帝王切開の理由別体験談
お住まい | 茨城県 |
帝王切開の回数 | 1回 |
出産地 | 土浦市 |
出産年齢 | 20代 |
子の生年月 | 2005.12 |
産院(総合・個人) | 個人 |
私の場合、代々難産続きだったことを聞いていたので、妊娠中は良いと言われるものは何でも試していました。
体重管理をして、出産直前までよく歩き、M字開脚で掃除をしていました。
妊娠中は、まったくもって順調でした。
が、予定日になってもお腹の張りはなく、赤ちゃんが大きめなので超過8日目に入院が決まりましたが、ギリギリ前日に破水。
(予定日を経過することも破水から始まることも想定の範囲内)
結構冷静に病院へ行き、診察、内診を受ける。AM11:00 子宮口1.5センチ。
お腹が膨らむような感覚が時々ある程度で、まったく痛みはなく、立会いをする旦那と陣痛室で、話したりご飯食べたりメールしたり、かなり余裕だった。
良い陣痛がつかないまま夜22;00、風船を入れる。6センチ開くと自然に風船が抜けそうだ。
内診に比べれば、入れるのはあっという間でそんなに痛くはなかったかな。
風船を入れた直後から、強烈なお腹の痛みがやってきた。
それまで、たいした痛みもなかったのに無理やり開いてるからか?2分~3分間隔の激しい陣痛だった。
痛みを逃す為に、トイレに行ったり(便座が暖かくて痛みが和らぐ気が?)横になったり・・・
結局、木馬みたいなのにまたがって揺られていました。
ほんとに感じたことのないありえない痛みで、痛みのない2分~3分があっという間に過ぎて強烈な痛みが次々やってきた。
そんな痛みが3時間くらい続いた頃から、痛みが和らぎ眠気がやってきた。
後から考えると、痛みが和らいだ時に6センチ開ききっていたんだと思う。
朝方の内診で、6センチ開いていて、錠剤の促進剤を飲み始める。
一時間に一粒で3回だった気がする。その後は、点滴にて。
かなり強い陣痛がくるものの子宮口6センチから変わらず。
昼前になると、破水をしているので感染防止の点滴に子宮口を柔らかくするための筋肉注射を2~3回。
注射をする前にも反応をみるとかで腕に何回かお試し注射。
両手は固定され、鼻には酸素吸入、お腹に分娩監視装置がつき、内診でぐりぐり刺激され、注射をぶすぶす・・・
意識朦朧とするなかで、ただただ、陣痛がやってくるたび教わった呼吸法で赤ちゃんに酸素を送ることだけを考えていた。
昼過ぎから、左わき腹に激痛が走る。
それまで痛かった陣痛が分からなくなるほどの激痛に緊急尿検査の結果、尿管結石の疑いあり。
あちこち固定されているのも忘れて、のたうちまわった。
それまで、ずっとそばについててくれた旦那が看護師さんに痛み止めを頼み、私にお腹を切ってもらおうって言った。
私は・・・どうしても下から産みたくて産めると信じたくて、返事をしなかった。
痛み止めを肩に打ってもらってから意識が遠のき、後から聞いた話によると旦那が監視装置の数字を見ながら、私の耳元で呼吸法をしてくれて、私も無意識にやっていたらしい。
痛み止めをしても、陣痛はあるんだね~って関心してた。
旦那は、私が死んじゃうんじゃないかってその時はもうパニックで、「お腹を切ってもらおう」って必死に泣きそうな声で何度も何度も言ってた。。
尿管結石騒動があった後も、促進剤をドンドン強くしていったけど、子宮口は変わらず。
針が振り切るような痛みが1分間隔で来ていても開かない。
お尻を押されるような感覚はないですか?って何度も聞かれたけど、なかった。
結局、18時の内診で変化なく、これ以上は母体を痛めつけるだけ(←旦那に後から聞いた)ってことで、帝王切開に。
診断直後に赤ちゃんの心音も下がってきてたのもあって、私の意識はかなり朦朧ながら、紙にサインし、歩いて手術室に行き、梯毛、導尿、素っ裸で脊椎麻酔・・・早かった・・・
麻酔後すぐに、痛いですか?って聞かれて、痛いって言ったらじゃぁ寝てもらおう!と、全身麻酔で意識がなくなった。
その後すぐに大きな産声をあげて、4108㌘、頭囲が37㌢もある大きな赤ちゃんが誕生しました。
帝王切開だと丸一日は保育器なんですが、その大きさといい元気さといい、なぜ入ってるの?ってくらい違和感があって笑えました。
帝王切開で一番抵抗のあった、初日から母子同室ができないってとこは、経験してわかったけど、ものすごーく助かった。
だって、くたくたなんだもん。。お世話していられないよ。
その代わり、おっぱいの度に赤ちゃんを連れてきてくれて、その時間がとても楽しみだった。
お腹も痛かったけど、下から産めなかった負い目を感じて麻酔なしで耐えた。
産後数ヶ月は、帝王切開になってしまったことをふと考えることが多くて、もうちょっと頑張れば・・・って弱音を吐いたり、妊娠中にしてきたことも、全部無駄だった・・・なんて、言ったり。
そんな時旦那が、「頑張ったから今がある、健康で元気いっぱいの赤ちゃんが育ったんだよ」って言ってくれた。
出血も1500ml.弱あり、時代が時代ならまず助かってなかったと思う。
母子ともに健康で、なによりじゃない。
今は、アレ以来姿を現さないわき腹の痛みも、ムリだから早いうちに帝王切開へって合図をしてくれたんじゃないかと思ってる。
実はかなり安産じゃない?って旦那に言うと、それはないだろ、もう勘弁してくれと言われます^^;
お住まい | 大阪府大阪市 |
帝王切開の回数 | 1回 |
出産地 | 大阪府大阪市 |
出産年齢 | - |
子の生年月 | 2005.7 |
産院(総合・個人) | 個人 |
7月19日に男の子を帝王切開で出産して今日で4ヶ月たちました。
昨日手術跡のテーピングを初めて全て取りました。
傷は緊急帝王切開にもかかわらず横切りでとても綺麗に横ライン状になっていました。
(ハイヒールももこさんと同じ病院です)
私の帝王切開にいたるまでなのですが、今やっとお話する余裕ができたような気がします。
私は40週と6日で出産しました。
予定日より1週間たっているのに子宮が1CMも開いていなくて7月18日AM2時くらいに1時間おきの軽い陣痛がきました。
18日朝7時くらいに病院へ行き陣痛が(まだ生理痛軽い)1時間おきという事で入院になりました。
その日は終日軽い生理痛のような陣痛で一日を終わり寝ていた時、激痛で19日AM12過ぎ目が覚めました。
それからの激痛は5分おきくらいにやってきました。
深夜に2回内診を受けるがまったく子宮口は開いてなく、破水すらしていない状態で、2回目の内診では分娩台にあがって診てもらったのですが足を開くのも激痛でこのうえない状態でした。
陣痛室に戻り朝を迎えた頃、看護師さんがきて「いつ産まれてもおかしくない陣痛なのに」と言われ、その看護師さんに再度、内診を先生にお願いしてもらい診てもらうが1CMの開きでした。
私は立会いではなかったのでもちろん1人で苦しんでいました。
以前より硬膜外麻酔を希望していたので「麻酔して下さい」とお願いしました。
麻酔は6CM開かないとできないと言われましたが、見かねて「硬膜麻酔の準備だけしましょう」と言われ少量の麻酔PM1時くらいにしてもらいました。
激しい陣痛の中の脊髄に麻酔針は、もう辛かったです。背中を丸めての姿勢のキープが。
硬膜麻酔がつかの間1時間くらい効きましたが、逆にNSTで陣痛が微弱になっているとわかり強制破水と促進剤が投与されました。
もうこの時点で自分を失うような激痛が絶え間なく続き、赤ちゃんの心拍が少し落ちているような事を先生が言ってるのが聞こえました。
分娩台から横の手術兼分娩台のような寝台に寝かされ、1分間隔あるかないかの激しい陣痛に堪えていました。
その時に横の分娩台で別の妊婦さんの、お産が始まっているのがうつろな目の中に入ってきました(パーテーションで区切ってあるが途中までしかパーテーションが引かれてなかったので)立会い出産らしくしばらくして「発露」という声が耳に入ってきました。
私はまだなのに・・・
しばらくして医院長先生が来て「いつ産まれてもおかしくないのに子宮が3CMしか開いていない、このままお産が進まないかもしれない」と言われ自分から「帝王切開」のお願いをしました。
その直後から手術への準備に変わる間の、救いのない陣痛が一番辛かったです。
だって赤ちゃんに会える為の陣痛ではないのだから。
いくら最終的な痛みの陣痛を堪えても子宮が開かないのだから・・・
手術用の麻酔は改めて脊髄に打たないといけなく、最初の硬膜を打つ時より陣痛ははげしく自分がもう全裸状態なのもわからないくらいに辛く激しいものでした。
剃毛やカテーテルが行われて、手術の麻酔が効いた時、私は18時間の激痛からの開放に涙がでました。
本当は産んで泣きたかったけど。
激しい陣痛のせいで酸素供給が赤ちゃんにできなくなっていたようで羊水が濁っていたようでした。
2日後新生児室に私の横で生まれた赤ちゃんが16時20分くらいでした。
妹に「妊娠中からヨガや体重管理にと頑張っていたのに帝王切開になってしまっても明るいから感心するわ」と言われた時ショックでした。
今でもあの陣痛が始まってマンションを出た朝を思い出し怖くなる事もありますが、傷が回復してきて息子がスクスクと育っている姿を見て「どう産んだか、よりどう育てるか」と思い毎日頑張っています。
お住まい | 岡山県 |
帝王切開の回数 | 1回 |
出産地 | 島根県 |
出産年齢 | 20代 |
子の生年月 | 2002.10 |
産院(総合・個人) | 総合 |
妊娠8ヶ月から逆子体操を指導され、半信半疑でやってみる事に。
もともと体操をしたところその意義があるのか常に疑問を感じていたのですが、今や妊婦の立場。
Drの言うようにしておこうと思い始めてました。
しかし、一向に頭位になる気配もなく・・・帝王切開の覚悟をし、里帰り。
(里帰りする3日前には体操もやめ)直ぐに受診すると頭位に!!
やっぱり逆子体操なんて意味なかったわっと改めて感じた一瞬でした。
里帰り先の総合病院は、本当に丁寧でエコーも時間をかけて見てくれ、今まで通っていた個人病院とは違うなーと関心しながらの外来でした。
外来で乳房形状も見てくれてました。
39週入り、児頭下降見られず、レントゲン。
まあ、経膣分娩も可能と判断され、自然経過を見ることに。
しかし、なぜか40週3日で予約入院を決められ入院することになりました。
入院初日、午前中入院したにも関わらず誰もアナムネを取ってくれない・・・
Drもこない。今後方針も立たない。
まあ、忙しいからかなあ~なんてのんきな事を思っていたらもう夕方。
何のために入院したのか・・・その旨助産師に伝えると、慌ててDrよりムンテラ。
夕方からラミナリア挿入。
これがとても痛くて。こんな原始的なものを・・・と話すと、薬剤は使わない方針とのこと。
子宮を和らげるなら、膣剤や注射の方が良かったっと思ってももう遅い。
まな板の鯉状態になっている・・・
入院時(月曜)、火曜とラミナリア挿入。
水曜は手術日にて休み(出産と重なるといけないとのことで)木曜、子宮口2.5cmにてメトロ挿入。
すごく痛いよ~といわれていたがラミナリア挿入ほど痛くは無かったような。
トイレに行く度にビローンと出ている風船の先がとても奇妙な光景でした。
金曜、子宮口5cm開大にて点滴により誘発開始。
徐々に子宮収縮の痛みも強くなるが、まだ余裕。”こんなんでうまれるんかな~”などと思いながら・・・
夕方年配のDr内診。
子宮口7cm。卵膜剥離され、飛び上がるほど痛くて、”ちょっと痛すぎ!!”と吠えてしまった。
もうちょっとだから夜も続けましょうと言われ、そのまま続行。
PM7時頃若手Drが”これから担当します”と挨拶にこられ診察。子宮口5cm!!
縮んでる??進行なしにて本日点滴終了。(年配Drの内診は少し大きいのだと後々知った・・・)がっかり・・
翌日も点滴開始。
子宮口和らげる注射もしてもらい、順調に痛みもきてというかすごく恥骨が痛くてどうしようもなかった。
夫はその間、前日からマンガにはまりのん気に”おもいろいで~”と読んでいる。
突然軽快にリズムしていた児心音が低下し、夫に今どのくらいか尋ねると”60”と。
死んでしまう・・・と思い、体位変換、呼吸法必死。回復し安心。
Drは臍帯因子でしょうとのことで、誘発は続行。
ほんとに臍帯因子かなあ~と疑問に持ちつつ、再度低下したら、切ってもらおうと覚悟。
だが、低下せず経過。モニターはつけっぱなしの為、座位にも立位にもなれず・・・
夫に当り散らしながらも子宮口7~8cmで分娩室で人工破膜。
1時間後には、子宮口全開。
分娩準備し怒責開始。児頭下降緩慢にてお腹も押されそれでも駄目で側切開され吸引分娩。
しかし、カップ滑脱。分娩に至らず緊急帝王切開へ。そこからはバタバタ。
採血・レントゲン・心電図・抗生剤テスト・麻酔科Drムンテラなど・・・その間も怒責あり時折気張りも入り。
我慢しながら切開部の縫合もされ。
早く何とかしてーっと言った感じに時間が経ち、どうにか手術室へ。
一連の流れは知っているので、今あれかな~とか比較的に冷静。
麻酔科Drに寝てていいんだよ~っと頭を撫でられながら子ども状態。
児頭は骨盤にはまっているのでなかなか出てこず、血を散らしながら引っ張られ無事出てきた。(お土産に私と麻酔科Drの顔に目掛け血が降ってきた。)
しかし、赤ちゃんはゼエーゼー言っているのでチラッと面会しそのまま手術室から去ってしまった・・・
術後は、4人床に移動され、とても肩身の狭い思いと言うか、声も発っせないと言った感じでそっちの方が苦痛でした。
蚊が大量発生しており、まだ麻酔がかかっている足を目掛け・・・災難でした。(泣きそうだった)
術後すぐ持続硬膜外チューブから痛み止めを注入してもらい、その間にしっかり足を動かし、血栓が飛ばないようにと自己で対策。
朝方に痛み止めの注射をしてもらい何とか手術当日は経過しました。
術後1日目は、夜の手術だったため、座位のみ許可あり。
ベットをあげて徐々に座っていき、足を見てびっくり。蚊にやられたあと数十箇所。
寝たきりのおばあちゃんたちはもっとやられたんだろう・・・っと思いながら、その後も蚊と対決!!
病院でこんなことになるなんて思わなかった・・・
消灯後連日夜寝られなかったので、痛み止めの注射してもらい入眠。
(痛みは我慢できるくらいだったが)これが良く効いて、不思議と朝までぐっすり寝れた。
術後2日目から歩行。夫がきてから一緒に歩行。
なぜなら、起立時に血栓が飛ぶ場合が多く、夫と一緒の方が心強かったので・・など術後は気弱でした。
新生児室までの往復は実際は途中から投げ出したいくらいしんどかったが、夫に弱みを見せてはと思い根性で歩きました。
それが良かったのか、痛いとき積極的に歩いてると後々楽になるときが早かった様子・・・?
その後は順調に術後7日目に、おしもの抜糸、創部の抜鈎。翌日にシャワー。
帝王切開でも順調にお乳が出るように、術後から授乳時間に合わせ乳頭刺激された。
夜中も寝入っていてもされるので術後3日目位まではちょっと辛かった・・・っと、書き出したらとまらないかなりハードな出産体験でした。
分娩のフルコースと言われるそのままの体験をし、かなり貴重な時間でもありました。
母児ともに健在であったのが唯一の救いです。それが、一番です。
出産した病院に対し不満は無いですが、唯一贅沢言わせてもらうなら、術後は1日でも個室か2人床に入れて欲しかった・・・
お住まい | 静岡県 |
帝王切開の回数 |
1回 |
出産地 | 愛知県 |
出産年齢 | 20代 |
子の生年月 | 2001.3 |
産院(総合・個人) | 個人 |
妊娠中から子宮口が硬いとのことで子宮口熟化剤の注射を打っていましたが、
予定日一週間後になっても胎児が降りてこず変化がなかったので予定日超8日目から入院しました。
入院一日目・陣痛促進剤を点滴してノンストレステスト。
痛み全くなし。子宮口は1センチ…。
二日目も同様。寝る時以外ずっと促進剤漬けでした。
三日目の朝「破水すると痛みがつきやすいから」と先生に人工被膜。
最初は生理痛程度…があっっという間に2分間隔の激痛に。
声も出ず姿勢も変えられないまま夕方六時まで人生最悪の時を過ごし、結局3センチしか子宮口が開かず、破水後の感染の心配と予定日超十日目で
これ以上は…と帝王切開を持ち出されました。
もちろん痛みでハラホロヒレハレな私は「しますします」と即答しました。
しかも、付き添っていた実家の母が「なぜか家を出る時に持っていかないといけない気がして」といつも持たない印鑑を持っていたり(同意書にサインするはずの夫は高速道路でこちらに向かっているところでした)…。
促進剤の点滴が抜かれるとあっという間に痛みがひいてしまいました。
そして歩いて分娩室に向かい素っ裸で剃毛…脊椎麻酔をして点滴、血圧計、酸素マスク、両手は縛られてまるでドラマみたいと浮かれていた私でした。
七時半に手術開始、が、どうも麻酔の効き目が弱かったらしくメスが入った瞬間「痛い~!!」
…後日インターネットのお医者さんに聞いたのですが、脊椎麻酔の時に妊婦は大きなおなかが邪魔して腰を突き出せず、脊椎にうまく麻酔液が入り切らないことがあるそうです。
悲鳴をあげたところで酸素マスクに麻酔を入れられて、どんどん気が遠くなる…
はずが「く、苦しいです~」なぜか息苦しくなって気を失ったような眠りでした。
意識が戻った時は耳だけが聞こえていました。
看護婦さんたちが私の体をストレッチャーに乗せる気配とか。
自分の個室に帰った頃には目も開くことが出来たけど、話せるくらいになったのは夜十時頃でした。
ちなみに子供は手術開始十五分で誕生、私を見送った母と入れ違いに到着した夫は「もう!?」と驚いたそうです。
術後の子宮収縮の痛みは全くなく、ただ異様に暑がってタオルケット一枚で足を出して寝ていました。
カルテには「軟産道強靭」と書いてありました。
一方母子手帳には「児下降不良」とあります。
一時期、次は経膣で産みたいと強く思っていていろいろ相談しましたが、母親側の事情で帝切した場合は、次回経膣分娩は難しいのでは、という答えでした。
経膣で産める確率もまったくゼロではないでしょうけど、私と子供の安全を思うと、たぶん私は次も帝王切開を選ぶと思います。
お住まい | 広島県 |
帝王切開の回数 | 1回 |
出産地 | 岡山県 |
出産年齢 | 20代 |
子の生年月 | 1999.3 |
産院(総合・個人) | 個人 |
私の場合、なぜ初めの出産が帝王切開になったかと言うと、臨月に入っても子供が降りてこず、子宮口もほとんど開かない状態で予定日を9日過ぎ陣痛が来たのですが、破水後も子宮が開く様子もなく、やっと2cm!ぐらいの状態なのに3分間隔の陣痛・・・。
あまりの陣痛のキツさに何度も吐いたりしていました。
苦しみのあまり、さすがに先生に帝王切開を懇願していたのですが、年齢の若さもあって「破水後24時間待ってダメなら切りましょう!」との事。
泣きながら陣痛をこらえました。
が、結局子宮口は開かないままお昼になり(陣痛は前の日の8時ぐらいから軽いのが始まり次の日の5時から5分間隔になったので7時ぐらいに病院に入っていました。)
子供の心音が急に聞こえなくなったのに母が気がつき、急遽帝王切開に!
1時間後、無事に出産しました。
後から聞くと首にへその緒が巻き付いていて心音が下がったとの事。
タイミング的にも一歩間違えれば!って感じだったそうです。
結局、母子手帳には「帝王切開術・軟産道強靭症」と記載されていました。
軟産道強靭症とは、雑誌なんかを読むと高齢出産なんかに多いと書かれていて、参考例も少なく、どんなものか良く分らなかったのでとても不安でした。
実際に私も検診通院の時に子宮口の開きが悪いせいで先生から「難産になるのを覚悟して下さい」と言われたり、
「しっかり動くように!」と言われていたので出産の直前までスイミングをしてみたり、洗車&WAXがけをしてみたり、また子宮口を広げる薬の注入に漢方薬を飲んでみたり、それなりに努力をしてみたのですが駄目で、自分が雑誌の言う、軟産道強靭症なのかな?とはなんとなく思っていました。
ただ、先生も「若い子は子宮口が破水後にパッと開く事があるから!」と言う理由でナカナカ帝王切開に踏み切らなかったようです。
結局は切りましたが・・・。
私の場合、陣痛がかなり辛かったので、こんな事なら始めから切って欲しかった!って言うのが素直な感想です(笑)
なにはともあれ、その時産んだ子供はすくすくと成長し、大きな病気もせず私達に幸せを与えてくれています。
今回は自宅のある広島県の個人病院での出産になるのですが(上の子の保育園があるので)先生に「初めが帝王切開だったからって自然分娩が無理って言うわけではないのだけど、子宮破裂って事もあるので、大事を取って帝王切開にしましょう!」と提案され、出産予定日は6月19日なのですが6月11日に手術(出産)が決まりました。
子宮破裂になると子供はほぼ助からない状態で更に母体も危なくなったりするらしいです。
でも、ココのHPを見てると帝王切開の後、自然分娩って方も多いですね。
初めが帝王切開だったので、次は自然分娩で!と行きたかったのですが・・・。病院の先生の考え方もあるんですね。