆子体操はもちろんツボ押しや語りかけやありとあらゆることを毎日しました。
上の子2人はまだ入園前だったので毎日3歳と1歳の相手をしていていつも張りぎみでした。
私は結局帝王切開を選び、予定帝切で予約を入れました。その時の外来の看護師さんの
「2人も産んでるのに切るのー?」という言葉に傷つきました。
なんだか私が帝王切開を甘く見ているとでも言いたげな口ぶりでした。
その時に実は私の母が逆子で一人お産の時に亡くしていること、今まで事故が無かったから私も絶対大丈夫とは思えないことなど心の内を話しました。前日入院したときも往生際わるくベットの上で逆子体操をしていました。
オペ前にナースステーションに呼ばれ、私のカルテが置いてある机の前に座って待つように言われました。
カルテには外来からの申し送りの紙が貼ってあって「○○さんは経産婦にもかかわらずベッケン(逆子)にてC/S(カイザー・帝切)希望です。実母のトラウマあり。下から産んでみればいいのに等言わないように」と書いてありました。
これを偶然とはいえ読んでしまい、またショックを受けました。
私はただ赤ちゃんが無事に生まれるために最善の方法をとりたいだけなのに。
「大げさな!」とでも思ったのでしょうか。できれば私だって普通に下から産みたかった。
陣痛の痛みの後で産声を聞きたかった。お腹に傷をつけたくなかった・・・・
手術は自分でスタスタ歩いてオペ室に入っていきたかった。大げさにストレッチャ-なんかに乗って入っていきたくなかった。出来れば病棟看護師さんの付き添いもいらないって思った。
オペは腰椎麻酔の時怖くて体に力が入ったけど、後はもうされるがままでドクターも看護師さんも慣れたものでてきぱきと服を脱がし、手足を固定してやってるところが見えないようについ立てみたいな物を胸に立てられ、
後はサッサッと切っていって15分もしないうちに「出しますよ」と言ってお腹が引っ張られるような感触の後「おめでとうございます、女のお子さんです。」と言われ、すぐに「おぎゃー!」と産声が聞こえました。
生まれる時に引っ張られる感じがしただけで後は不快な感触はまったくなく、無事生まれた~という安堵感で幸せを感じていました。
「痛み止めを入れます」と言われて点滴にペンタジンが入ると急にドロンと眠くなり、もうろうとしてきました。
「後陣痛感じる?」とドクターに言われましたが何も痛みは感じませんでした。
胸から下がマネキン人形にでもなったみたい。
その後病室に戻って主人と少し話した後はすっかり寝てしまいました。深夜に痛みで目が覚めて、
ナースコールを押そうにも痛くて体が動かせなくてやっとの思いで押し、坐薬をいれてもらい、再び眠りに落ちました。
朝も痛くてお腹に力が入らず、起きようにも体も動かせないほどの痛み・・・
その後も「痛かったら坐薬入れるよ?」という看護師さんたちの申し出も「大丈夫です」と意地(?)で
断り、汗を垂らして耐えていました。なんであんなに頑張る必要あったんだろう?
素直に痛み止めもらえばよかったのに。
でも「大げさな産婦はこれ以上看護師さんたちに迷惑をかけてはいけない」なんて意地になっていたのも事実。
10人いた看護師さんのうち一人は「なんで切ること選んだの?」と聞いてきて、また同じ話をするはめに。
私いけないことしたのかな・・・なんて思ってしまいました。
それは看護婦さんからすれば無駄な侵襲(オペ)だったかもしれない。でも私にとっては100%安全でない以上(帝切も100%安全では無いけれど逆子・経膣よりは安全)必要なオペだったと思っているしそうだったと信じたい。
今すやすやと眠っているいとおしい三番目を見て思います。私の決断は間違いでなかったと。
お住まい | 埼玉 |
帝王切開の回数 |
1回 |
出産地 | 京都 |
出産年齢 | 30代 |
子の生年月 | 2003.12 |
産院(総合・個人) | 総合 |
妊娠30週に入った時、脇腹から出てきそうなくらいの勢いで赤ちゃんが動き
突然、逆子になってしまいました。体操もお灸も外回転もどれも効果ありませんでした。
私自身も逆子で産まれていて、母が私を産む時は予定日に病院に検診に行ったら陣痛も無いまま既に子宮が指4本分開いてて、お昼ご飯食べたら分娩室おいでと言われ食堂で定食を食べ分娩室に向かい、陣痛も無いのに先生に「イキンデ!」と言われ看護婦さんがお腹を押して先生が両手を突っ込んで、あっという間に私が生まれたそうです。
分娩室に入ってから出産まで15分程の、すごい安産だったそうで私も逆子を普通に下から産めるかもと気楽に考えていました。
里帰り出産で、京都の総合病院にお世話になったのですが、逆子のリスクの高さを先生から聞き自分が無事だった事に感謝すると共に、急に恐くなりました。
「逆子だけど、この形なら下から産めるけどどうする?
ただしリスクは有る、赤ちゃんに障害が残る事がある」と言われ、
赤ちゃんにリスクを背負わせるなんてとんでもない!と思い、37週入ってすぐに2642gの元気な男の子を予定帝王切開で出産しました。
手術の日は朝から浣腸したり、血栓防止ストッキング穿いたりしながら恐くてたまりませんでした。
家族や先生と看護婦さん達が病室に来てくれて励ましてもらったりしつつ手術室へ
赤ちゃんが出てくるまではアッと言うまで、看護婦さんが「もう赤ちゃん出てきますよ」と言ってお腹を押して 先生が「はぁぃはぃ」と言って赤ちゃんを取り出す感覚があって、
すぐに「んぎゃあ゛あ゛ぁぁ」と元気な声がして赤ちゃんを看護婦さんが顔の横に連れて来て「おめでとうございます。しっかり見てあげてね^^」と言ってくれました。
梅干のような顔して泣いてるのを元気で良かったと思って見てました。
その直後からまるで、まだお腹に赤ちゃんがいるみたいに子宮がグググッグググッと動いて小さくなるのがわかりました。
同時に寒気と吐き気が始まって、呼吸も意識しないとできなくなってきて
出血量が1400と言うのが聞こえて、切った所を縫ってる間は
私なんでこんな事になってるんだろう・・・もうだめだ死ぬとか思って、かなり弱気でした。
病室に戻ってからも吐き気と寒気、傷の痛みと初めて手術したとこのショックでお腹が切って縫ってあるんだーと思うだけで恐くて泣きそうでした。
夜になって、吐き気や寒気もおさまって落ち着いてきた頃に看護婦さんが「ないしょだよぉ」と赤ちゃんを連れて来て胸に乗せてくれて、おっぱいをあげることができたのが嬉しかったです。
そして、導尿が外れるまでの2日間、寝返りをさせようと看護婦さんがあれこれしてくれるのを
「恐い恐いお腹恐い!」と駄々をこね寝返りも打たなかった結果なんと、お尻に床擦れができました・・・寝返りが恐いと言いつつ、最後にはお尻の痛さでブリッジとかする始末
本当にアホだった、ちゃんと動けば良かったと反省してます。
真っ赤になったお尻を看護婦さんが拭いてくれて申し訳なかったです・・・
退院後、ダンナにお尻の床擦れを見て「ウンコついてるよ?」と言われました(笑)笑えません。
あれから1年近くたった今も、お尻に紫の後がうっすら残ってます(泣
手術跡は、毛に掛かる位下の方で横切りなので着る服も選ばないし先生に感謝してます。
そして看護婦さん達がホントに優しくて親切にしてくれたおかげで、今は恐かった初めての入院も手術も良い思い出になりました。
今度産む時があるなら、帝王切開で産んだ後はちゃんと寝返りして床擦れにならないようにします!
お住まい | 青森県 |
帝王切開の回数 | 2回 |
出産地 | 青森県 |
出産年齢 | 30代 |
子の生年月 |
1998.12 2002.8.3 |
産院(総合・個人) | 個人 |
術後3日目に事件発生!
なんと私自身が壊れてしまいました。
半日ほど泣き通しで、ごはんも食べられず、「どうしたの?」と聞かれても何も話せなくなってしまいました。
看護婦さんも先生も慌てて診察にきましたが、特に体自体には異常は認められませんでした。
結局、赤ちゃんをナースステーションに預かってもらいました。
幸いにも一日で回復しましたが、退院するまでの間、先生や病院のスタッフのみなさんにかなり心配をかけてしまい、すっかり名物母親となってしまいました。
たぶん生まれて初めてのお産、生まれ初めての入院、生まれて初めての手術、初めての赤ちゃんの世話もうまくできずと、
あまりにも衝撃的なことが続いたので、精神的についていけなくなったんだと思います。
入院中、困ったことがあったときには、迷わずナースコールをした方がいいと思いました。
そこで、一句。
● 子育ては 壊れる前に まず相談
● 子育ては あせらず 気長に のんびりと
お粗末でした。