帝王切開の理由別体験談
お住まい | 福岡 |
帝王切開の回数 | 1回 |
出産地 | 福岡 |
出産年齢 | 20代 |
子の生年月 | 2004.6 |
産院(総合・個人) | 個人 |
33週で逆子になり体操で34週に戻りましたがまた35週で逆子になりました。
浮腫みは33週頃からひどくなり減塩・食べすぎ注意でした。
お腹も張っていたので体操もできずに36週の時には足が内診で触れるほどでした。浮腫みもひどく尿蛋白もでてました。
37週のときに軽い陣痛もきているとのことで38週0日で予定帝王切開しました。
その間、破水などしないように絶対安静ですごしました。
37週の健診の時に心電図などの検査をしました。
手術当日朝入院で朝食は病院で指示されたものを決められて時間に食べて病院にいきました。
エコーでみると逆子のままだったのでそのまま麻酔の練習・内診・浣腸・剃毛しました。
当日は血圧も高くなっていました。
その後はゆっくり過ごして14時から点滴をはじめ15時前に手術室に入りました。
15時半くらいから腰麻酔をしました。いつ針をさしたのかわからないくらい全然痛みは
ありませんでした。その後麻酔が効いて手術をはじめ16時7分産まれました。
ひっぱってだしているような感覚はありましたが痛みはありませんでした。
赤ちゃんの顔をみたあとそのまま縫合しました。
心電図の一定間隔の音で眠くなりましたが起きていて17時30頃終わりました。
術後は19時頃1回腰から痛み止めをいれてもらい そのあとは子宮の収縮の痛みのみで生理痛程度だったので我慢して朝座薬の痛み止めをいれてもらいました。
ベットに寝たまま朝、診察があり麻酔の管を抜いてベットから起こされ歩いて1階から2階の部屋に移動しました。
そのときに導尿の管が抜けてしまい、麻酔がないから痛い思いして
もう一回入れるか痛いけど自分で歩いてトイレに行くかの究極の選択になり治りも早いとのことでトイレを選びました。
4日目くらいからは動くのも楽になりました。
ご飯は翌日のお昼から重湯で4日目のお昼から普通食になりました。
点滴は3日目の昼でおわりました。赤ちゃんは3日目から同室になりました。
しかし、中毒症の後遺症が残ってしまって血圧が下がらず後半は無塩食で面会も家族のみでした。
現在(産後4ヶ月)も降圧剤のんでます。
9日で退院しましたが1ヶ月半は血圧と消毒の為週1日通院しました。
今は別の循環器内科にかかってます。
産婦人科では母乳優先の為漢方しかもらえず血圧はさがらなかったので変えました。
手術自体は全然苦痛なことはなかったですが産後高血圧症など中毒症の後遺症があり
1ヶ月くらいほとんど赤ちゃんのお世話もできんばかったのがつらかったです。
お住まい | 長野県 |
帝王切開の回数 | 1回 |
出産地 | 長野県 |
出産年齢 | 20代 |
子の生年月 | 2003.6 |
産院(総合・個人) |
個人 |
36週の検診で逆子になっていました。それまではずっと頭位で、普通分娩する気満々だったのでかなりがガクッときました。それまでは考えたこともなかった「帝王切開」がにわかに現実味を帯びてきて、帰宅してから出産に関する本などを読み漁りましたが、どれも半ページ程度の扱いで、何でこんなに情報が少ないのかと怒れてきました。
その3日後くらいに、住んでいる町の妊婦学級があったのですが、そこでも話題はすべて経膣分娩でした。ネットで検索して、とりあえず入院から手術までの流れは分かりましたが、不安だらけ
でした。(そのときこちらのHPを見つけられていればどんなによかったか!!)
出産は、予定帝切で、39週2日で行われました。子どもが小さかったので(生まれてみたら2388g)
できるだけお腹においておきたいのと、また回って戻るかも(小さいから?間際になって回ったくらいだからまた回るかも?)ということで、ぎりぎりまで待って手術となりました。
手術前日に入院、抗生物質のアレルギー検査と、悌毛(上の方だけ)、心電図検査、NSTをしました。
NSTの際に、かなり頻繁にお腹が張って、看護婦さんが「陣痛くるかもねー。きちゃったら、(手術は)明日の午前中だし、我慢してねー。」なんて笑いながら言ってました。
ところが本当にきちゃったようで、手術当日の朝、「なんか痛いかも???(生理痛程度)」と思って間隔計ってみたら、5-6分おきに1時間に11回でした。
(実は、その病院は予定帝切の場合、月曜日か火曜日と決まっていて、どっちでもいいよと言われて月曜日を選んでいたので、
火曜日にしていたらちょっと大変だったかも…。
私は痛みに強いのか鈍いのか、陣痛に気づいたのが5-6分おきになってからなので、それから病院に連絡…ではいくらお産は時間かかるからと言っても
ちょっと慌しかったかもなー、と思います。)子どもの誕生日を決めてしまったことに対してなんとなく責任感みたいなものを感じていたのですが(それによって何か運命が変わったら?とか。)
朝から陣痛もあったので、「ああ、この子はこの日に生まれてくるって決まってたのかなあ」と思ってほっとしました。
麻酔は腰椎麻酔で、ちゃんと効きました。
効きすぎて(?)生まれてからその日一日、子どもがとてもよく寝ていたそうです。
実は、麻酔の腰への注射が一番怖かったのですが、想像していたよりは痛くなかったです。
手術中は、ボーっとして眠くなったけど、もしかして寝てしまってそのまま死んだら嫌だと思って、絶対寝るもんかと思って起きてました。先生や看護婦さんの世間話を聞いたり、ガーゼの数を確認しているのも確かめましたよ。
子どもが生まれるときは、まだお腹の中にいるうちに「女の子だよー」って看護婦さんが教えてくれ(おマタ全開ですごい格好をしていたとのこと)、生まれてからはメガネをかけてくれ、連れてきて私のほっぺたに娘の顔をすりすりしてくれました。
後で、産声のテープをくれ、娘の身長・体重などを測ったりしている様子も録音されていて、麻酔で頭がボーっとしていて記憶がぼやけている私には
とてもうれしかったです。
術後の痛みは、多くの皆さんがおっしゃっているような大変なものではなく、手術当日の夕方一度座薬を入れただけで耐えられる程度でした。
入院中、いろんな看護婦さん、担当医の旦那さん(整形外科医)に、帝王切開した人とは思えない(ほど元気)と言われたので、治りの早い方だったようです。実際、導尿の管が外れてからはすたすた歩けたし、抜糸後は普段とあまり変わらないくらいでした。
お住まい | 大分市 |
帝王切開の回数 | 1回 |
出産地 | 大分市 |
出産年齢 | 20代 |
子の生年月 | 2003.10 |
産院(総合・個人) | 個人 |
逆子といわれたのが妊娠26週目。これから夏本番という暑い中、逆子体操を必死でやり、周りには「すぐなおるよ」といわれたが結局治らず。
36週でも逆子だったため予定帝王切開が10月28日になり、同意書を書いてくるように言われました。
が、10月17日の夜。9時くらいからお腹が張るのがひんぱんになり、時計をなにげなく見ると15分おきのような・・・
でも、お産の日にちが決まってたせいか、予定外の陣痛がきてるなんて全く思いつかなかった私。
主人といつものようにテレビを見て、12時くらいに横になったとたんドーンドーンとお腹にひびくような痛みが・・・
それでも体制を変えてみたらどうかな、とか思い(かなりのんきなもので・・)
変えたところさらに激しくドーンドーンとひびいたため、これはただごとではない、とやっと思い産婦人科へ電話したら「入院の準備をしてすぐ来てください」といわれました。
主人も私もいそいそと着替えて、用意していたバックを持ってもらい、「このまま帰れなかったら嫌だなー」といいながら玄関のドアを閉めて
病院に向かいました。
病院までは歩いて10分。車で5分かからないくらいのところでしたが、お腹にひびくので、時速0キロくらいのノロノロ運転で連れて行ってもらいました。
すぐにエコーで赤ちゃんの心音と、お腹の張り、子宮口の様子を夜勤の助産婦さんに診察されてそのまま入院となり、ほとんど眠れない状態で朝を迎えました。
金曜の深夜に入院したため、土曜日の朝、再度先生に診てもらい、「赤ちゃんがそこまで来ているから日程を早めましょう」といわれ、
結局20日の月曜日の午後2時から手術となりました。
お腹の張りをおさえるため手術までの2日間は24時間点滴で、おふろにもはいれない状態でしたが、予定帝王切開が決まったときに「くもといっしょに」のホームページで傷跡とかいろいろ見てたせいか緊張するとかなく、逆に重たい体から開放されるのと、
赤ちゃんに早く会えるようになったのが嬉しかったです。
それに、うちにいるとついつい家事をしてしまっていたのが、入院するとおいしいご飯が出てくるし、ゆっくりできたのもよかったです。(実家が遠いため、里帰りをしなかった)
手術当日。午後1時に点滴の針を抜かれ、それまでいた個室から手術室の隣の部屋へ移動しました。針を抜かれた瞬間から、急激にお腹がはりびっくりしましたが、こんなものだろうと思い我慢しました。
(そこで看護婦さんに言ったらはり止めの薬がもらえたそうです。。。)
手術直前に浣腸されてトイレに行き、その後尿管をいれられ、おしりに2回注射されました。
この二つが予想外の痛さでびっくりしました!!!
(ホームページには尿管は痛くないと書いてある人が多かったため。しかも、おしりの注射は知らなかった)
でも、びっくりしてる間もないくらいすぐに手術室へ。
手術室はすっごく明るくて、執刀医の先生と、それ以外に看護婦さんがいっぱいいて緊張することはなかったです。
手術台にあがるのに小さい階段が2、3段あり、「のぼれる?」と言われて、こんなお腹なのにのぼらせるのか~と思いながらのぼり横を向き、海老の格好になって腰に麻酔を打たれました。
で、仰向けになって腰からむこうが見えないようにカーテンをされ、いよいよはじまりました。
お腹にメスをあてられ(見えないから想像ですが)「痛い?」と何度もきかれました。
おもしろいことに、左半分は全く痛くないのに、右半分だけ痛みを感じました。「痛いです」というたびに、麻酔が効くまでもうちょっと待ってるかんじがあり、私もだんだんこんなものなのかな?と思い(のんきなので)、「大丈夫です」と言ってしまい手術が始まってしまいました。
でも、やっぱり右だけは痛かったので「やっぱりいたいです」と言ったら右手に注射をされて、意識がもうろうとしていく中作業はどんどんすすんでいきました。
右手の注射は、たぶん、赤ちゃんを取り出したあとの作業(お腹を閉じる作業)に入ってから打つ予定だった眠り薬だったと思います。
お腹をぐいぐい押されて、先生が「出ない、あれ、出ないぞ。何で出ないんだろう」と言う声が聞こえました。
先生を信頼しきってきたのでそういわれてもどっかで大丈夫と思ってる自分がいて、「早く出してくれ~」としか思ってなかったです。
そのうち急にお腹がすっきりし、「出た出た」という声も聞こえたのですが、赤ちゃんの泣き声が聞こえず、さすがにこのときは「どうしたの?」と思いました。が、遠くのほうで「ギャー」という声が聞こえ、しばらくして赤ちゃんが連れられてきました。
目が悪いのでめがねもかけてもらい見ることが出来たのですが意識がもうろうとしてたため、実際のところ、あんまりおぼえてません。
そのあとの作業は完全に眠っていたのか、全く記憶になく、最後に 手術台 → ストレッチャー →隣の部屋のベットにうつされるときのセーノっていう看護婦さんの声で起きました。
ベットにうつってからもう一度赤ちゃんを連れてきてくれて、私が声をかけたときに目を開いたのが嬉しかったです。
あとできいたのですが、出なかったのはうちの子の頭が後ろにのびてひっかかっていてなかなか出なかったんだそうです。(実際、後頭部がちょっとだけのびてました)
今でも傷が痛み、かゆいのですが、無事に赤ちゃんが生まれてきてくれたのでよかったなって思います。
ずっと逆子だったので、こんなに体操してるのに、足の小指に針もしたのに、何で治らないんだろうって悩んで泣いたりしましたが、子育てって自分の思い通りにはならないというのを妊娠期から体験させられたのかもしれません・・・
よかったのは、入院が長かったので分からないことがいろいろ聞けたこと。
産後の体を休め、おいしいご飯が食べられたこと。です。
絶食からおもゆになり、おかゆになり、、と食事が普通になってくことで、健康であることにあらためて感謝する気持ちがもてました。
お住まい | 東京 |
帝王切開の回数 | 1回 |
出産地 | 福岡 |
出産年齢 | 30代 |
子の生年月 | 2004.7 |
産院(総合・個人) | 個人 |
7ヶ月頃から逆子で体操しても直らず、帝王切開となりました。
里帰り出産だったのですが、里帰り前に通っていた産院も「逆子は帝王切開」だったし、主人の仕事の都合もつきやすいので、迷いはありませんでした。
38週の一般診療後の夕方からの手術と言うことで、手術当日の朝病院入り、
逆子最終チェックと手術の説明のあと、血液検査・点滴などが始まりました。
硬膜外麻酔は専門の外部からの麻酔医で、こちらのHPで聞いていた通り、
麻酔の前のお腹を丸めて腰にする痛み止めが結構痛かったですが、その後は下半身は触られている感触だけはするものの痛みは感じなくなり(肩に塗られて冷たい(アルコール?)ものが、下半身だと冷たくない。)
導尿、手術開始となりました。
カーテンで仕切られているので手術の様子は見えませんが、カチャカチャ金属音(メス?)がしていたので、ああ、切ってるんだなーと思いました。
5~10分ほどしてお腹を押され、赤ちゃんが出されました。
生まれた胎脂だらけの赤ちゃんを見るとほんの一瞬でしたが、とても感動して涙がでそうになりました。
すぐに全身麻酔され、傷口統合となりました。手術中痛みは全くなかったです。
赤ちゃんは主人が抱っこした後保育器に24時間入れられたそうです。
(約3000gでしたがその産院では帝王切開の赤ちゃんはみなそうするそうです。)
手術後は硬膜外麻酔を付けられたまま約24時間過ごし、翌日夜麻酔を止められたものの、後陣痛の痛みがひどく眠れなかったので、さらに一日麻酔を延長してもらいました。
通常はそこで座薬の痛み止めを使うようですが、私は小児ぜんそく経験者で座薬が使えないということでした。
寝たきり期間が延びたせいで、寝返りはなるべくうつようにしていたのに、麻酔が切れた後の腰痛がひどく、入院中ずっと授乳が辛かったです。
傷の痛みは、腹筋が使えないので起き上がるのが辛いですが、予想していた範囲でした。
傷は内側を溶ける糸で、外側は接着剤でくっつけてあり、アンダーヘアの中なので、たとえケロイド体質でも目だたなそうです。ケロイド防止のシリコンテープは自費になるそうだけど、数ヶ月後気になるようだったら使ってみようかと思います。
麻酔が取れた後も毎日のように点滴や採血があり、予定通り10日入院でした。
手術後4日目にシャンプー、5日目にシャワーでしたが、夏だったので毎日身体は拭いてもらえるとはいえかなり気持ち悪かったです。3日目にドライシャンプーを使ってみたものの、あまりさっぱりとはしませんでした。
食事は初日牛乳やスープなどの水分のみ、その後2日はおかゆ+おかずでした。
その後の食事はおいしかったけど、毎日点滴や採血、時間きっかりの授乳と管理されるのに疲れてきて、6~7日目くらいからは赤ちゃんのお世話もほぼ難なくできていたし、早く実家に帰りたかってゆっくりしたかったです。
費用は44万円でした。手術部分は保険適用になるものの、入院が長いせいか普通分娩より数万円高めでした。
帝王切開は手術自体は産院が無痛分娩にも力を入れているところだったせいか、全く痛くありませんでしたが、後陣痛の痛み、傷口の痛み、寝たきりから起き上がる痛みなどはあります。あと2~3日赤ちゃんのお世話をするのが遅れるのはすごく寂しかったです。
でももう一人産むとしたら、後陣痛がこの世のものとは思えないほどすごーーく痛かったので、帝王か無痛分娩にしたいです。
お住まい | 愛知県名古屋市 |
帝王切開の回数 | 1回 |
出産地 | 名古屋市 |
出産年齢 | 20代 |
子の生年月 | 2003.10 |
産院(総合・個人) | 個人 |
6ヶ月くらいからずーっと逆子でした。
逆子体操しても全然駄目で結局37週5日に予定帝王切開しました。
(子宮口も2センチ開いていたため)
ココの病院は全身麻酔でした。静脈麻酔っていくのかな?腕に注射でした。
最中おなかが痛かったです。夢見ていたんですけど、おなかが痛かったり、地震の夢見ていては揺れていておなかが痛かったり・・
(多分タンカに載せられている時だったのでしょう)
術後の経過はよかったですが、2ヵ月後傷の真ん中辺りが膿んで病院通いでした。
(T△T)痛かったです。2週間ほどかかって治りましたが、かなり痛かったです。
その傷は結局後に残りさらに汚くて残念です。
2年開けたら下から産めるよ・・っといわれていますが考えています。
お住まい | 福島県(第一子は埼玉県から里帰り出産) |
帝王切開の回数 | 2回 |
出産地 | 福島県 |
出産年齢 | 30代 |
子の生年月 |
2000.1 2003.8 |
産院(総合・個人) | 個人 |
上の子供の時、妊娠5ヶ月の頃「逆子だね」と言われたっきり頭が下になることはありませんでした。
逆子体操もしましたが、真横になるのはわかるものの、それ以上頭が下にはならず上に戻ってしまっていました。
結局太股にへその緒がまいていてまわれなかったようです。
それ以上に足位という珍しい体勢だったのが原因でした。
先生はおしりからの場合は少し様子をみようと思っていたようですが、予定日の診察で「産道に足が入ってしまっている」ということがわかり決定となりました。
足が産道に入ってしまって破水すると、そのままお産がずるずるとすすみ、赤ちゃんが出てきてしまうともう後戻りができず、どちらかをダメにするしかない、と言うことでした。
この手術については、逆子の中でも難しい体勢と言うことで納得しています。
二人目は一度帝王切開しているという理由です。私の通っていた病院はあまりVBACに積極的ではないほうでしたが、自分の意志は伝えていました。
先生も看護婦さんもその方向で前向きに話をすすめてくださっていましたが、性別が男の子と判明した時点で帝王切開をすすめられました。
赤ちゃんといえど、男の子はやっぱり骨格がしっかりしているので肩がひっかかると怖い、ということでした。
その上、うちの子は骨太がっしり型(だんなゆずりなのね~)ということだったので反論はしませんでした。
先生を信用していましたが心のどこかで「VBACしたくないからいろいろ理由をつけて切っちゃうのかな~」などとうたぐってみたりしました。
でも、2ヶ月後に義妹が同じ病院で二人目を産んだのですが、女の子だったのでVBACしてもいいと言われたそうです。
義妹はVBACにこだわっていなかったので結局切りましたが・・・。
お住まい | 神戸市 |
帝王切開の回数 | 1回 |
出産地 | 新潟県上越市 |
出産年齢 | 30代 |
子の生年月 | 2003.6 |
産院(総合・個人) | 公立総合 |
28週から逆子と診断されて、逆子体操をはじめるよう指示がでました。
体操しても一向に直る気配もなく、でもひたすら元気に動く子で、左右の向きはしょっちゅうかわり、時には逆さにもなっていたように思ったくらいでした。
30週くらいで「もしかしたら直らないかも」と思い始め、医師からも直らない場合の選択として、外回転、帝王切開など説明を受けましたが、安全を考えて帝王切開にしようと決めました。
そのときは少し残念な気持ちになりましたが、子どもが大事、と思い、夫も「なによりそれが一番やで」ということで落ち着いていました。この時点でも、どこかで「直るかも」と思っていたと思います。
35週を過ぎた時、実家のある新潟に里帰り出産のため帰りました。
この時点で病院を変わりました。県立の総合病院で、産婦人科も小児科(NICUもある)も充実しているので選びました。検診の後、37週の時点で直らなければ、切りましょうということで、これまでの病院での診断と同じでした。納得してはいたものの、毎回検診のときには「直っているかも」と期待していたので、やはりだめかと思い、ずいぶんがっかりしました。
いよいよ帝王切開となると、その前に、破水したらどうなるのかとか、この後に及んで直っても、へその緒が首に巻き付いていたらとか、さまざまなことが心配になってきました。
このとき、私は不安と悲しさで半泣きでしたが出産のアドバイスを担当した助産士さんの「まあ、なにかあったら、悪いけど産科と小児科で母子ともに大丈夫なようにぱぱっとやっちゃうから大丈夫だよ」という言葉に安心させられました。
37週の検診。やはり直っていなかったため、即入院翌日手術となりました。
前日 入院の説明と、アレルギーの検査がありましたが、悲しいことにベッドがすぐに空かなかったので、行くはずもない陣痛室で待たされることになりました。これで病院の方を非難する気にはなれませんでしたが、かなり落ち込みました。音楽も流していただいたり、良かれと思ってのことだったと思います。
入浴をすること、夜9時以降絶食でした。夜には胎児の心音の測定がありました。
当日朝、血圧、体重測定があり、浣腸。
午前中に点滴、剃毛(臍から恥骨)、浣腸。家族を交えての手術の説明。
手術室に行く前に尿道カテーテルをいれ、全裸の上に手術着を来て、頭はキャップをかぶり、
麻酔をかかりやすくする注射をして病室のベッドごと手術室へ。
手術室の前の部屋で手術台に移されました。機械で移されてびっくり。
その後手術室へ運ばれ、腰椎麻酔のまえに麻酔薬を塗られ、麻酔を腰椎に注射、体をエビのように丸め、腰を突き出すように指示されましたが、緊張して腰を引っ込めてしまいました。がんばって指示通りにして麻酔終了。
次にお腹のかなり広範囲に消毒液を塗られました。ここまではいちいち、次は何をするか説明つきでしたが、切るときは切ります、とは言ってくれませんでした。
ただ電気メスで切られているようでその音と自分の肉が焼けるようなにおいがしたので、今切ってるんだな、ということはわかりました。そしてそのあとお腹の中から子どもが引っ張り出されました。やはり力は必要なようで、多少ふんばらないとこちらもひっぱられそうでした。めりめりと音がしたような気がしました。
そして、「おぎゃー」と泣き声があがりました。これはよくある出産シーンと一緒で、すぐ赤ちゃんを見せてもらえました。感動でした。
子どもは先に手術室から移動させられ、私は縫合されてから移されました。
縫合はホッチキスでぱちぱちとめられている感じでした。
麻酔は麻酔医が担当し、帝王切開は担当医とその他産婦人科の医師2人、担当助産士が立会っていました。その他看護士が数名いたように思います。手術開始から生まれるまで15分足らずでした。これは最初にそんなものだと聞いていました。あっという間です。
その後、自分のベットに移され病室に戻りました。消毒のアルコール臭がきつく、お酒に酔ったような感じで、付き添いの医師にも「顔赤いね」といわれました。
術後は子宮収縮剤と栄養剤の点滴がありました。しばらくして片足ずつ麻酔が切れてきたのと子宮の収縮のため痛みがだんだん出てきましたが、思ったほどではなく、1回だけ痛み止めの注射をしてもらいました。これは効いたのですが、意識がもうろうとして怖かったので1回しかしませんでした。
子どもも看護士さんが病室までつれてきてくれて、抱っこすることができました。
術後はベッドの上でなるべく姿勢を変えるように指示されました。最低でも2時間おきには変えるようにとのことでしたが、これが非常につらかったです。
痛みもありますが、初めて手術をしたので、なんだか傷口が破れたらどうしようと心配でした。
(そんなことはないといわれましたけど)一晩中体勢を変えるよう、看護士さんもきていろいろ手伝ってくれました。術後は熱がありのどが渇くのですが水が飲めないためこれもつらかったです。
1日目 水が飲めるようになり、氷水をもらい生き返る心地がしました。
この日から重湯、五分がゆ、夜には全粥。夕方には尿道カテーテルも取り、自力でトイレに行き、新生児室へも行き子どもを抱いたり、希望すれば授乳も可能でした。ただし、ベッドから起き上がるのは非常につらいです。動き始めればなんとかなるのですが。トイレではビデを使うよう言われました。
2日目 食事は全かゆ。この日までは入浴はできず、体は看護士さんに拭いてもらってこの日も自力で子どもに面会に行ったりしました。とにかく動くようにと言われました。授乳指導があり、授乳開始。ここからは自然分娩の人と同じになりました。
3日目 この日から普通食。また点滴もこの日で終了。シャワーもOKとなりましたが、傷とお腹を見るのが恐ろしかったですが、たるんでいましたが思ったほどではなく安心しました。傷は毎回シャワー後消毒してもらいました。授乳指導があり、授乳開始。ここからは自然分娩の人と
同じになりました。
4日目 母子同室開始
5日目 小児科の診察、採血
6日目 夕食に祝い膳
7日目 採血、検尿。抜糸。やはりホッチキスの針のようなものでした。(見てないですが)あまり痛くありませんでした。
8日目 内診
9日目 退院
全日、朝回診または、助産士さんが傷や血圧、子宮底のチェックにきました。
授乳も、トイレも、なにもかも、姿勢を変え、動き始めるのがつらかったです。特にベッドから起き上がり、立つのが大変。でも、出産の喜びと、出産前に前向きになれなかったことの反省から、「がんばるぞ」という思いが勝っていたせいか、いろいろな痛みありましたが、その時も、今、思い返してみてもたいした痛みではないように感じています。出産前のあれこれを思えば、手術後の痛みなどなんのその、でした。もう二度と帝王切開は肉体的につらくていやだとは思ってはいません。ただ、点滴だけは、血管が細く、入りづらい体質でつらかったです。
手術前、逆子がなおらない=帝王切開ということしか考えられず、切ることや、その予後について考える余裕もありませんでした。でも手術やその後の管理はよくやっていただいたし、きちんとした病院だと思っています。また、この病院は地域でさまざまなトラブルに見舞われた妊婦さんが最終的に来る病院だったので、体制もしっかりしていたし、授乳室ではいろいろな体験をされた方の話も聞けてよかったです。
里帰り出産だったため、夫の「日にちが決まってて、出産するときにちゃんと行けるし良かった」という一言には救われる思いがしました。
お住まい | 東京 |
帝王切開の回数 | 1回 |
出産地 | 東京 |
出産年齢 | 30代 |
子の生年月 | 2004.3 |
産院(総合・個人) | 総合 |
始めから逆子で、体操しても直りませんでした。
お腹は張りやすいほうで、体操をすると張ってきてしまうので、体操中止。
34週の時、主治医が網膜剥離で入院・手術を受け、急遽病院を転院しました。
診断で「逆子、羊水が少ない、高齢」と出ました。
「分娩方法にこだわりはないので、母子共健康・五体満足ならどちらでも良いと思っています」と言うと「下からだと胎児にリスク、上からだと母体にリスクがあります。どんなお産も始まらないと分からない。何があるかは分からない。全て結果論。どの方法が良いかは言えない」と。
先生との話し合いの結果「帝王切開」になりました。
急に決まったOPで、ばたばたしました。
37週で出すという事に周りは、「未熟児になるんじゃないの?!」と・・・
もともと、お腹も小さく・推定体重も小さく・・・とても心配で、手術事態不安でした。
色んな事を考えてブルーになっていました。(血栓・麻酔など)
帝王切開を楽な生み方という人が居る中、叔母に「“お腹を痛めて生んだ”って言えないね」と言うと「お腹切るのだから痛めているのに変わりない」と言ってくれた。
なんだか嬉しいかったです。
37週4日で、OPになりました。とてもとても不安でした。
OP中、酸素吸入のマスクをつけられていて呼吸が苦しく自分に「落ち着け・落ち着け」と言い聞かせていました。
陣痛がないけれど「もうすぐ出ますよ。でましたよ」といわれ、次に産声を聞いた時「ありがとうございます」と、涙が溢れて止まりませんでした。
肉の塊だったらどうしょう・・・泣かなかったら・・・などと考えていたから。
ほっと安心しました。ずっと涙が溢れて止まりませんでした・・・
腰椎麻酔だったので、意識がハッキリしていて、すぐ横に赤ちゃんを連れてきてくれ、触れました。
OP後が、血栓予防ポンプフル活動。
病室に戻り、子供の処置が終わると直ぐに連れてきて抱かせてくれ、お乳も吸わせてあげれました。
後陣痛が痛くて、痛み止めを点滴に入れてもらいましたが、夜中に切れました。
追加してもらわず、自力で睡眠。
翌日、お昼に歩行開始。起き上がるまでが、痛くて痛くて・・・
看護師さんが、あかちゃんを抱っこして「抱っこしたかったら、起きなきゃ」と、スパルタだったので、がんばりました。
ポンプの最中、足をなるべく動かしていたので(指も)歩行はすんなり。
同室で、私より2日早く帝切した人は、私を見てビックリしていました。
何事も気力かな???と思いましたが、事前に「くもといっしょ」を見ていたので、予備知識はあったのもよかったのかもしれません。
2~3日は、痛くて辛かったけれど、だんだん楽(慣れ?)になって行きました。
生まれた我が子は、2300と小さく・・・心配しましたが、保育器に入ることなく元気。
支払いは、私が224250円。分娩は自費で86000円。手術は保険で16719点)
子供は、保健がまだなので、自費扱いの入院(低出生体重児は検査をするので、入院になります)
266870円(預け金10万を支払い、後日保険証を持参して精算)
OP後、先生からの説明で、やはり羊水が少なかったそうです。
次の出産は、普通は可能だが、高齢だから「帝切」と言われました。
しばらくは、この子一人で良いとおもっていますが、産むなら今回と同じ病院が良いです。
看護師の方たちも親切でした。
お住まい | 神奈川県 |
帝王切開の回数 | 1回 |
出産地 | 神奈川県相模原市 |
出産年齢 | 30代 |
子の生年月 | 2004.3 |
産院(総合・個人) | 個人 |
私は今年3月2日に帝王切開で男の子を出産しました。
妊娠7ヶ月始めに逆子だねぇ~と先生に言われ え??と思ったけど、まだまだこの時期は逆子が多いんだよ! もう少し様子を見ようね!
ということでした。
それから色んなHPを探して逆子についての情報をかき集めました。
確かにどれをみても、この時期の逆子はよくある話らしかったので 安心して何もせずにそのまま過ごしました。
その後検診でず~っと逆子のまま。
8ヶ月途中で逆子体操を進められました。もちろん毎晩一所懸命体操しましたよ!
でも、結局治らず。また色々な情報を集めて、お灸がいい、 逆立ちがいい?など見て、お灸は試しました。
その成果もむなしく、臨月に入っても治っていない状態。
「来週戻ってなかったら帝王切開のお話をしましょう」といわれ(◎-◎;)ドキッ! え?帝王切開?
逆子でも普通に産めるって言う病院たくさんあったよ?と思って、先生に聞いてみました。
すると、私の赤ちゃんは おなかの中で、足を下にして入っているということ。
これでは 普通の分娩は無理だよ・・・と言われ、ちょっとショックを受けました。
家に帰ってから今度は帝王切開のサイトを色々と検索して情報を見ました。
色んな意見が書いてありましたが、帝王切開も自然分娩も どちらもお産にはかわりなく、無事に生まれてきてさえくれれば それでいいでしょう?という考えになり、最後の検診?を迎えました。
覚悟はできていましたが、いざエコーを見て、「ん~やっぱり逆子だね」「この体勢だと破水すると危険が大きいから、38週つまり来週の予定で 帝王切開をしたいと思うけどどう?」と言われ、やっぱり不安に・・・
でも、危険っていうのはやっぱり嫌なので、お願いすることにしました。
その日も帰ってからはなんだか涙が出てきて、あ~直前に戻って! なんて思ったりもしましたが、一番優先なのは赤ちゃんの無事だわ!と 思って気持を落ち着けました。
もちろん、自分に危険は特にないということが前提ですよ!
そして、前日の入院の検査でやっぱり逆子、いよいよ帝王切開! となったら、本当に恐くなり、震えが止まりませんでした。 この恐さは、おなかを切るっていう恐さですね。
赤ちゃんには早く 会いたかったけど、このときばかりは自分優先になってしまって寝るにねれませんでした。
当日、ストレーッチャーで運ばれていく時に震えで落ちてしまうかと思うほど。
更に、手術台に置かれてからはもう自分がどうにか なってしまうのでは?と思うほどの震え。
こんなんで手術できるのかな? 本当に痛くないのかな?色々と考えました。
半身麻酔をされ、あっという間にメスが入りました。痛くはないけど 様子がわかるだけに、気分が悪くなってきました・・・ でも、ものの数分で、赤ちゃんが!!!あ!!!出てきた!
あたしの赤ちゃん!!そう思ってからはもうあの震えはなんだったの?と思うほど、恐怖心はなくなり、赤ちゃんのことばかり気になりました。
助産婦さんが赤ちゃんを目の前で見せてくれたときは本当に感動しました!!これが赤ちゃんなのね!
私のあかちゃんだ!かわいい♪ その後のことは部屋に帰って、子宮収縮の痛みを感じるまで あまりよく覚えていません。
2,3日は痛みがひどかったし、赤ちゃんの お世話がすぐにできなかったからとっても寂しかったけど 赤ちゃんの顔を見るたびに
痛みを忘れてしあわせな気分になれました。
帝王切開だったけど、無事にあかちゃんが産まれてよかった!と本当に 思いました。
私は帝王切開も十分立派なお産だと思っています。
自分の気持より、赤ちゃんの安全を優先させてあげたほうがやっぱり いいと思いました。
こんなにかわいい赤ちゃんが出てくるンだもの! 今はすくすくと育っています。
お住まい | 静岡県沼津市 |
帝王切開の回数 | 2回 |
出産地 | 静岡県沼津市 |
出産年齢 | |
子の生年月 |
2001.3 2004.2 |
産院(総合・個人) | 総合 |
1人目は、7か月に切迫早産と診断され、10か月目に入ったその日に蛋白尿が出てしまい浮腫や高血圧はなっかたんですが、エコーで子宮動脈の波形を見て、中毒症の波形で、子供も推定体重が2000gにみたず、胎児発育不全・逆子にて入院させられました。
切迫早産でしたが、張り止めの内服で薬疹がでてしまい、只只安静の毎日でした。
逆子の上に子供が小さいので普通分娩だと子供にストレスがかかりやすいとのことで、カイザーになりました。ちなみに横切りです。
腰椎麻酔が効かず、二回やりました。今度は麻酔が効きすぎて体内の酸素飽和度が、低くなりすぎて息苦しくなり、意識が朦朧としてしまいました。そして術後痛み止めの座薬は同じく薬疹が出てしまうので、筋肉注射となり痛み止めを打たれるのも痛く最悪でした。
しまいには、抗生剤の点滴で肝機能まで悪くなってしまいました。傷口は膿んでしまい抜糸後も消毒する毎日でした。
2人目は頭位でしたがエコーでの推定頭囲が、デカイので心配になりもしVBACでのリスクを考えカイザーにしました。
やはり麻酔が効かず追加して2回背中に刺されました。
(ヘルニアがあるので針が入りにくく刺されたのは10回以上でした・・・)今度は、途中で麻酔が効かなくなり痛みに耐えながらでした。
痛み止めの注射もしてくれましたが完全には痛みはなくなららっかたです。
術後は、貧血がひどくなりましたが自力回復してました。2人目は5か月から切迫になりました。
実は2人目といっても妊娠は3回目です。2回目は7週くらいで流産してしまいました、。細かいことを言えば語りつくせません
たしかに今でも普通分娩してなんぼみたいなところがありますよね!
帝王切開だったんだよと言うとなんか雰囲気的に普通分娩のほうが大変なのよ!みたいなニュアンスないい方で言われますよね!被害妄想かもしれませんが「帝王切開で楽しちゃって!」のようなところもあるような気がします。
(姑さんもそうだけど・・・)
やはり帝王切開も分娩なんだよ同じくらい大変なんだよってこともわかってほしいし、これから帝王切開になるかもしれない人が安心できるようなサイトにしたいですね!