- 胎児仮死2 -

帝王切開の理由別体験談


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ゆうとんままさん

お住まい  山口県
帝王切開の回数  2回
出産地  山口県
出産年齢  20代
子の生年月

 2001.2

 2003.10

産院(総合・個人)  総合

妊娠が判明してから、お産は実家の近くの産院と決めていたので、実家の近くに新しくできた個人病院に通っていました。

28週の検査で子宮がやわらかくなっているのとお腹が張るのとで切迫早産、安静にするように言われた以外なんのトラブルも無く予定日を迎えました。

予定日2/17、通常通り検診に行き、先生から「うーん、羊水が少なくなってきているので19日に陣痛促して出産しましょう」といわれました。

 

19日、母と二人準備していた入院セットをもち、親戚や友達に「今からちょっくら産んでくる」とメールをおくり、産院に向かいました。

「お腹の赤ちゃんをみましょう」といわれてエコーをはじめたのですが・・・

先生の表情は険しく「外(待合室)にいるのはお母さんですか?」と聞かれ、病室に入ってもらうよう看護師さんに言っていました。

「??」私も、母も何事て感じでいたら「これ、あかちゃんね。ここ肺ね。つぶれているでしょう。産まれても呼吸できなくて死んでしまうかもしれないからうちでは産まないで、小児科の先生がいる医大で産んでください」死ぬ・・・あまりの突然のことに、私はかなり動揺しました。

 

医大に行き、教授の内診をうけ、超音波検査をし、 NSTをつけて調べましたが

「ここまで大きくなっているともう、異常とかなかなかみつけられない」との事でした。

ただお腹の張りも規則ただしくきているし、赤ちゃんもおりてきているし、このまま陣痛がきたら無事お産できますよ。といわれて家に帰させられました。

もし何かあった時のために、うち(医大)で産むことを薦めます、といわれ医大に転院しました。

その晩、「もし産まれたら死んじゃうのかな」と思うと泣けて泣けて、殆ど眠れませんでした。

 

翌日20日医大へ。

NSTをするというので、朝早くからでかけました。

はじめてからしばらくして、規則正しく聞こえていた心音がだんだんゆっくりゆっくりと落ち始めました。

「あかちゃんが弱ってきているのでこのまま観察入院してください。」といわれてそのまま入院しました。

その後2回心音が落ち、

「また心音が落ちることがあればすぐ帝王切開します。もてば、明日にでも陣痛を促してうみましょう。」といわれました。

主人と両親にかこまれ、このまま明日までもってくれればいいね。と話しました。

午後九時を過ぎ、両親は帰り、「10時までいるから」と主人は残りました。

赤ちゃんの心音は正常、昨日の疲れから二人うつらうつらしていると、再び心音低下。

バタバタバタと先生や看護師があつまり、「今から手術します。ご主人は外でお待ちください」

私は丸裸にされ、手術する部分を剃毛され、手術用のガウンに着せられ、血管確保の点滴をされ、麻酔科の先生がやってきて、全身麻酔で手術する説明を受けました。

はっきりいって、あまり憶えてません。

 

病室から手術室に向かう途中、主人から呼び戻された両親と主人がいて、「がんばれっ」とか言われたのをうっすら憶えてます。

手術室は、すこし肌寒く、切る部分をこれでもかっとつめたい消毒液で消毒され、寒さと恐怖で震えが止まりませんでした。

 

麻酔科の先生が「どうしました?大丈夫ですよ。」と手をずっと握っていてくれました。

「今から、麻酔を入れます。私が5秒カウントすると意識がなくなりますからね」

といわれ、そんなばかなっと思った私は、見事に五秒で意識がなくなりました。

 

遠いとおーい意識のなかで、名前を呼ばれているような・・・

はっ不覚っ寝てしまった。と思って目覚めたときは手術は終わっていました。

「あかちゃんは?あかちゃんは?」

「元気な男の子ですよ。大丈夫ですよー」と言う声を聞いて、再び意識を失いました。

 

子供は一応検査のため4日入院し、なんの異常もみつかりませんでした。

先生の話では、羊水が少なくなってきたのでへその緒が圧迫され、酸素が赤ちゃんにいきづらくなっていたのではないかということでした。

傷は縦に約15センチほど。赤黒く盛り上がっています。

麻酔による後遺症はまったくありませんでした。ただ気道確保のための呼吸器で扁桃腺がはれ、熱が2日ほどでました。

手術翌日から足をすこしづづ動かす練習をはじめ、二日後には自分で起きれるようになりました。

三日後には、尿管がはずされ、ゆっくりですがトイレにも行けるようになりました。

悪露がでなくて、帝王切開だとでないものと思っていたのですが、帝王切開だと子宮の戻りが遅くなるということで、子宮収縮の薬を処方されました。

それからは普通に悪露はでました。

5日後、退院してきた子供と母子同室になり、初めての直母。

12日の入院で無事退院できました。

費用はあいまいですが、40万はかかりませんでした。

 

~2人目~

二人目の妊娠に気付いたのは、二月でした。

昨日まで平気だったキムチが、その日蓋を開けたとたん「うげっ」となりました。

ひどい悪阻とともに妊娠生活に突入しました。

 

前回帝王切開ということもあり、上の子と同じ病院へ行きました。

「今回はどうします?上からでも、下からでも選択できますよ」担当医から言われました。

「ただし・・・」とVBACのリスクの説明。

子宮の壁に傷跡があるため、子宮が弱く破裂を起こす危険があること。

100人に一人の割合で起きてしまう。そうなったとき母子とも危険な状態になる。

胎児死亡・重度の障害、子宮全摘出、最悪の場合は、母親も死亡。

陣痛促進剤の使用ができないこと。

正産期にはいって、何らかのトラブル(逆子、子宮壁が薄いなど)が見つかった場合は、迷わず切開になること。

VBACに対して少しでも不安を感じるようなら、切開したほうがいい。などいわれました。

正直な所、どちらのお産になっても不安に感じてました。

前回が緊急の帝王切開だったので、そのときの怖かった気持ちをけっこう引きずっていたりして、その上VBACのリスクも普通になかなか受け入れられる内容ではなかったので・・・

 

しかし、周期が進むにつれ「VBACしたいっ」と思い始めました。

母親学級でラマーズ法なんか習ったりして、家に帰ってヒーヒーフーの日々。

ところが、8ヶ月にはいった超音波検査で、羊水がかなり少ないことが判明。

詳しい検査をしてみましたが、原因は不明で、「胎児の安全を考え、帝王切開しましょう」と先生からいわれ、あえなく予定切開になりました。

手術は38週に入って、すぐ行われることがきまり、「羊水が少ないから、とにかく注意してください」といわれましたが、何をどう注意していいものか・・・もしかして、破水しているのに私が気付いていないのかもと、下着とにらめっこの日々。

無事赤ちゃんは成長しているのかしらと、眠れない日々がつづきました。

37週の超音波検査で胎児の大きさが約2900グラムと聞き、やっと安心して眠れました。

 

10月7日入院

この日は、術前説明と麻酔説明がありました。

今回私がお願いしたのは、硬膜外麻酔といって、無痛分娩でも使われる方法です。

腰から、細いチューブをいれて、腰の周りだけ効かす麻酔です。

麻酔が効くのに15分ぐらいかかり、麻酔が効きにくい場合は全身麻酔に切り替わることもあるそうです。

まれに、チューブをいれたところから感染症になることがあること、足にしびれが残ったりすることなど説明をうけ、承諾書にサインしました。

前回は全身麻酔で何も分からないままだったので、今回は絶対赤ちゃんをみるぞっと思い、硬膜外麻酔にしました。

 

次に、手術説明です。

皮膚縦切開、(前回の傷跡は固くなっているので、その部分は綺麗に取り除き、縫合するそうです。)子宮下部横切開で行われます。

子宮下部を横に切ることにより比較的出血が少なく、子宮を縦に切るより、次回VBACしやすいといわれました。

子宮は、赤ちゃんを育てるためにたくさんの血管があつまっているので、少しの傷でもかなりの出血があるそうです。

私の場合、羊水を含めて1000ml以内の出血を見込み、2000ml以上の出血、もしくは血圧が極端に低下すると輸血を行いますと言われました。

術後の感染症を防ぐため、3日間抗生物質の点滴を行うこと、癒着、血栓症(エコノミー症候群)などの説明を受け承諾書にサインしました。

意外と詳しく説明をしてもらえたので、「怖くなった?」と先生に言われましたが、その逆安心して先生に任せられるなぁと思いました。

 

10月8日手術決行の日

この日は食事抜きということで、朝から点滴をし、浣腸され、剃毛され、手術に備えました。

3時45分にオペ室へ。

執刀医、助手、麻酔科3名、小児科3名、ほか看護師や研修医達を含め15名以上のスタッフがスタンバっていました。

さすが大学病院といったかんじでしょうか?

心電図や血圧計、尿管をつけられ、いよいよ麻酔です。

狭いオペ台の上で背中を丸めて、痛み止めの注射をされ、ゆっくりとチューブが挿入されました。痛みとかは全くなかったです。

麻酔薬が投与されましたが、なかなか効かず、3回増量され、完全に効くまで1時間近くかかりました。

その間一回ほど息苦しくなり、自分の心音もゆっくりになってきて「あっやばいんじゃないの?」と思っていたらオペ台が少し左に傾き、呼吸も心音も正常に。

大きなお腹に静脈が圧迫されての息苦しさでした。

その後寒さと恐怖で震えが止まらず、布団乾燥機の小さい版みたいなのを上半身に装着され、温風が体を温めてくれました。

 

「それでは手術を開始します、お願いします」

私は、全神経をお腹に集中させ、いつ切られるかとドキドキしてましたが

「今すぱーと行きましたが分かりました?」と麻酔科医にいわれ「えっぜんぜん分かりませんでした」あぁよかった麻酔効いてるよ、と思うと緊張が解けて、気持ちが楽になりました。

私の横で麻酔科の先生がちくいち、実況生中継をしてくれました。

すぱっと切ったらすぐおぎゃーと思っていたのですが、意外と子宮に到着するまで時間がかかったような・・・

なんだかじゅっじゅっと香ばしい匂いなどしていたので、レーザーなどで癒着を剥がしていたのでしょうか?

まだかなっまだかなっなんだかつかれてだんだん眠気が・・・

「今から内臓がぎゅーっと引っ張られる感じがしますよ」の声で、体内の内臓が下にぐーんと下がった感じがしました。

あっ今子宮を出したんだ。

「もう少しで、赤ちゃんが産まれますからね」「お腹が押される感じがしますよ」の声とともに

「ぶぎゃっ」「5時2分女の子です」「おめでとうございます」

スタッフ達のたくさんの祝福の声、元気に泣いている赤ちゃんの声。感動してうれしくて、涙がポロポロ。

帝王切開で生まれてくる子は子宮を通らない分、肺水が出にくいので泣かないと聞いていたのですが、産まれてすぐの産声にうれしくて、うれしくて。

 

体を綺麗にしてもらって私の横に来た時、ぼーと私を見つめていました。あぁちっちゃい。

その後子供は一足先にNICUへ、外で待つ主人と母はあまりにも元気に泣いている赤ちゃんだったのですごく驚いたそうです。

私は、後処理をしてもらっている間、寝ていました。

一時間ほど寝て、目覚めると手術は終わりました。

子宮収縮の痛みがずーんと下腹部にかんじられ、あぁ出産したのね。と再び実感。

その夜は、子宮収縮の痛みと、手術の興奮と、一時間おきに血圧など測りに来る看護師のお陰で、まったく寝れませんでした。

 

お腹の傷は、麻酔のチューブがまだ入ったままというのもあって、耐えられる程度の痛みでした。

術後から熱が38度~39度あり、3日間さがりませんでした。

点滴がはずされた後も、抗生物質と子宮収縮の薬を3日間飲みつづけました。

手術の翌日から、ベッドの中で体を動かす練習をはじめ、その翌日にはベッドから立ち上がり、屈伸運動などはじめました。

動くのに邪魔になるので、尿管と背中のバルーンをはずしてもらい、点滴もとれて身軽になりました。

その翌日には、母子同室へ。待ちに待った再開にうれしくて、うれしくて。

 

しかし、その夜、授乳のためベッドから立ち上がろうとした私は、腰が抜けてしまい立てなくなってしまいました。

どうやら“ぎっくり腰”・・・あかちゃん抱いていなかったので良かったですけど・・・湿布を処方してもらいました。

悪露は前回同様あまりでず、超音波でみたところ、随分とたまっているということで子宮の中の掃除をうけました。痛かった・・・

手術から一週間、抜糸をしましたが先生曰く「特殊な縫い方をしたから」ということではさみ一度パチンと鳴っただけで抜糸終わり。

シャワーが許可されたので、はじめて自分の傷口をみてびっくり。

とても綺麗になっていました。

前回かなりケロイド状になっていましたが、一ミリほどの線が残っているだけ。

うれしくて先生に「すごく綺麗になっていてびっくりしました」というと先生、にやりっとして「特殊な縫い方をしたからね」とうれしそうに去っていきました。

 

教授の内診をうけ、退院許可がでて、入院から13日目に退院しました。

分娩費 133、000・手術料など 171、370・食事、室料 36,810 合計341、180円でした。

 

国立の病院という事もあって、とにかく先生や看護師皆親切、丁寧、なんていっても全然威張っていません。

とても居心地のいい、入院生活でした。手術も術後もすごく楽でしたし、これだったら3人目もと思っていますが、なんといっても妊娠生活が嫌っ。

出産までつづく悪阻、五ヶ月頃からはじまった腰痛、恥骨痛。

切迫早産、安静にしなくてはいけないときに、主人の大病、子供の喘息入院、祖母の死。

妊娠生活をせずに、出産、子育てだけならいいんですけど、そんなのむりですよね。

とりあえずは、子育てに専念して頑張ります。

ひょっとしたら体験談3回目なんてなってしまったりして・・・



赤ずきんさん

お住まい  愛知県
帝王切開の回数  1回
出産地  愛知県
出産年齢  20代
子の生年月  2003.2
産院(総合・個人)  総合

2月20日

深夜から陣痛始まるものの、不規則で痛みも弱く、朝方にはウトウト寝てしまうほど。

 

21日(出産予定日)

朝9時におしるしあったので外来で診てもらうと、子宮口開き1~2センチで「お産はまだまだだから、家が近ければ帰ってもいいよ」というので、帰宅する。

午後は生理痛のような鈍い痛みが続くが、これまた弱く昼寝する。 

晩御飯食べお風呂から出ると少し痛みが増したので、11時に入院する。

病院の入口まで迎えにきてくれた看護婦さんと話しながら陣痛室に移動する。

私の歩き方と話し方で、看護婦さんから「わりと平気なのね」と言われる。

そしていざ陣痛室に入り入院手続きも浣腸も済ませ、頑張るぞー!と気合十分なのに、陣痛が遠のいてしまった。助産婦さんからは「病院に来ると安心感からか、陣痛が弱まっちゃう人、たまにいるのよね」といわれる。

自分は別に安心してるつもりないんだけどなあ。

 

22日

午前中一時帰宅することにする。この時点で子宮口3センチ。誰もいない家に帰るのは少々不安だったが、陣痛室に長居するよりまし。

助産婦さんに「辛くなったらまたすぐ戻っておいで。あまり我慢しちゃダメだよ」と言われるが、今度こそ、ギリギリのところまで家にいようと思った。

午後、これまでにない痛みになってきて初めて、今までのは前駆陣痛ってやつだったんだって気付く。それからは痛みに耐えながら家にいるが、深夜3時についに再入院。

一時帰宅したときと同じ助産婦さんが夜勤で「早く産んじゃいたいよね。頑張ろうね」と、2度目の浣腸。

 

23日

ま~だ生まれない。5分間隔ぐらいで陣痛きてるからさすがに家には帰れないし、日曜日だったので旦那も来てくれて、1日中病院内を一緒にウロウロ歩いて陣痛をつけるよう頑張る。

お見舞いの人たちがいっぱいいてみんな嬉しそうなのに、私は一体いつまでこの苦しみが続くの?と悲しくなる。

夜10時半、ついに破水。ここからはどんどん陣痛がすすんでいく。

 

24日

2時ごろにはお尻にいきみたい感じが出てきた。4時には子宮口8センチ、陣痛2分間隔。

助産婦さんに「いよいよだよ。旦那さんに電話してくるね」と言われ、嬉しい。が、その後赤ちゃんの心音が弱り始め、旦那が病院に着いた4時半には、大騒ぎになってた。

超音波で胎児の回旋異常とヘソの緒が二重に巻きついてることが分かった。

それから普通分娩で産めるかレントゲンを撮った。

医者は「(帝王切開か普通分娩か)中途半端なんだよな~。困ったな~」と、すごく迷ってる様子。

 

私としては4晩も寝てないし、正直普通分娩で産める体力も残ってなかったので、早く帝王切開して~!と叫びたかったが陣痛で言葉が出ない。

結局赤ちゃんのことを最優先して、帝王切開により8時42分出産しました。

 

陣痛をたっぷり味わった後の帝王切開でした。

退院時お医者さんに、次は普通分娩でトライできますよと言われ、助産婦さんにも、次は下から産もうねと言われたので、

2人目はぜひ普通分娩にトライしたいと思ってます。



はぎゅさん

お住まい  横浜市
帝王切開の回数  1回
出産地  横浜市
出産年齢  20代
子の生年月  2002.11
産院(総合・個人)  個人

予定日を過ぎたので誘発出産するために入院し、N.S.T.検査を始めたところ

胎児の心拍が90まで下がってしまい、分娩室に移動して様子をみました。

その間私は鼻から酸素をおくられていました。

途中、子宮口を先生が見てくれ「2cm程開いてるし、赤ちゃんも下りてこようとしてるからガンバッテ」と言われました。

しかし、再度胎児の心拍が下がったので、帝王切開となりました。

 

そこからは、たくさんの看護師さんが周りをバタバタ走り回って準備が進み手術となりました。なんだかあっという間でした。

初めに心拍が下がった時も看護師さんの慌てた状況に「危険なんだ!」と驚き、帝切が決った時も「もうダメかも~!」とオロオロして涙が出てきました。

前の週までの健診の先生の予測よりもだいぶ大きかったようで(特に頭が)お腹を切って取り出すときもなかなか出てきませんでした。

一度目は上手く出てこなくて、胃の辺りから順に一人の先生が押してもう一人の先生が引き出したって感じでした。

その間も「大きいなぁ~。出てこないなぁ~」って声が・・・。

「赤ちゃんは大丈夫?!」と不安でいっぱいでした。

赤ちゃんの鳴き声が聞こえた時は、ただただホッとして、感動とか味わってる余裕はなかったです。

 

産後は、お腹が痛くて痛くて、、、病室で発狂してた気がします。

術後2日間ほどの記憶があまりありません。主人や母と話した内容を殆ど覚えていません。

写真もありますが、かなりコワイ表情してます・・・。

その後の回復は順調な方だと思います。

6ヶ月経った今は、天気が悪くなるとお腹が痛くなります。

 

先生に理由を聞いたのですが、「ただ大きかったからだろう」の一言でした。

結局、ハッキリした原因はわかっていません。

 

お腹を縫ってる頃、ちょうど横の分娩室で経膣分娩が行われていて、「もう赤ちゃんみえてますよ」「がんばって~」

「はい、いきんで~」「もうちょっと~」という声が聞こえて・・・

なんか、ど~~しても生れる瞬間に立ち会いたくなくて、

「このまま起きてます?寝ちゃいます?」の看護師さんの問いに、速攻で「寝たいです」と言って麻酔してもらいました。

不妊治療での妊娠・出産だったので、無事お腹で育ってくれて元気に生れてくれただけで、うれしいのですが、、、

産後すぐは複雑な気持ちが続きました。



ゆっきーママさん

お住まい  福岡県北九州市
帝王切開の回数  1回
出産地  福岡県北九州市
出産年齢  20代
子の生年月  2002.5
産院(総合・個人)  個人

予定日を8日過ぎ、次の日誘導分娩をしましょうと言われていた前日に、朝から下腹部に生理痛の様な痛みが来ました。

初産で陣痛の間隔もまだ長かったため病院の指示で夕方まで家で待機していました。

いざ病院に行って内診をしてもらったらもう6cmまで子宮口が開いていました。

看護師さんからは早ければ今夜中に産まれるかもと言われていました。

しかし、子宮口が7cm開いた時点からなかなか陣痛が強くならず、

そのまま朝になり、助産師さんに「ちょっと子宮口を刺激します」といわれ、内診で揉みほぐされた時は激痛が走り、今まで痛みをこらえていたのが涙と痛みの叫び声をあげてしまいました。

そのおかげか子宮口は9センチまで広がり、待ちに待った分娩室へと移動する事ができました。

しかし、しばらくすると先生が「赤ちゃんの心拍が急に下がりました。まだ赤ちゃんの頭も降りてきてないし、全開大するまでにはあと2時間はかかります。

赤ちゃんが危険なので帝王切開にしましょう。」と言われ、オペとなりました。

 

もともと私は身長が低く、先生から赤ちゃんが3000gを超えれば帝王切開になるだろうとは言われていましたが、産まれてきた娘は予定日を過ぎていたせいもあり、3236gもありました。

先生はなぜ赤ちゃんの心拍が下がったかは原因がわからないと言っていました。

娘はへその緒が37cmくらいしかなかったのでなかなか降りてこられなかったんじゃないかと先生は言っていました。

娘もお腹の中で苦しかったのか便をしていた様で、羊水が少し濁っていたそうです。

 

ここの病院では手術直後はすぐに赤ちゃんが見れず、私が部屋に戻って

麻酔が覚めて落ち着いたときに赤ちゃんを病室に連れてきてくれました。

術後の経過も良く10日後には無事退院しました。

娘も何も問題なくすくすくと育っています。

あの時すぐに帝王切開してもらって良かったと思います。



びっきーさん

お住まい  愛知県
帝王切開の回数

 1回

 (2度目はVBAC)

出産地  愛知県西尾市
出産年齢  20代
子の生年月

 1999.12

 2002.10

産院(総合・個人)  個人

予定日の3日前(金曜日)におしるしがあって受診しました。

前駆陣痛はあったけど、まだまだ痛いほどではありませんでした。

内診して先生に「全然下がってきてないのにおしるしがあるってことは、もしかしたら帝王切開になるかもしれません」と言われ、それまで考えもしなかったので頭がまっしろになりました。

 

そのあと、NSTとレントゲンをとってみたらレントゲンはクリアだけど,NSTで時々胎児の心拍が落ちてしまうことがわかって次の日に詳しい検査をすることになりました。

翌日(土曜日)、入院の支度をして分娩室で陣痛促進剤を使って弱い陣痛を起こして胎児が耐えれるかどうかの検査をしました。

主人もついててくれたし、助産婦さんもやさしい人だったので怖くは無かったです。

やはり胎児の心拍は時々落ちてしまいました。

助産婦さんから「入院だね」っていわれたけど、先生は「部屋が空いてないから明日の午後入院して様子をみます」といわれました。

帰り際に助産婦さんが「今日、促進剤で刺激してるから今夜、本陣痛がくるかも」と言われました。

 

翌々日(日曜日)の明け方から1時間に1回くらいで痛みがきました。

その後間隔が短くなってきて、10分間隔になりました。

まだ朝の9時だったんですが赤ちゃんが心配だったので病院に電話したら「部屋が空いてないけどいい?」と聞かれ、「どこでもいいです」と言ってすぐ入院しました。

そのときの内診で子宮口は1cmしかあいてなくて病室が空くまで陣痛室で待機してて陣痛は15分~20分間隔でした。

 

午後に病室に移動して、夜までマタニティヨガをやったり、階段の上り下りをしたりして待ってました。

夜8時頃にNSTをつけたら、胎児の心拍がすごい落ちてしまい、すぐ院長先生が来てくれて、「もう赤ちゃんが苦しくてかわいそうなので明日の朝、帝王切開で出します」と言われました。

その後はウテメリンの点滴に始まり、剃毛、浣腸、絶食、絶飲と忙しかったです。

しかもウテメリンを打っても陣痛が治まらなくて、副作用の動悸だけがひどくて全然寝れませんでした。

 

月曜日の朝9時に手術が始まって、9時9分に産まれました。

腰椎麻酔で、途中で少し気持ち悪くなりましたが、吐くものがないので「おえ、おえ」と言ってただけでした。

術後は寒気がすごくかったです。

なるべく体を動かしたほうがよいと聞いたので足を徐々に動かすのから初めてその日のうちに起き上がってたら看護婦さんに驚かれました。

 

原因は胎児仮死ですが、羊水が少ししかなくて、体重も2100ちょっとしかなかったので無理に自然分娩にしなくてよかったと思います。



えるびぃさん

お住まい  静岡県
帝王切開の回数  2回
出産地  静岡県
出産年齢  30代
子の生年月

 1999.1

 2002.3

産院(総合・個人)

 総合

一人目のときの理由は胎児仮死でした。

予定日ちょうどに検診があったので、いつも通りに病院にいってNSTをやったら、はじめてすぐぐらいに心音が落ちました。

私の担当の先生がまだ来ていなかったため、もう一人の先生がすぐに来て、

「もう少し様子を見て、また落ちたら即出そう」と言われ、夫に電話するように指示されました。

ですが、もう少し様子を見てというのではなく、結局、即手術になりました。

 

夫は電車で30分くらいかかるので間に合わないかと思い、手術の同意書はお義父さんに署名してもらったのですが、お義父さんのほうが動揺していて「義父」という漢字がわからなくなってしまったのがおかしくて笑えました。

私自身はなぜかそれほど深刻に考えていなくて、余裕がありました。

結局、夫は私が手術室に向かうところで来てくれて、会うことができました。

 

手術で一番怖かったのは背中にうつ麻酔の注射でした。

盲腸の手術をした妹から、これが一番痛いと聞いていたのでびくびくしていたのですが、全然痛くありませんでした。

手術中は麻酔がよく効いていたのか、切っている感じも出す感じもまったくなく、子供の泣き声で出てきたのがわかったくらいでした。

子供が出てきてもすぐには見せてもらえず、小児科の先生の診察を経て、やっと顔を見せてもらえました。

その後、「眠ってもいいよー」という先生の声でスーっと眠くなり、気が付いたら病室のベッドの上でした。

 

驚くほど簡単に産まれてきたので、これでいいのかなと思っていたのですが、入院中はつらかったです。

手術当日の夜は足の感覚がないのが気持ち悪くて、あと点滴や導尿や背中につけられた麻酔の管がうっとおしくて、全然眠れませんでした。

それに、その日は秋口なのにすごく暑い日で病室に蚊が入り込んでて、さされまくってました。

腕があまりにも痒いので、看護婦さんに薬をつけてくれるようにお願いしたら、電気をつけてびっくり!足が蚊のえさになって、すごいことになってました。

麻酔でかゆみを全然感じてなかったんですね。

結局、なぜ心音が落ちたのかはわかりませんでしたが、子供に異常はなく、元気に育っています。

 

~2人目~

二人目は、前回の帝王切開で切った子宮の壁が薄くなっていて、子宮破裂をおこす恐れがあるとのことで、予定分娩となりました。

 

前日から入院して準備万端整えていたのですが、不思議と2回目のほうが怖さを感じていて、入院一日目はまったく眠れませんでした。

1回目は笑う余裕すらあったのに・・・。

手術までに時間がありすぎるというのも逆に考えすぎちゃってよくないのかもしれません。

手術では麻酔があまり効いているような感じがしませんでした。

1回目とは全く違い、切っている感じもあるし、赤ちゃんを出すときはおなかの中をえぐられているような感じで気持ち悪かったです。

終わったあともまったく眠くならず、術後の縫合している先生方の雑談に突然加わったので、びっくりされました。

 

逆に入院生活は1回目に比べて全然楽でした。

足の感覚もその日の夜には戻っていて動かせたし(これって麻酔が本当に効いていたのかな?)、

眠れないということもありませんでした。

あまりにも元気なので、夫が「前回と全然違う」と驚いていました。

なお、一回目の手術後、傷跡が太いケロイド状になってしまいましたが、二回目の手術後は少し細くなりました。切り方は2回とも縦切りでした。



まりんこさん

お住まい  和歌山
帝王切開の回数  1回
出産地  和歌山
出産年齢  20代
子の生年月  2002.3
産院(総合・個人)  個人

自宅にて一晩泣きながら痛みに耐え、朝6時ごろ病院へ。

陣痛室にてNST。陣痛の波がくると顔がゆがむが、引くとだんなとも話せる。

病院はソフロロジー法推奨。呼吸法をうまく出来ると少し楽。

しか~し、浣腸がとてつもなくつらい。トイレの壁をどんどん叩きまくる。

9時、先生の診察。赤ちゃんがあまり降りてきていないので四つん這いでいるよう指示。

この後、陣痛の合間も眠くてふらふら。家族たちとも話せない。四つん這いもつらく出来なくなってくる。

 

隣の部屋で分娩の用意が始まる。私なのか、隣にいる方なのか、どちらが先なんだろう・・・。

これで隣の方が先ならいつまで続くんだろう・・・。

看護師さんが「いきみたくならん?」と聞く。いきみたい感じはまだない。

 

午後1時半、分娩室の扉が開いた。と思ったら、ベッドごと分娩室へ。

横向きに寝て陣痛に耐える。(アクティブバース推奨。)

「いだいようー」と声がでる。体がのけぞる。看護師さんに叱られる。

先生が来て、指で人工破膜。い~っきに痛みが襲う。

胎児の心拍が落ちる。。。痛みで何が起こっているのかわからない。

先生、「お母さんが頑張らんからや!!!」。

私、「だって痛いんやもん!!!!!」。

実際、赤子のことを考える余裕は全く無かった。

鼻から酸素!看護師さんが二人馬乗り!先生が吸引!

もう痛すぎてどこが痛いのかわからなくなってしまった。。。

二回吸引しても出ない!(胎児の心拍は止まったとか・・・。)

現場は緊迫し、帝切の準備!

先生に、「赤ちゃん危ないから帝王切開にするよ。いい?」と聞かれ、「はい。」と即答。

 

腰椎麻酔、硬膜外麻酔併用。一発オッケー。全然痛くない。

先生の、「もう痛くないやろ?」と同時に陣痛が無くなる。

先生のお姫様抱っこで手術台へ。

足動かん・・・。はりつけや・・・。あ、赤ちゃんや・・・。え?泣いてない・・・。ビンタしてる・・・。

ふんぎゃあ~ふんぎゃあ~!!!泣いた!!!

うまれたんやあ。良かったあ。

ほっとして意識が自分に向くと、寒い!心電図が気になる。。。なんか眠い。。。

眠くなる注射を打ったらしい。このまま寝てしまうと死んでしまうような気になり必死で目を開けている。

赤子登場!チュ~してくれた。

危険にさらしてしまったことが申し訳なくごめんねと泣いてしまった。

無事、手術終了。

 

私は手術後、夢と現実をいったりきたりして眠れなかったこと、足が動かないむずがゆさが一番つらかったです。

あと、のどの渇きもキツかったー。

抜糸は産後5日、退院は産後7日でした。

原因は胎児仮死、狭骨盤、胎児の頭が大きい(出生体重3108g)、陣痛の持続時間が短いなどなどです。

増加体重は10キロでしたが、妊娠後期にごろごろしていたのが良くなかったのかな。

VBACは難しいが赤ちゃんが小さくて妊娠中の体重管理がうまくいけば可能かもということです。キビシイ。。。

産後一ヶ月ぐらいまで二度と産まないと誓っていましたが、こんなにかわいいならいっぱい欲しいなと思うようになりました。

同時にお産は危険だという事も身をもって感じました。 



たかかずママさん

お住まい  大阪府
帝王切開の回数  2回
出産地  大阪府
出産年齢

 30代

子の生年月

 1997.5

 1998.9

産院(総合・個人)  個人

予定日に検診を受け、赤ちゃんも降りてきてないし,まだまだと言う事で帰宅。

翌日の夜におしるしらしきものがあり、軽い(?)陣痛が開始。

翌朝,まだまだ10分間隔位の陣痛だったので,洗濯を済ませ,安産のお札をあげ、クラリセージのオイルを焚き、ラズベリーテイーを飲んで、準備万端。

でもなかなか陣痛の間隔は,縮まらず、夜になって、やっと入院。

出産は,翌日になるということで、両親、主人とも帰宅。

1人で夜中中、陣痛に耐える。

(3人部屋だったので、隣には,分娩中の妻を待つ夫が・・・。おかげで、声をあげることも出来ずに、苦しかったぁ)

 

NSTを取る度に腰に激痛がはしっていたけれども、子宮口はまだまだ開かず,赤ちゃんも降りてこない。

翌朝,6:00のNSTで、私が見ても心配する位、赤ちゃんの心音が下がる。

助産婦さんも急に慌てだし,点滴をするので下の病室にと下ろされる。

「何の点滴?」と思っていると陣痛が楽になり(陣痛を止める点滴だったらしい。)、

仕事に出ている主人に連絡をとりたいとの事。

朦朧としながら、「あー、帝王切開になるんだぁ」と直感。

早々に来てくれていた両親が連絡等、手続きをしてくれた。

説明も先生からでは無く,母から聞いたような気が・・・。

 

点滴をはずされ、分娩台に上らされ,陣痛の襲ってくる中、悌毛。

助産婦さんが人口破水をさせたようで、その後,「下から産めるんちゃう?いきみたくならへん?いきんでみ」と言われて、少しいきんでみるが全然。

陣痛を和らげる注射を打たれ,それでも来る陣痛で体中が痛む。

歩いて陣痛室の隣の手術室へ。すっぽんぽんで手術台へ、これまた自分で上る。

体中の震えが止まらず、寒い。緊張しているのもあるだろうけど,全身寒くて仕方が無い。

 

先生がヒーターを入れるように指示してくれる。

麻酔を腰に打つとの事で,「体を丸くして」と言われるが,その直前、又、陣痛が。

陣痛がおさまった後,横向きになり麻酔を打つ。

普通の注射程度の痛みだった。

足先からじわっとしびれてきて,暖かくなって来る。

やっと、震えがおさまる。先生が「ここは、冷たい?」と、訊いていくうちに麻酔が効いてきたよう。

 

気が付くと赤ちゃんの泣き声がした。「おちんちんがついてるよ」「はい、男の子」

と顔の横に連れてきてくれて、「見えましたね。」と言われたけれど,意識が薄らいでいる上に、眼鏡もはずしているのであまりわからない。

すぐに、赤ちゃんは連れて行かれ,その後、麻酔を注射で追加され、意識が薄れるが、先生や看護婦さんの会話は聞こえる。

 

たわいのない話をしながら、後処理をしているよう。(後で、訊いたんだけど患者をあまり緊張させないように話してたらしい?! 確か,ご飯を食べに行く話をしてたような。ほんまかいな?)

早く終わって欲しいと思う。処理を終わった後,手術台の上で少し眠らされて、落ち着いた後,看護婦さん4人に抱えられ,病室へ。

(ストレッチャーとかないんかいな?)その後、10時間ほど現実と夢の中をうろうろ。

点滴は5,6本されている。夕方,内の家族、主人の家族、勢ぞろい。

皆、喜んでくれてるのはいいけど、ちょっとひんしゅく。

変わりばんこに赤ちゃんの顔を見に行っては,主人にそっくりと帰ってくる。

私だけが赤ちゃんを見れない。寂しい。

おならがでないと食事は出来ないとの事で夜におならが出て,何か口にしていいかと主人が訊きに行って,翌日の重湯からといわれて、何てこったい!

 

翌朝「重湯、牛乳、お茶」の朝ご飯。やっと、水分を口から補給。

お茶のおいしかったこと!

その後,2本の点滴。お昼には,お粥と軽いおかず。

術後,2日目・・・新生児室の赤ちゃんの声で目が覚める。朝食,点滴,昼食。

昼食後,導尿の管を抜いて,夕方には,少し動くように言われる。

トイレも自分で。まだ、赤ちゃんには会えない。

一人でいると「産んじゃって良かったの?育てられるんだろうか?」とか帝王切開で産んだ事、産む時に早く出してと思ってしまったこ事、うだうだ、考えてしまう。

授乳の為に赤ちゃんを迎えに来る、他のお母さんの足音を聞いて,涙が止まらなくなる。

 

術後3日目・・・麻酔の後遺症で、頭痛がひどく、頭を枕から上げられない。

朝食前に赤ちゃんを連れてきてくれて,やっと、ゆっくり顔を見れた。

頭痛のせいで,トイレ,ご飯以外は寝てばかり。

早めに眠ろうと、消灯したら,先生の回診。昨夜,眠れなかったと訴えると座薬を出してくれる。(そんなの早くいってよ!)

帝王切開だったので授乳が出来ないのかと遠慮していたのに早く授乳を始めるように言われる。どういうこと?!

術後7日目・・・やっと頭痛がましになり、点滴も終わり,シャワーもOK。

抜糸後の傷を見て、びっくり!

でも、しゃあない。赤ちゃんと私を救った傷と、納得する。

 

入院期間は,2週間。退院する頃には,看護婦さん達ともすっかり仲良し。

退院前に見るビデオの扱いや,先生のうわさ話(悪口?)を言いあえるまでに。(^^;

 

こうして、書いてみると何も知らずに、帝王切開に突入し、何も知らずに終わった

感じ。こんなに無知でよく無事に済んだとありがたく思います。

こちらのHPを見て、麻酔の事やなんかも勉強しました。(遅いっちゅうねん!)

幸い、術後の看護婦さんの対応がやさしかったので比較的、不満も少なくてすんだようです。

 

~2人目~

1人目を産んで、8ヶ月で妊娠したので、自然分娩も体験したかったけど、

子宮が破裂する可能性も高く、無理をする事も出来ず,予定帝王切開に。

 

手術日前日

昼頃に上の子を連れて入院。抗生物質に対するテスト、NST、血圧、検温を

済ます。夕方、上の子を両親に連れて帰ってもらう。

こっちは寂しくて泣きそうなのに平気な顔で「おかあちゃん、バイバイ」と手を振って帰って行く。何て奴。

でも1歳4ヶ月でお兄ちゃん。しっかりしてるのかも。

睡眠導入剤を貰ってぐっすり寝るよう言われる。

 

手術日当日・・・

朝からもちろん絶食。検温、NST、浣腸をして一休み。

シャワーを使い、内診の後,点滴。点滴をしながら、手術室へ移動。

注射、悌毛、血圧計をつけて、導尿。意識がはっきりしてる中の準備でいやがうえにも緊張。導尿の管が妙に気持ちが悪い。

先生が午前中の診察時間を終えて,やっと上がって来る。

腰を丸めて、注射。覚悟していたのに、前回よりも痛くない。先生がうまいのか?

何時切るのかと思っているうちに引っ張られる感じがして、赤ちゃんの泣き声。

今回はしっかりと眼鏡をかけてもらって、おちんちんを確認。

その後は,前回同様。現実と夢の中をさまよい続ける。

この時間が一番気持ち悪くて嫌。

夜中にやっと麻酔が切れて、意識がはっきりするがそれから眠れず。

 

翌日・・・

お昼に重湯,牛乳,お茶。3:00頃に看護婦さんが赤ちゃんを連れて

来てくれる。

今回は早いじゃん!上の子と比べてしまい、こんなに小さかったのかと感動。

1人目より冷静に赤ちゃんを見ている。授乳はまだ。

後陣痛がひどく,夜中に座薬を入れてもらう。

 

術後2日目

お粥と軽いおかずの朝食の後、点滴。昼に導尿の管を抜く。

少しずつ動いてみる。トイレも自分で。頭痛はあまり無い。

夜、後陣痛がして、又、座薬。でもそれ以外に体の節々も痛くて眠れず。

術後3日目・・・

頭痛が始まる。今回は大丈夫と思っていたのに残念。

なるべく活字を見ないようにする。

点滴は,日課。後陣痛があるというのに子宮収縮の薬を飲んでしまい、頭痛に腹痛。はぁ(-0-)

お昼から,授乳が始まる。頭痛で横になっての授乳。

内診で子宮内のガーゼを抜かれて、お腹が更に痛くなる。

頭痛,腹痛,腰痛のトリプルパンチ。夜、あまりのしんどさに

睡眠薬を出してもらう。

術後5日目

頭痛も取れ,快調に。

術後7日目

抜糸。これで、恐怖なものは全部、終了。お腹周りも軽くなる。

 

今回は,看護婦さん達も良く覚えていてくれて,すっかりお局状態。

ゆっくりと、パソコンで手紙の下書きをしたり、一人の時間を満喫したのでした。



まさみさん

お住まい  栃木県
帝王切開の回数  1回
出産地  栃木県
出産年齢  
子の生年月  2002.5
産院(総合・個人)  総合

5/13(40週と3日目)

夜、破水かと思い病院へ行きました!!内診の結果破水ではありあせんでした!!

その時点で子宮口は1cMも開いてなく赤ちゃんもまだ降りてきていませんでした。

予定日を過ぎている事から破水につながりやすいと言われそのまま入院しました。!そしてその日の朝方5時に「ニョロ・・」っと本格的な破水しました!!

その日の夕方から10分置きの陣痛が開始し、でも子宮口も赤ちゃんの位置も変わらずでした。

その日の夕食後に5~3分置きの陣痛がはじまりました。

子宮口もやっと3cm・・・だけど赤ちゃんの位置は変わらず、そのままその日を(13日)を終えました。

 

5/14(40週と4日)

子宮口もかわらずのまま朝を迎えた!!今日は促進剤を使うとの事で朝から1時間おきに1錠ずつ飲み3錠目でかなり陣痛がついてしまう、だけど子宮口変わらず3cm、赤ちゃんも少しだけ下がる。

その時点で3分置きのかなり強い陣痛がずーと!

その日のお昼くらいに見かねた女医がお産の進みが遅いことから骨盤のレントゲンを撮ると言われました。

陣痛に苦しみながらレントゲン室まで行きました。

推定の頭の大きさが<9.9cm>結果、なんとか下から産めるとのことで無痛分娩を進められ麻酔開始!

腰にカテーテールを刺され体を休めることに!!

何だか最初は効いてたけど、だんだんあんまり意味がないくらい毎回毎回薬の投与が早まりました。

この日も何も変わらず陣痛だけが強くなって一日が終わった!!(まじで辛かった・・・・)

 

5/15(40週と5日)

朝が5時・・・・なんだか<便意>をものすごく感じ!!なんどもトイレへ!

だんだんいきんでるうちに「ん?何かちがう?!」と思いベットでモニターを撮る。

モニターを付けた瞬間から悪夢は始まった・・・・・

麻酔をけちらし、陣痛が・・・自然といきみがかかる!

普通のひとで言えば<全開大の陣痛>かなりの痛さに叫びまくり・・・

見かねた助産婦が内診・・・子宮口がまだ3cmと変わらず!

赤ちゃんは下がりきっていないとのこと、その後すぐに医者が内診。

「どば~~~~~~」破水!!!その時もう意識が飛ぶくらきの陣痛の並。

・・・・・こっからは今思い出しても涙が・・・震えます(汗)

 

いっきに赤ちゃんの心拍低下・・・胎児仮死!!あたしは鼻に酸素がはいり、お腹を揺さぶられ、心拍が戻りウテメリンを点滴からいっきに投与されました。

あたしの心臓はウテメリンの副作用でバクバク!そのまま手術室へ!

緊急・胎児仮死で全身麻酔(涙)すごく恐かった・・・・

目が覚めたときには病室だった。「あかちゃんは?」旦那が「保育器に入ってるけど元気だよ!」まさみは涙を流しながら寝てしまった・・・・

それからは他のママと一緒の入院生活、3日目に保育器から出られ元気な姿を見たときはホット肩の荷が下りました!!

正直言うと産んだという実感がありませんでした!



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