- 逆子6 -

帝王切開の理由別体験談


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なおぷひさん

お住まい  岡山県
帝王切開の回数  1回
出産地  岡山県
出産年齢  30代
子の生年月  2004.3
産院(総合・個人)  個人

36週の検診でもやっぱり逆子が直っていなくて担当医から「出産方法について相談しましょう。」と言われました。

すでにこちらのサイトでかなりの予備知識を持っていた私は、主治医が「普通分娩が出来ないわけではないですが・・・。」

と言いかけたところで「帝王切開でお願いします!。」と自信をもって即答しました!(笑)

 

予定日は4/20だったのですが、予定帝王切開となると38週になる少し前くらいに行うのがベストだそうで、病院の手術日の関係などもあって「4/2でどうですか?」と聞かれました。(この病院は火曜日と金曜日が手術日でした。)

「ゲッ!4/2!」・・・その日は長男の保育園の進級式の日でした。

当日はダンナや母親が保育園に出席してくれることになっていたのですが、わざわざそんな日に自分ひとりだけ病院で手術受けるのもちょっと寂しいような気もするし・・・

「4/2じゃないとダメですか?」と聞いたら先生は「う~ん。じゃぁ、4/6かな・・・。それ以降にはしない方がイイですよ。もし、破水でもしたら大変ですから。」と言われたのでとりあえず4/6に決定しました。ところが・・・

 

3/28の夜、ベッドに入って寝ようとしたとき、「あれっ?」と思いました。

なんだか腰が痛くて寝られない・・・体勢が悪いのかな?おまけになんだかお腹も少し鈍い痛みがあるような気がするし・・・

もともと腰痛持ちだけど・・・なんて考えながら寝返りうったりして1~2時間が経過。

すごく気になって寝られないので、病院に電話をしたらすぐに来るようにとのコト。

夜11:00だったのですっかり寝入っている長男を毛布にくるんで、もしもの為に入院グッズの入った鞄を持ってダンナに運転してもらいすぐに行きました。

着くと”第2分娩室”に連れて行かれてすぐにモニターをとりにかかりました。

 

結果は「断言は出来ないけど、軽い陣痛(前駆陣痛)が来ているのでは?」ということでその日はそのまま私だけ病院に泊まって翌日検診をしてみることになってしまいました。(入院グッズを持ってきておいてヨカッタ♪)

・・・でも、これってイヤな展開。前回の出産もこういう展開で翌日に破水しちゃったし・・・。

とにかく、その日は空いていた部屋に泊めてもらいました。

 

次の日・・・(3/29)

主治医にエコーやら内診やら一通りの検査をしてもらったところ、子宮口が1~2cm開いているとのコトでした。

やっぱり!「このままだと4/6まで持ちそうに無いので、早いうちに手術した方がイイです。明日にしますか?」 

「え゛!明日ぁ~○×□!」突然の急展開! 

それからはドタバタ劇のよう。

急いでダンナを会社から呼び出して主治医と看護婦長からの話を聞くことに・・・

現在の私とお腹の赤ちゃんの状況にはじまり、帝王切開と普通分娩でのリスクについて、手術に伴う入院診療計画の概要、術後のエコノミークラス症候群に対する病院での予防措置に関してなどなど・・・じっくり説明をうけました。

そして同意書にサインしたら、明日の手術に向けての準備開始となりました!(各種検査など)

 

 当日・・・(3/30)

私はAM11:00からの手術でした。朝から着替えたり血栓予防のストッキングを身に付けたりと準備も済まして、いよいよ時間が近くなりダンナと母に見守られて手術室に車椅子で向かいました。

人生34年間の中ではじめての手術!ドキドキしながら手術室に入りました。そしたらなんか様子が・・・見ると部屋には手術台が2つあって片方には人だかり・・・なんか手術してる~!

私は奥の手術台に連れて行かれたけど、手前の手術台ではまだ手術の真っ最中!

この病院の手術室はワンフロアーで手術台が左右に2台あるのでした!

仕切りのカーテンなども無く、自分の手術台に寝て横を向くと向こうの手術の様子がすっかり見えちゃうのです!!驚き~ギョッ!

(もちろんモロに見えることは無いですけど。)私の方は、スタッフの方達がてきぱきと支度を進めていきました。

そうこうするうちにあちらの手術が終了したみたいで、先生とかが着替えをしたりスタッフの方が後片付けをはじめたりと騒がしくなってきました。

いよいよ私の番です~。

局部麻酔(腰椎麻酔)の準備のために横に向いて「出来るだけ丸まって下さ~い。」と指示が出ます。

たしかに皆さんの言う通り!自分では精一杯丸まってるつもりですが不十分みたいで「もっと、こういう具合にね。おへそを見る感じでネ!」とダメ出し。

グイっとやられて苦しい~!!麻酔も普通の注射に比べたらやっぱり痛い!

我慢していたけど苦しい体勢と痛いので思わず一回腰が引けてしまいました・・・

そしたら「ダメっ!腰を引いたら!動かないで~!」とやはりダメ出し。

何とか終了して仰向けの状態になったら例のグリーンのシートがセットされていよいよ準備万端です。

ライトをぼんやり見ながら、”麻酔効いてるのかな~。”とか”なんか白い巨塔みたいだな~”なんて考えていたら・・・

なんだか何とも言えない感覚が!!”え?もしかしてもう始まってるの?”そう思った瞬間今までに感じたコトのない衝撃が下腹部に感じられました。

”え゛!「始めますよ~。」とか何か言ったっけ?”うそ~なんかもう始まってる~!

 

しかも、引っ張られたり、押したり、引いたりする感覚とは別に確かに痛みがぁぁぁ! 『あの~、痛いですぅ。』と言ったら手を握ってくれていたスタッフが「あ、大丈夫ですよ。痛みじゃなくて引っ張ってる感覚が残ってるだけですからネ。」

なんて明るく言ってくれました・・・。”うそだぁ。明らかに痛いじゃん!” 

なかなか表現が難しいけど、焼けるような引きつるようなそんな痛みがあって”そのうち麻酔が効いてくるかも・・・”

なんて淡い期待をしていましたがまったくその気配は無く気のせいか

どんどん痛くなってきているようでした。時間はどれくらいかかってるのかわからないけど、赤ちゃんが出てくるまでの時間がすごく長く感じられました。しかも、あまりの痛さに、何とか痛みを軽くしたいと思って

一生懸命、呼吸法をやってた私・・・(ちょっとマヌケ?)

痛みと一緒に、”今、皮を引っ張ってる!””内臓を置いてる!””先生が手を突っ込んでる!”と想像しながらやっと産声を聞くことができました!

赤ちゃんが取り出されて処置してるところとかも手術台から見えたけど、それからすぐ横まで連れてきてくれて顔を見せてくれましたvv

「ちゃんと、手も足もあるよ~。指もね~。ほら。」と言って私の指を

赤ちゃんの手にもっていくとぎゅっと赤ちゃんが握ったのは感動しました~♪

 

 しかし・・・感動はつかの間、ますます痛みは激しくなってきて・・・これでも痛みには強いと自分で

思ってたのですが・・・もう我慢も限界でした。『痛い~痛い~っ!!』ってついに口から出てしまいました・・・。そうなるともうダメです。スタッフが手を押さえていてもあまりの痛さに上半身が起き上がり

かけてあわてて押さえつけられるような感じ。

足も動くし、頭が動くし・・・先生が指示を出してやっとマスクをかけてもらい”あ~全身麻酔だ~。

やっと痛くなくなるぅ。”ってうれしく思ったのもつかの間・・・

どれくらいの時間がたったのか、段々周りのざわめきが聞こえてきだして”もう終わったのかな~”って

思った瞬間、『痛!』まだ縫合途中なのに意識がハッキリ戻ってしまってさぁ大変!

再び『痛い~痛い~っ!』って大騒ぎ!先生が慌てて指示を出してもう一回マスクをかけてもらいました。(笑)

 

次に意識が戻ったら、先生が一生懸命私の名前を呼んでいて「もう終わりましたよ~。大丈夫ですか?」と聞いてきました。

内心、”大丈夫じゃないよっ!”って思いつつ、「はい・・・」と返事。

その後はストレッチャーに乗せられて病室へ帰りました。手術室を出たところでダンナと母が待っていて、ダンナが「おいっ。わかるか~?」と聞いてきました。

その声を聞いたとたんに涙がボロボロこぼれ出して・・・安心したのとやっと終わったという安堵感。

とにかく、部屋に帰ってベッドに移されてからワーワー泣きました。

何でって、本当に痛かったから・・・。あんな痛いの今まで経験したことないもの。

ハッキリ言って陣痛の痛みなんて比べ物にならないくらい、帝王切開って痛かったデス~。

これって、麻酔があまり効いていなかったのでしょうかネ。でもおかげで、術後の私の回復は目覚しいものがありましたヨ。頭痛も無く、足の痺れも無く。吐き気なども無し。

次の日にはガスが出る前にウ○コが出たくなってトイレに歩いて行ってスタッフの人がビックリしていました。

導尿の管が邪魔なのでお願いして早々と外してもらったし。(笑)

勝手に赤ちゃんを見に新生児室まで歩いて行ってました。

でも悲しかったのは術後3日目までは普通食じゃなかったコト!お腹が減ってたまりませんでした~。

帝王切開初体験だったけど、今思えば本当に貴重な体験でした。でもこの次はどうかな~?

出来れば全身麻酔の病院にしたいです。(笑) 



ヒマコさん

お住まい  愛知県名古屋市
帝王切開の回数

 1回

 (2度目はVBAC)

出産地  愛知県名古屋市
出産年齢  30代
子の生年月

 2001.5

 2004.3

産院(総合・個人)  総合・個人

2001年5月に逆子が8ヶ月の頃から直らず、総合病院で予定帝王切開(37週3日)しました。

手術自体は麻酔も上手に効き全然痛くなかったです。

ただ産まれてすぐ、赤ちゃんはチラッと見せてもらえただけで連れて行かれてしまい、なんだか悲しかったのを覚えています。

幸いにも痛み止めもまったくいらず、翌日からは歩行開始し、産後2日目からは赤ちゃんの世話もできとても順調だったので帝王切開についての抵抗はありませんでした。

でも陣痛を経験していないのでなんだか納得いってないものがあり、2人目を妊娠してVBACできる個人産院を選びました。



ひろぴ〜さん

お住まい  山口県玖珂郡周東町
帝王切開の回数  2回
出産地

 山口県玖珂郡周東町

 山口県光市

出産年齢  20代
子の生年月  2004.3
 2005.2
産院(総合・個人)  総合

妊娠6ヶ月の頃から「骨盤位」と言われ続け、妊娠8ヶ月の時に「逆子体操」を開始するも直らず、妊娠35週目の時に医師より「帝王切開」を進められました。

 

総合病院と言う事で、他科の手術との関係から39週0日目の出産となりました。

帝王切開を進められた時に、医師から「普通分娩」も可能では無いと言われました。

しかし、リスクが高い・・・「ベビーの腕の骨折」「重度の胎児仮死」「胎児仮死による後遺症」などさまざまな危険が伴うと説明を受け、帝王切開を決意しました。

「腰椎麻酔」「硬膜外麻酔」の併用だった為、術後1日目より歩行可能・食事可能となり、術後2日目にはベビーの初抱っこと傷の痛みはさほどありませんでした。

入院期間も術後7日間と短かかったので、本当に良かったです。

手術前は不安の方が大きかったですが、今では、二人目が早く欲しいなぁ~なんて思っています。

医師と話合った結果、二人目も私は帝王切開を今回の病院で選択する予定です。

 

費用は分娩・手術費・子供の入院費・特別個室差額ベット代・食費など入院中にかかった全諸費用すべて込みで287000円でした。

 

~2人目~

2004年3月9日に第1子を出産して、約1年で、第2子を出産しました。

前回出産より1年未満での出産でした。

 

前回の出産から約3ヵ月後の妊娠で、妊娠発覚当初から医師からは、自然分娩は危険性が高いので今回も帝王切開にしましょうと言われていました。

私も、VBACの危険性についてはある程度認識していたので、安全性を考え、帝王切開を希望する予定だったので、医師からの言葉を素直に受け止めました。妊娠経過は順調で、前回の傷も全く問題なく経過していました。

 

臨月に入り、帝王切開の予定日が3月2日(妊娠38週0日)と決まり、あとはその日を待つだけに

なっていた、2月27日の早朝に、10分感覚の陣痛が発来しました。

すぐに病院に電話をし受診した所、子宮口は1センチ開いてはいたもののまだ点滴で陣痛を抑えられるという判断で、点滴で陣痛を抑えて予定日を待つ事になりました。と言うのも、27日・28日と麻酔医の先生が不在で、

帝王切開後の疼痛抑制の為の「硬膜外麻酔」を産婦人科医でするのは、安全性に劣ると言われ、麻酔医が居るせめて1日まで出産を伸ばしたいと言うのが産婦人科医の方針でした。

 

それからすぐに陣痛抑制の点滴がさされ、次第に陣痛は遠ざかりました。がしかし、28日に日付が変わろうとした頃に、再び陣痛が来てしまい、あれよあれよと5分間隔まで進行してしまい、時計が2時を指す頃には、子宮口も4センチまで開いてしまっていました。

担当医が到着し、助産婦さんと何やら相談。その後私に、「赤ちゃんが小さいから、希望があれば自然分娩でもいけますよ。」と言われました。

でも、急に自然分娩でもと言われても何も予想していなかった事だったので、帝王切開での出産をお願いしました。

 

それから、あわただしく、帝王切開の準備が始まり、手術室に入ったのは3時を過ぎた頃でした。

それから約1時間後の午前4時12分に2492グラムの小さめながらも元気な女の子を出産しました。

早朝の緊急帝王切開の為、麻酔医は不在。下半身麻酔は、産婦人科医の手で掛けられましたが、硬膜外麻酔は無しでの手術でした。しかし、1度目の妊娠の時からお世話になって信頼関係もしっかり築けていた医師の執刀だっため、何の不安も無く、手術に望むことができました。

心配していた術後の痛みもほとんどなく、硬膜外麻酔無しの今回の出産の方がむしろ楽だったかのように思います。

 

これから帝王切開に望まれる方もどうか安心して出産に望まれ、元気な可愛い子供さんとご対面される事をお祈り申し上げます。



たまごんさん

お住まい  埼玉県
帝王切開の回数  2回
出産地  埼玉県
出産年齢  30代
子の生年月  2002.8
 2004.1
産院(総合・個人)  個人・総合

~1人目~

食事が美味しいと義妹に紹介され、個室ということもあり3ヶ月の時に総合病院から転院。

妊娠経過は順調だったが、母子手帳には骨盤位の印ばかりでしたが主治医が、特に心配ないと言っていたので気にしないでいた。

(思えばこの時に帝王切開が多い病院と気付けばよかったが)

 

35週の健診にて帝王切開の打診をされる。(その時は逆子は治るだろうと楽観的に考えていた。)

36週の健診で、主治医である院長の都合で手術日の予約をとると言われる。

個人病院なので麻酔医の確保の関係と説明される。

その時点のベビーの推定体重が3700グラムと言われたので、言われるがまま予約をとる。

ベビーの体重が大きいので来週きろうと言われ、手術前日の36週と5日で入院。

当日は私一人だけしか患者がいなくて、静かで不気味にさえ感じた。その晩は、台風直撃の為、大雨雷で暴風雨だった。

最後の食事が終わり、あと一時間で術前準備をしますとの時に停電。

緊急の電気系統が、分娩室の明かりしか点かないとの事で、分娩室にて術前準備のてい毛、抗生物質のテスト、浣腸、点滴をした。

部屋の電気が点いたのが、12時過ぎ。眠りにつけないままTVを見ていた。

朝7時からの手術なので5時の起床だった。

コンタクトなのではずしたら全然見えず、付き添いの看護師につかまり、歩いて手術室まで行き分娩台での手術なので裸になり乗った。

筋肉注射を両肩にされた。

かなり痛くて「痛い!」と言ってしまったが、主治医が注射をした看護婦を怒鳴っていて、失敗したんだなあと冷静に考えていた。

さあ準備も整って麻酔をするというときに、緊急でお産が入り主治医がカーテンで仕切られているだけの隣の部屋の分娩台に行ってしまった。(個人病院の嫌なところです)

カーテンしか仕切りがなかったことにも驚いたが、お腹の大きいまま仰向けに一時間以上も待たされて気分がわるくなった。

気分が悪いことを告げると、先生が戻ってきて横を向いたら意識がなくなり次に気付いたらお腹を縫っている最中だった。

このときばかりは、かなりの恐怖で早く終わってよ~痛いよ~と叫んでいた(つもり)。

看護師が「この子目が覚めてるよ。何か言ってる」との言葉も聞こえた。

本当に麻酔医がいたのか疑問。

全身麻酔だったのに完全に手術が終わり、目が覚めていたので、赤ちゃんを連れてきてと看護師にお願いして、手術台(分娩台)の横に連れてきてもらった。

不思議な気持ちしかなく、自分が生んだという感覚はなかった。

 

私が目をさますのが一時間以上かかるといわれた主人は、ご飯を食べに外に出ていたので、一番会いたかった主人に会えなくて辛かったのを覚えている。

術後は何の対策もなかったので、かなりの浮腫みで歩くのも困難で薬漬けの毎日だった。

食事が美味しいといわれても、食欲もなく、10キロ増えた体重は退院の時には10キロマイナスで戻っていた。

術後3日目に初めての歩行練習と重湯からのスタートだった。

マタニティーブルーにもなり、毎日辛かったしか覚えていない。母乳も全然でなくて、指導もなくて、

一応助産婦はいるものの、術後6日目に初めて会った。

そんな長男も現在は元気に育っています。

 

~二人目~

上の子が8ヶ月の時に妊娠発覚。

前回逆子で年子になる可能性もあり、また前回の個人病院は不妊治療専門になった事。

以上の事からVBAC希望していたので総合病院へかかる。

医師より、年子でも予定日までは待ってくれるとの事で通っていた。

途中一回も逆子になることもなく、子供の大きさも小さめだったので問題なく予定日を待つ。

35週の時に骨盤のレントゲンをとるように指示される。思えばこのときから予感はあったのかもしれない。

骨盤計測の結果、子供の頭と骨盤の大きさが微妙にギリギリと言われる。

自分では早く勝手に早めに年内に産まれると思っていたので、毎日毎日陣痛待ちでドキドキだった。

37週の内診では子宮口もかたく、頭が下がっていないし、NSTをとってもそれらしき波はないといわれる。

少し自分自身焦りもあり、毎日の家事や犬の散歩もダッシュに近い状態でしていた。

毎週の健診の所見も変わらず、とうとう40週の予定日になり医師に帝王切開の可能性も検討するように言われる。

41週の健診に行き、医師により内診の所見が変わらないことから帝王切開の決断を迫られる。

不覚にも泣いてしまった。が、手術ギリギリまで陣痛を待ってくれるとの事、赤ちゃんに何かあったら困るとの説明で前日入院をする。

前日入院なのでNSTをつけたり内診も翌日手術前ギリギリまでしてもらった。

半分呆れ顔の医師に駄々をこねながら手術に挑んだ。

今回は下半身麻酔と硬膜外麻酔併用。

総合病院なので麻酔医に麻酔をしてもらえたので安心だった。

(前回麻酔が効かず途中で目が覚めたことをつたえたので)

麻酔をしても、うまく刺さらず3回刺しなおした。

麻酔の最中に麻酔医の「硬膜外麻酔なんて自分で調べたの?何処で知ったの?」との質問が印象的だった。

麻酔が効き始めてすぐに手術が始まったが、子供が出てからすぐに眼鏡をかけてくれて顔の横に連れてきてくれて写真を撮ってくれたのには感動した。(でもお腹は開いたまま)

その後気分が悪くなり、心臓が痛くて背中が痛くて「痛い、痛い」と繰り返していた。

 

ここのHPで手を握ってもらっていたら安心できた、とあったので「手を握ってください」とお願いして少し楽になった。

やっと終わって意識が朦朧としているなか、看護師さんが「赤ちゃん見に行く?」と聞かれて、なくなりかけていた意識がハッキリして「はい」と答えていたのを覚えている。

新生児室の前までストレッチャーで運んでもらい子供を見た途端泣けてきたその後、足に浮腫み防止の装置をつけられて30分置きに看護士さんが来てくれた。

前回、浮腫みがひどくて痛いおもいをしたので、ベットの上で積極的に動かして手術から10時間ほど経過した深夜には体を自分で起こして、ベットの上で立てるくらい回復していた。

(硬膜外麻酔のおかげなんだけど)

翌朝までそんなことを繰り返し、一睡も出来なかった。

 

朝ごはんの時間に尿管をはずして自分で歩くように指示されたので歩いて新生児室まで行った(でも麻酔のお陰だ思う)

その日の晩御飯には、すっかり回復して足りなかったくらいだから。翌日に硬膜外麻酔をはずして痛みが少しぶりかえした。

母子同室なので退院まで自分で世話をしていた。大部屋なので泣かしたらと神経質になりナースステーションまで重いベットを転がしながら通った。

それがいけなかったのか無理したのか、退院してから膀胱炎、脱肛、傷口が悪化して病院へ何度かいった(退院一週間以内)

でも子供は元気に生まれてくれたので良かった。

 

担当医師に聞いたら、前回の開腹した下部が癒着していたこと、子供の頭が全く下がっていなかった事、癒着していた為に傷口が広がったこと、などを伝えられた。

今回の帝王切開の選択は間違っていなかったかもしれない。

ただ出血は1300と多かったことを言われた。浮腫み対策は自分もしていたし、事前に伝えていたので医師が気を使って考慮してくれていたので良かった。

でも同じところ切るので傷口が前回より傷む事と治りが遅いのが不満だった。

結果VBAC出来なかったけど、お腹が大きくなっても頑張ってギリギリまで出来ることはしたのでよかったと思う。



くじゃくさん

お住まい  東京都
帝王切開の回数

 1回

 (2人目はVBAC)

出産地  東京都
出産年齢  30代
子の生年月  2001.5
 2003.10
産院(総合・個人)  個人・総合

私は、逆子で帝王切開になりました。

私の場合、とても珍しいケースだと思います。

40週3日の健診で、今まで一度も指摘されたこともない逆子だと言われました。

先生に、「こんなことってあるんですか?」と聞くと、「う~ん。また、ドスンとひっくり返る場合もあるしね・・・」

 

 「逆子だってことは、切るんですよね?」「それは私が決める!」

私が決める!と言われても、覚悟を決めるのは私なのに・・・

 

 その夜は、旦那と食事にでかけたのですが、もう、悲しくて悲しくて、仕方ありませんでした。

手術に対する恐怖もありました。

40週4日 午後から入院することになり、個室へ。

40週5日 「やはり逆子のままで、さらに足が出てきているね。おしりが先に出てきていたら、普通に産ませてあげられるんだけど・・・」もう、選択肢はありませんでした。

自分に「我が子のため」と言い聞かせ、帝王切開に同意しました。

 

旦那が手術承諾のサインをし、浣腸、剃毛と処置が行われ、手術室へ歩いて行きました。

その後、全裸にされ、導尿、麻酔、淡々と進んでいきます。

そして、10分ほど経ったころ、「産まれたよ!」という先生の声。

でも、泣き声は聞こえません。

口の中に血が入っていて泣けなかったみたいなのです。

大急ぎで赤ちゃんの処置が行われました。

2時間後、個室に移ったのですが、麻酔のため片足がしびれて、それが不快でした。

麻酔がきれてくると、傷の痛みと後陣痛とのWパンチ!

そして、術後2日目には絶対安静であまり動けなかったためか、麻酔の管のためか、背中が痛くて痛くて・・・。

この背中の痛みは、安静期間中(丸3日)続き、私を苦しませました。

また、昼間は赤ちゃんを連れてきてはくれるのですが、抱くことはできないし、視力が弱いせいもあって顔さえ満足に見ることができませんでした。

「抱いてあげられなくてごめんね」自然と涙が出てきます。

体は安静の3日間は拭いてもらえたのですが、シャワーに入れたのは1週間後でした。

あれから2年が経ちました。傷はきれいに縫っていただいたので、その部分が赤くぷっくり盛り上がっている感じです。



あけぷさん

お住まい  滋賀県
帝王切開の回数  1回
出産地  大阪
出産年齢  30代
子の生年月  2001.4
産院(総合・個人)  個人

妊娠7ヶ月頃からずっと逆子と言われていて、8ヶ月に入っても治らないので逆子体操開始。

体操をしても治ることはなく、病院に行くたびに「今日は左を向いてます」「今日は右を向いてます」と違う方向に回転ばかりしてました。

結局逆子は治らず、予定日の1ヶ月くらい前に38週で予定帝王切開が決まりました。

 

36週6日での検診のあと、家でおしるしらしきものがあり、内診の影響の出血かと思いましたが

2日後一応念のために受診。NSTをすることになりました。

もともとお腹がよく張っていたのですが、なんと10分おきくらいで定期的にお腹が張っているので陣痛が来ていますと言われ、そのまま入院することになりました。

荷物を取りに一度家に帰りたいと言ったけど聞き入れてもらえず、次の日に手術しましょうと言われました。

旦那にすぐに病院に来てくれるように連絡し旦那到着を待っていると、主治医から「明日切るのも今日切るのも一緒だから、今から切りましょう」と言われ、そのまま浣腸やら色々準備に入りました。

手術と言うことで手術承諾書に旦那のサインがいるので、旦那は病院に来るなりいきなり手術するのでサインして下さいと言われ、サインすると私はすぐに下半身麻酔をして手術となりました。

12時頃にNSTをして、3時前には赤ちゃんは産まれてました。

37週1日で2914gでした。

 

うちの母親なんて私から明日手術が決まったので今から入院だという連絡をもらって、病院に行こうと電車を待っていたら、旦那から産まれましたと電話が入りビックリしてました。

術後は比較的楽なほうだったと思います。麻酔が切れた後も痛くなることも無く、一度も痛み止めを使用しませんでした。

つらかったのは、手術の翌日に歩かされたことです。ベッドから起きるのが本当に辛くて辛くて・・・

 

その後も歩くのと、トイレが辛かったぁ。トイレはおしっこが出るときに腹部がなんともいえなく痛くて、いきおいよく出せなかったのをよく覚えてます。

悪露の出も悪く、1ヶ月検診でもまだ子宮内がきれいになっていなくて、1週間後にもう一度見て、結果によっては掻き出すと言われましたが、なんとか掻き出しはしなくて済みました。

 

現在第二子を妊娠中ですが、色々なリスクを考えて予定帝王切開にしようと思ってます。



よしこさん

お住まい  神奈川県
帝王切開の回数  1回
出産地  山口県
出産年齢  20代
子の生年月  2003.2
産院(総合・個人)  総合

体験談は無し



iigasaさん

お住まい  愛媛県
帝王切開の回数  1回
 (3人目はVBAC)
出産地  愛媛県松山市
出産年齢  20代
子の生年月

 1993.10

 2001.7

 2002.11

産院(総合・個人)  個人

妊娠6ヶ月の時、逆子が判明。まだまだ動き回ってる時期だから、大丈夫と言われて安心する。

妊娠7ヶ月の時、お腹がかちかちになって横になっても治らない。

切迫早産で入院し、一日中点滴をすることになる。

ウテメリン・・?だったかな。手がしび れて指先が小刻みに震える。

心拍が早くなり、猛烈に熱い。

入院したのは4月だったけど、私の部屋はいつも19度くらい。

お見舞いにくる人も、寒いといっ て長居せずに帰ってしまう。。

妊娠8ヶ月の時、逆子がずっと治らない。

退院はしたものの、切迫早産も続いてるので、

張り止めの薬を飲み続ける。

逆子体操も教えてもらうけど、切迫早産の為長くはできない。

妊娠9ヶ月の時、朝、旦那にいってらっしゃいと手を降った直後にお腹が猛烈に痛くなり、座り込む。

このくらい平気と30分くらい横になったけど、痛いの がおさまらない。

旦那はすでに会社へ行ってしまい、早く言えば良かったと後悔する。

泣きながら実父に言って病院へ送ってももらう。

病院へ行く途中も痛みがおさまらず、実父はびびりまくり。

まだ朝の8時半だったので、病院の待合室で待つ。

早く先生来てって心の中でずっと叫び続ける。義母が駆け付けてくれる。

痛がる私の横にいて何か声をかけてくれているが何を言ってるのかわからない。

 

9時になり先生が来た。

二日前に検診に来たばかりだった私をみた看護婦さんが「どうしたの?」と言う。

見たらわかるだろーっと思いながらやっと出た言葉が「痛いんです。」即入院となる。

分娩監視装置をつけると、大きな波がきている。血液検査もされた。

先生の話では白血球数が上昇している。感染症ですね。との事。

たぶん以前やったことのある、腎盂腎炎だろう。。なにも妊娠中にならなくても。。

抗生物質の点滴を受け、痛みがおさまる。

そのまま一週間入院することになる。

もう入院に慣れっこになった私は、点滴持っての移動もなんのその。

点滴を廊下にある共同冷蔵庫の上にぶらさげて、お見舞いで頂いたプリンをとろうとしていた時、

ちょうど診察を終えた先生と鉢合わせ。「すっかり板につき ましたね笑」との事。

 

入院生活が終わる日、先生が回診で「今日で退院ですね。来週の水曜日に手術です。」と言う。

手術の日程などぜんぜん聞いてなかった私は、「え?来週にお腹切るんですか?」と先生に聞く。

2人部屋の同部屋で出産されたばかりの子が隣のベットで「あ。」っと息を飲むのが聞こえた。

先生は「ええ、切るんですよ?ん?木曜日の方がいいですか?木曜日はちょっと予定が」とかいいながら看護婦 さんにスケジュールを聞いている。

私は呆然。やっと退院と思ったら来週にはまた入院。

おまけに手術つきか。。と。

退院後いままで準備できなかった出産準備に猛然ととりかかる。

もうどうせ来週産むんだから、少しくらい買い物に行ったって平気よってな気合いで、買い物を次々とすませる。

H13年7月11日午前9時に病院へ行く。朝からいろいろ検査をする。

午後になって、分娩室で剃毛と導尿をされる。これが結構嫌だった。

導尿ってはじめてだけど、大嫌いになった。

午後3時半手術開始。日赤の先生が一人助っ人で来ていた。

後は看護婦さんがこの病院の全員いるんじゃないかというくらいまわりにいた。

私はまな板の上の 鯉状態で、まっぱだかではずかしかった。

真っ裸状態で、「横になってくるまった姿勢になってと言われた」

まず、腰椎麻酔を腰にぶすーっと。痛かった。右足にびびーんとしびれが走った。

なんかダメだったみたい・・?でもう一度ぶすーっと。それで効いた。

お腹を切ってる感覚は分からなかったけど、なんか皮をひっぱられているような感じがした。

それから先生があかちゃんの頭をわっさわっさとお腹の上から押 しているのがわかった。

すると、しばらくして赤ちゃんがでてきた。泣いてる。

どうやら産まれたらしい。

看護婦さんがきれいに洗って、私の横に連れてきてくれた。でもすぐに連れていってしまった。

むこうの部屋で泣いてるのが聞こえて来た。

先生が「おめでとう。しんどかったら眠れるようにしてあげようか」と聞くのでよくわからないけど「はい」と答えた。

しばらくしてオレンジ色の世界に行っ た。(あれは麻酔だったのかな。。)

先生の縫合処置が終わって、個室に移された。夜になって麻酔が切れると激痛が走った。

何度も何度もナースコールを押 して、痛み止めの注射や座薬を入れてもらった。

でも時間をあけないといけないと言われてわかってはいるんだけど、痛くていたくてしょうがなかった。

眠れなかった。

付き添いに旦那がいてくれたけど、介護に慣れてない旦那が横にいる事すらわずらわしいくらい痛かった。

腸が癒着したらいけないからとかで、下 剤の座薬も入れられて、ベットで用をたすために看護婦さんを呼ぶ時には泣きたくなった。

ちりとりようなのをお尻の下に敷かされてすごく嫌な気分だっ た。。

赤ちゃんにも会いにいけない。みんな見てるのに。すぐそこにいるのに、私が会えないなんて。。って泣いていた。

次の日の朝、痛かったけど、ベットの上で用をたすのはもう嫌だったので、無理矢理起き上がって

びびる旦那の肩をつかみ個室の端にあるトイレまで歩いた。

子宮収縮の点滴もしてたけど、そんなのは関係なかった。

トイレでしゃがむと起き上がれなくなった。

トイレの横についてある非常用のボタンを押して看護婦さんに来てもらった。びっくりしていた。

その後すこしずつ起き上がり、四日目にやっと新生児室まで歩いていけるようになった。

今まで、旦那にデジカメで毎日毎日撮ってもらっては見てたけど、生でみるのは出産後一目見ていらいだった。

うれしかった。ずっとはりついて見ていた。

2436gとすこし小さかったので、保育器に入ってた。でもこちらを見ているのが分かった。

かわいかった。

それから毎日わが子見たさに新生児室まで歩き、順調に回復。

7日めにはホッチキスのような針で傷口を止めていたのものけてくれた。2週間入院した。

傷口は半年ほどたつと痒みがひどかったときがありました。



みわPさん

お住まい  広島県広島市
帝王切開の回数  1回
出産地  広島県広島市
出産年齢  30代
子の生年月  2003.5
産院(総合・個人)  個人

胎動がいつも下腹の方だったので逆子ではないかと思っていた。

31週で出血して1週間入院。退院翌日また出血で10日間入院。胎児は元気で出血原因は不明。

この頃から病院で逆児体操の指導を受け外回転術も3回くらい受ける(この病院では特に説明はなく診察中にいきなり主治医が「ちょっと力抜いてね」と外回転術を始める。

90度までは回ったが胎児が嫌がってそれ以上動かなかった)。が、逆児が治る気配は全くなく、

病室から参加した病院の妊婦教室で「帝王切開黄信号」と言われる。

この時の妊婦教室では逆児などの経膣分娩が難しいケースについて比較的詳しく説明してもらえたので帝王切開の覚悟をして情報収集を始める(このHPと出会う)。

 

退院後は体操は続けながら破水を避けるために自宅安静の指示を受けるが、次の検診でも逆児は治らないまま骨盤内に降りてきたため家族と帝王切開について相談するように言われる。

家族は赤ちゃんの安全を第一にということで意見が一致していたので翌週の検診で37週5日に帝王切開することが決定。

主治医から手術時間、主治医の他に麻酔専門医ともう1名の3人で手術を行うこと、腰椎麻酔、縦切り(こだわりはなかったので理由は聞いていない)との説明を受け、看護師から手術のスケジュールの説明と麻酔・貧血の検査を受ける。

 

・手術前日

10:00に病院へ。内診・NST・超音波検査の後、剃毛と抗生剤の検査。

剃毛は分娩台でお腹から太腿あたりまできれいに剃られた。

・手術当日

7:00頃いつもの1/4量の朝食後絶飲食。手術後8日目までシャワー不可なのでシャワーを浴びた。

11:00入院。貴金属・めがね・コンタクト・マニキュア・化粧は手術までには取るように言われていたのですっぴんで行く。髪が長いのでゴムでまとめるのはOKだった。

採血(確か貧血の検査)、内診の後、下剤の座薬を入れられる。

 

荷物持ちに来てくれた主人と実家の両親がいったん自宅に帰ってから部屋の整理。

この病院では手術後3日はベッドから出られないので枕元にティッシュや携帯電話などすぐに使いたいものを並べておいた。

術衣に着替え13:30頃から点滴開始。

翌朝まで点滴が続くため通常の点滴とは違い太目の針をしっかり刺す。

私は血管が出やすいので良かった。

2本目の点滴が終わる14:30頃手術開始。

ショーツを取り助産師さん二人がバスタオルをかけるようにして術衣を脱がせ手術台へ。

助産師さんにつかまるように横向きで丸まって背骨のところに麻酔を2本打つ。

2本と聞いていたのにもう1本入ったので何かと思ったら痛み止めのチューブ

だった。注射はそれほど痛くなかったがチューブがちょっと気持ち悪かった。

 

ゴムの袋のようなものを脚にかぶせられて手術台に横たわるとすぐに脚が温かく感じ始めたので麻酔は効きやすいタイプなのだと思って一安心。

手は真横、足は軽く開いた状態で固定、酸素吸入して緑のシートのようなものをかけられてお腹の方は見えない状態にされた。

麻酔医が冷たいものを体に当てて感じるかどうか聞いてきたがお腹の方も感覚が残っていたので不安になる。

麻酔医に言うと「他の所に当てた場合と比べてどうか」と聞くので他よりは感じにくいと答えた。

何回か繰り返しているうちに手術が始まっていたらしい。

主治医の先生の「次、腹膜」という言葉が聞こえた。

助産師さんがしっかり手を握ってくれたので手に意識を集中していたがお腹の感覚は全くなかった。

緊張で少し泣いてしまったがすぐに応援の医師の「(タマタマが)ついてるな」という言葉が聞こえたのであまりの早さに拍子抜けしたが、急に息苦しくなってきた。

麻酔医に訴えると「深呼吸して手をゆっくり握ってみて」と言われたので深呼吸しながら手を握ったり開いたりを繰り返した。

麻酔医の「大丈夫ですか」という言葉に答えつつ意識を集中して「男の子」「3時6分」「2882g」という主治医の先生と助産師さんの会話を聞き取った。

助産師さんがきれいにした赤ちゃんを見せて私の顔に赤ちゃんの顔をくっつけてくれた。

ほんの一瞬だったが「こんな可愛い赤ちゃんは見たことがない(親ばか?)」「温かい」と感動して涙があふれてきた。

 

赤ちゃんはすぐに家族のところへ連れて行かれた。

あくびしたりくしゃみしたり笑ったりの百面相で家族を喜ばせたらしい。

その間に私は傷口を縫ったりの処置をされていたがお腹の感覚は全くなかった。

処置が終わり主治医の先生が「お疲れさん、おめでとう」と言ってくれた。

助産師さんが逆児の原因を聞いていたが、羊水の量もへその緒の長さも十分で巻きついていたわけでもないし全く不明、頬杖をついて何かを考えるようなポーズで座り込んでいたとのこと。

 

助産師さんがパジャマを着せてくれて数人がかりでストレッチャーに乗せられ病室に運ばれた。

病室で導尿をされたが麻酔で全く感覚がなかった。

息苦しさが続いていたため酸素吸入も続けていた。

家族と対面したが酸素吸入とのどの渇きでろくにしゃべれない状態の私を見て驚いたらしく、疲れさせないようにとすぐに帰ってしまった。

定期的に看護師さんが病室に来て悪露の手当てをしてくれたが下半身の感覚が全くなく気持ち悪かった。

ただ手術後初めて会う看護師さんはみんな「おめでとうございます」と言ってくれたので嬉しかった。

 

17:00頃主治医の先生が来て息苦しさが落ち着いたので酸素吸入を外した。

麻酔のしびれは夜中まで続くとのこと。口が渇いて仕方なかったので枕元に置いていたウェットティッシュで顔を拭いた。

20:00頃足先から感覚が戻ってきたのでひたすら足を動かしていたら22:00頃には下半身の感覚が完全に戻った。

麻酔が切れると傷の痛みと子宮収縮の痛みが始まった。

かなり辛かったのでこういう時は眠ってしまうに限ると寝ることにした。

さすがに熟睡はできず目が覚める。

看護師さんに寝返りをした方が良いと言われて体の向きを変えてもらったが、横を向くとお腹の肉の重さで縦切りの傷口が広がるような感覚があって不安だったので自力で仰向けに戻す。腹筋が使えないので大変だった。

仰向けでもお腹の傷が引っ張られるような感じがしたので膝を立てて寝て意識がある間はひたすら足を動かした。

 

術後1日目

早朝に術後最初のガスが出た。朝からお茶が飲めるので楽しみにしていたのに食事係の人がお茶を手が届かない場所に置いていったので飲めなかった。

仕方なくまたウェットティッシュで口の周りを拭ってごまかした。

9:00頃看護師さんが気づいてストローを持ってきて飲めるようにしてくれた。

ストローつきのお茶のボトルを持参していたが冷蔵庫に入れていたため飲めなかったのは失敗だった。

午前中は暇だったので携帯メールで友達に出産報告して返事を読むのを楽しみに過ごした。

昼食は五分粥(ほとんど重湯だった)、具なしスープ、出汁入りの炒り卵、きゅうりのすりおろし。

昼前に主人と義母が来て手伝ってくれた。

面会は基本的に午後からの病院だが、寝たきりで五分粥等水分の多い食事を取るのは難しいので主治医の先生が手伝うように言ってくれていた

らしい。絶食明けの食事はとても美味しかった。

家族が来ていたので赤ちゃんも部屋に連れてきてもらえた。思っていたよりも早く面会できてとても嬉しかった。

夕食後「添い乳」にチャレンジしたが赤ちゃんが寝てしまい断念。病院の方針でおっぱいのお手入れは全くしていなかったので心配で自分で乳首を少し絞ったら初乳らしきものがにじんできたので安心した。

体力回復のために早く寝ようと思ったが微熱で眠れなかった。寝汗もひどいし産褥パッドやT字帯が蒸れて下半身が気持ち悪い。子宮収縮の痛みもありほとんど眠れないままに夜が明けた。

 

術後2日目

朝食は全粥。おかずも固形物が増えてきた。ベッドのリクライニングを起こす許可が出たので食べるのは楽になった。

午前中点滴の後、看護師さんに全身を拭いてもらった。腹帯を取った時に看護師さんが「痛そう」と言うので何のことかと思ったらガーゼを止めていたテープのところがかぶれていた。どおりで傷口とは違うところが痛むと思った。他にもT字帯のひものところなどもかぶれかかっていたらしい。

ショーツに履き替えさせてもらって下半身の不快感はだいぶ楽になった。

この日から本格的に授乳を開始。赤ちゃんが起きたら看護師さんが連れてきて抱っこさせてくれる。腰にU字型のクッションをつけてその上に赤ちゃんをのせて脇に抱えるようにして授乳する。が、部屋に入った途端なぜか赤ちゃんは迷惑そうな顔をして眠ってしまった。

夕食後初めて本格的に吸ってくれてとても嬉しかった。

 

術後3日目

午前中点滴の後、導尿や痛み止めの管を外した。これでやっとベッドから出られる。が、看護師さんに体を拭いてもらっていたらそれまでとは比べ物にならない痛みと吐き気が始まった。眠って体力回復をと思ったが痛みで眠れない。授乳中が特にひどく赤ちゃんを抱っこするのも辛かったのでほとんど看護師さんに支えてもらっていた。昼食後初めてトイレまで歩いたが傷は痛いし吐き気はするしでやっとの思いで移動。排尿や排便自体は痛くないが膀胱が縮むとまた痛む。よろよろと部屋に帰っていたら私よりも2~3日前に手術した人と出会って励まされた。この日は吐き気がひどく楽しみにしていた食事も残してしまった。

 

術後4日目

この日から普通食。朝食後最後の点滴。昼食時から内服薬開始。痛みと吐き気は続いて授乳以外は横になって過ごした。

 

術後5日目

朝食前にクレンメ(ホッチキスのような金具)を取ってもらった。痛いのかと思っていたがほとんど感覚はなかった。その代わりテープかぶれが痛かった。シャンプーの許可が出た。

この日から昼間は赤ちゃんが部屋に来てお世話が始まる。

 

術後6日目

深夜の授乳時に足のむくみに気づいて驚く。主治医に聞くと産後はよくあるとのことで脚を高くして寝るようにした。朝食後沐浴見学。3人のうちもう一人が帝王切開だった。3回目とのことで「3回くらいは大丈夫」と励まされた。

 

術後7日目

朝食後抜糸。午後診察。

 

術後8日目

シャワー許可。沐浴実習。

 

術後11日目

退院。

 

・その後の傷の様子

産後2ヵ月くらいは梅雨だったせいもあってお腹がしくしく痛んだ。最初は妊娠中からの色素沈着やテープかぶれ・クレンメの跡の方が気になったが、産後3ヵ月過ぎた頃から傷口がケロイド状に盛り上がって目立つようになってきた。幅は5㎜くらいで時々ちくちく痛む。

・次の妊娠について

私が出産した産院では「一度切ったら次も切る」という方針らしいが、次の妊

娠については特に注意はなかった。看護師さんに確認したところ「年子の人もいますよ」とのこと。

 

・感想

私の場合は帝王切開で入院期間が長かったことは、母乳育児でやっていける自信につながり大きなメリットだったと思う。ただエコノミー症候群についての説明などは特になく看護師さんからなるべく動くように注意された程度で、足のむくみや吐き気、胸の痛み(持病の肋間神経痛だと思っていた)など、後で考えたら少し怖くなってきた。次の出産の時は予防のため自分でできることはしておこうと思う。



桃teaさん

お住まい  静岡県
帝王切開の回数  2回
出産地  静岡県
出産年齢  20代
子の生年月

 2000.3

 2003.10

産院(総合・個人)  個人

私は第2子出産時に、VBACに失敗し、子宮破裂を経験しました。

幸いにも、今のところ母子共に大きな問題もなく、元気にしていますが、貴重な体験だったと思いますので顛末を書かせていただきます。

 

妊娠経過は順調でした。病院は第1子(出産は3年半前)の時からお世話になっている個人病院で、VBACについての説明も受け、VBACに挑戦する条件もクリアしていました。

予定日を2日過ぎた日に破水のようなものがありました。

受診したところ、破水ではなくおりもの(おしるし)だったのですが、前駆陣痛がかなりあったので、そのまま入院になりました。

それがいつの間にか陣痛になり、子宮口が4~5センチになるまではあっという間でした。

 

痛みは次第に強まってきていましたが、これが陣痛というものだと思っていました。

かなりの痛みで体勢が変えられないぐらいになって、なんだかおかしいんじゃないかと思い始めました。

陣痛の間にも痛みがあるようだったのですが、私が変に力を入れてしまっているせいだと思っていました。

 

一応、ということで手術の準備も始まり、始めに受けた浣腸の他にも剃毛や点滴や導尿もされた状態で陣痛と闘っていたのですが、だんだん痛みでパニック状態になってきました。

教えられた呼吸法もできずに叫んでいました。

おなかの上の方(普通なら胃があるあたり)も痛くなって、力を抜きたいけれど抜けない、という感じでした。

 

事前に、先生から「恥骨のあたりが痛かったらすぐ切るからね」と言われていました。

前回の帝王切開で切った子宮の傷のあたりです。

看護婦さんや先生が「ここ痛い?」と訊いてきましたが、もう全部痛くてそこが痛いのか、他が痛いのかよく分からない状態でした。

胎児の心音も低下していて、内診の際にかなり出血も見られ、下がってきていたはずの胎児も上の方に上がってきていたので、「すぐ切ろう!」との先生の判断で、緊急手術となりました。

 

麻酔は腰椎からの部分麻酔でした。

「すぐに出さないと!」と慌ただしく赤ちゃんが取り出されました。赤ちゃんはしばらく泣かなかったため、NICUのある総合病院へ搬送されました。

産院の先生は、呼ばれて駆けつけた他の病院の先生方と共に私のおなかの処置をしてくださいました。

血圧も下がっていて、何度も「分かる?」と訊かれました。

 

子宮は、前回の帝王切開で切った子宮下部の横の傷に加えて、縦にも裂けていたようです。

幸い膀胱など、他の臓器には損傷がなかったし、帝王切開したのはおそらく裂けた直後だったため、子宮を取り出すこともなく、他の病院に搬送されたり輸血を受けることもありませんでした。

術後の経過は順調で、入院日数も、受けた処置や入院中のスケジュールも、普通の帝王切開の人と全く同じでした。

NICUに入院していた赤ちゃんは生後7日で保育器から出て、生後13日で退院となりました。

 

子宮破裂は母子共に危険になることが多いと聞きます。

私も、あと10分遅ければどうなっていたか分からない、と言われました。

生まれた娘は臍帯血からの検査の結果、子宮破裂の時にも完全に無酸素状態にはならなかったようです。

生後25日まで付いていた太いへその緒のおかげだと思っています。

緊急手術になったのは平日の夕方でしたが、もし深夜などでスタッフが少なかったら、医師の判断が遅かったら、など、いろいろ考えると、母子共に本当に運が良かったんだと思います。

 

VBACについては私なりに情報収集もしていましたし、リスクも承知していましたので、実際子宮破裂を起こした時は、「まさか私が」という思いと共に、「やっぱり」という思いもありました。

それでも私はVBAC自体は否定しません。ただ、VBACを試みるにあたっては、自分や家族が納得していること、医師との信頼関係があること、緊急時に対応できること、おかしいと思ったら即座に伝えることが重要だと思います。



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