- 感染症 -

帝王切開の理由別体験談

あやままさん

お住まい  埼玉県
帝王切開の回数  2回
出産地  埼玉県
出産年齢  30代
子の生年月  1999.12・2003.9
産院(総合・個人)  総合

12月2日、予定日から2日過ぎ。

おなかの張りが頻繁にくるようになって義姉に言われてお風呂に入ったらなんか寒気がして、変だなと思っていたら、その日の夜に10分から5分間隔のすごい痛みが来て、腰の痛みがつらくなって寝られず、5分間隔が3時間くらい続いたので病院に電話をして、3日の午前4時ころに夫の運転で病院に行ったら、剃毛の後内診、3センチ。

 

4日、4センチに開くけど微弱陣痛。

一度おなかが張ると3~4分は張りっぱなしで、陣痛の波が来ると腰の中心部分にビーンと響く痛みが来て飛び上がる。

 

午後2時になって、感染症の疑い。

白血球の数の異常が認められて、点滴をうけることになった。

どうやら破水をしていたのに気づかずお風呂に入ったかららしい。

寒気と微熱は、変わらず。

腰痛持ちの私はおなかが張ると腰に来てもう叫びまくり状態。

明日昼までに子宮の開きが進まないときは帝王切開しますと言われた。

その後の内診も4センチのまま。

 

帝王切開のために夜は食止め。

8時の点滴の後も子宮の開きはようやく5センチくらい。

看護婦さんが足湯に浸からせてくれて、すごく気持ちよかった。

その看護婦さんが「明日8時に出勤するから、そしたら生みましょう。」と言って帰ってしまった。

 

また眠れない夜がやってくる。

腰痛と睡魔との戦い。

5分おきの張りと、3~4分も続く痛みにとびあがっては痛いと叫ぶ。

 

夜中の1時だというのにいますぐ切ってくれって看護婦さんにだだこねてた。

張りを感じると、我慢ができなくなって、すぐにも出て!っていう感じでいきんでしまう。

4時くらいになっても、睡魔と腰痛の繰り返しで、3分毎の間隔から短くなってきたのは、後からきた人が出産をしている朝の7時くらいだった。

 

夫に起こしてもらいながら呼吸法をずっと続け、波がおさまったかと思ったらすぐに張る感覚。

3~4分も続く。

歩くのもつらく、座っても腰にくるので、落ち着く時間がないのだ。

8時30分くらいに、出産を終えた人が戻ってきて、また別の人も入ってきた。

看護婦さんが出入りするたびに次は私かと思うけれど、他の人が呼ばれる。

みんな静かに呼吸法をしているのに私だけが耐えられずに声を上げてしまう。

誰かの笑う声が聞こえて、部屋にいられなくなって待合室へ行った。

 

夫はやっぱり寝不足と疲れでソファに座ると眠りはじめた。いつまで続くんだろう・・・。

おしりの力を抜いていれば少しずつ赤ちゃんがおりてくるから、と言われ、陣痛が来たらちゃんと赤ちゃんに酸素を送ってあげないと苦しがるよ、と言われてどうにか頑張ろうとするんだけど、いきみがでてしまう。

 

9時頃、血液を抜かれ、腰のレントゲンを撮って、点滴を受け、10時にやっと分娩室に入れた。

これで赤ちゃんが生まれると思ったら、「まだ生まれないわよ。」とあっさり言われた。

分娩台に乗ったけど、5センチしか開かず、みんながしている仰向けでは腰が痛くていられないので四つんばいであがった。

ケツ丸出し状態ってやつ。

 

座薬、人口破水、たくさん流れてくるあたたかい水。

うつぶせになって10センチに開くのを待つ。ようやく7センチまで開いた。

いきみたくてたまらず力が入ってしまう。痛みがひくと、先生が来ておしりのあたりで助産婦さんと話をしているのがすごく恥ずかしくて・・・何でこんな格好なんだ?って悲しくなった。

 

夫に無理矢理立ち会いをさせていたから、赤ちゃんの心音を聞く機械をおなかに当ててもらってたけど、おなかが張ると腰にきてその痛みで体をよじってしまってその度に心音探しをさせてしまった。

仰向けだったらベルトで固定できたのに、四つんばいだったからベルトができなかったのでした・・・

一緒に呼吸法をしたり、力を入れないように言ってくれた。

 

そして、本当の陣痛は、波形が何本かギザギザにとがっているんだって、って教えてくれた。

私のは山なりでとがっていなくて、まだ本当の陣痛になっていないということだった。

気が遠くなる。

これからもっと強い陣痛がくるのか、今までの痛みも耐えられないくらいだったのに。

導尿をうけ、また座薬を入れる。おなかとおしりに力を入れないようにと何度も言われても難しかった。

 

内診を受けるが、頭はまだ見えない。

レントゲンの写真には、赤ちゃんは横向きになっていたらしい。

夫は「今からそんなに頑固でどうするんだ!」っていってた。

後から来た人があっという間に赤ちゃんを産んで、さあ次は私だ!って言うときに、「帝王切開します。」

7センチのままだし、羊水が濁っていて赤ちゃんが飲んでしまったかもしれないから、と。

もう何でもいいから何とかしてくれとしか思うことはなかった。昼の1時くらいだった。

私の前に帝王切開をしている人がいたので終わるまで待つことになった。

 

手術の準備で慌ただしい中でもやっぱり陣痛が来ると騒いでいた。

手術着に着替える間にも波が来る。

手術室にはいって麻酔をかけられて痛みがひいたとたんに、急にあたりが静かになったのは、よっぽど私が騒ぎまくっていたんだなと思ったらまた恥ずかしくなってしまった。

 

女医さんのオペ、スタッフもみんな女性だった。

開腹の感覚、スーッと線が引かれた感じ。

引っ張られるような感覚、ただじっと耳をすましていた。赤ちゃんがおなかから出てきた。

「アハッ!」っていう声、というか咳のように聞こえたきり、何にも聞こえなかった。

 

羊水を吸い出し処置した後、保育器に入れられたと聞いた。

おなかが左右に、体が揺れるほどゆさぶられ、「おーい!」って思ったら胎盤を出しているから、と婦長さん。

吸引のチューブを血液が流れていく。

ついでに脂肪もとってくれないかな、なんて変なことを考える余裕まででてきた。

 

胃に近い所が痛い。

麻酔が追加される。ガーゼを入れていると言ったときも、縫合するときも痛んだ。

結局3回の麻酔追加に酸素マスクもつけられた。

 

赤ちゃんは保育器に入っているけど、手足をバタバタさせてすごい元気だったと聞く。

血液検査で、感染はなくて状態は良好だときいてすごく安心した。

私は点滴やら導尿やら、血圧計やらいろんな物がくっつけられている。

腰から下の感覚が全くなく、ただかかとと腰がひどく重たくて苦しかった。

何度も様子を見に来る看護婦さんを見て、自然分娩だったらこんなに手間がかからなかったのに、と思うと、ようやく7センチまで開いて、隣で赤ちゃんが生まれた声を聞いて、頑張ろうと思っていた気持ちがよみがえってきて、泣けてきた。

7センチからの時間は、あとどのくらいだったのかな。

 

もう少し呼吸がちゃんとできていたら、羊水も濁ったりしないでちゃんと生めたのかな、感染症になっても生めたのかな、いろんな事を考えてしまった。

翌日はトイレに歩いていくようにといわれて、体を横に向けようとしたら、う、動けない。腰が・・・腰がぁっ!

おなかの傷の痛みと、腰の痛みでずっとうなっていた。

トイレに行くのに腰を押さえて横を向き、おなかの痛みでうずくまってから起きあがるけど、また腰が痛くなるので時間がかかる。

 

赤ちゃんのの泣き声は、変わっていた。「あはっ、あはっ、あはっ、・・・あ~っ!」と泣く。

笑っているみたいだけど顔はしっかり泣き顔。

生まれた時に聞いたのは、ちゃんと産声だったわけなのでした。

 

~2人目~

一人目を出産してから4年、妊娠が分かってから早々に出血をし、切迫流産で安静を言い渡されました。

長女の入園を控えていた3月には、内診で子宮の傷に隙間が確認されて、子宮口を縛る手術をするかも、という話で不安の中、様子見でなんとか手術はせずに済みました。

それからは、おなかの左右につれるような、突き刺さるような痛みを感じ、寝るとき・起きるとき・そして特にくしゃみをしたときは最悪で、痛みにうなっていました。

 

おさまるまで動けず、一体なんだろうと思い、先生に聞いてみたら、子宮が大きくなると起こるものだと言う先生もいれば、もしかしたら癒着があるのかも、と言う先生もいました。

この痛みは、結局出産まで続きました。

少しずつ大きくなってくるお腹で、前回の出産の時に致命傷となった腰痛がまたぶり返してきました。

 

妊娠6ヶ月ころから、先生が出産の方法を聞いてきました。

私は、今度は普通に産みたいと言いました。

先生は次回までにカルテを見て判断します、と言い、結果、帝王切開にしたほうがいいでしょう、と言うことでした。

子宮の傷の隙間というのも引っかかるし、子宮内感染を起こした場合は次回も帝王切開です、と。

 

この頃から、おなかが張るようになってきました。

幼稚園の送り迎えをしていて、帰りはなかなか帰りたがらなくて、子供がいると仕方のないことだと思いながらも休みの日には出かけて、張るとおさまるまで休んで、を繰り返していました。

夏休みの間、出かけることが何回かあり、そのうちに、お腹が張ると膣が痛むようになってきて、心配であまり歩けなくなってきました。

 

34週の妊婦検診で、赤ちゃんが少し降りてきていて、経管が2センチで短く、子宮口は1.5センチ開いていてNSTをとったところ15分おきの張り。

入院を言い渡されましたが、娘のことを考えて、入院はしたくないと言い、その日は帰ってきました。

でも、お腹の張りを感じると痛む膣に不安になって、翌日病院に行き、内診の結果点滴をうたれ即入院となりました。

 

トイレと洗面所以外は寝ているように言われ、最初は貧乏性のため幼稚園の先生に手紙を書いたり、(明後日から新学期)夫に幼稚園に持っていく物をメモしたりと起きあがってやっていたら、起きているだけでも赤ちゃんは下がってくるから寝ていなさいと怒られてしまいました。

内診で子宮の傷を押さえられて痛かった。

夜、お腹の痛みでNSTをとり、様子を見ましょうと言われただけでした。

病院のベッドは寝にくい!背中と腰が痛くて、横になればあかんぼが暴れて痛いくらいだし、枕が合わなくて首と肩が凝るしで、辛い1日目でした。

 

赤ちゃんはもう骨盤に頭が入っていて、つるんと出やすい状態で、2041グラムくらいなので、今生まれたらどこかに転送されるし、陣痛がおきたら子宮破裂の可能性があると言われ、もう出産するまで病院から出られないと覚悟しました。

 

1週間もしないうちに、張りが10分おきになって点滴の量が2A15から2A30にあがってしまいました。

お腹が張ると腰全体が微妙に痛んできて、NSTでは、微弱だった娘のときの波とは違って、普通分娩するならすごくいい波だって言われました。

とっても複雑・・・。どうせなら前回にこの波がくればよかったのに!

自然分娩の希望は叶えられないのに・・・。

また10~8分おきの張りで、2A45に増えていく・・・。

点滴がもれたり、痛くなったりで刺し直しは5回、定期的に刺し直しもするので両腕にブツブツと針の跡が増えていく。

点滴をぶらさげトイレに向かい、見舞いにきた娘と夫を見送り、あとはただただ寝ているだけの日々。

暑くて寝られずアイスノンを持ってきてもらい、ようやく眠れました。

 

手術の日が予定日の3週間前に決まり、執刀医は2人、腰椎麻酔で縦切りという説明でした。

手術前日、内診を受け、(やっぱり痛い!)またさらに赤ちゃんが下がっていることを知り、そのあと剃毛。

お腹全体と背中を剃られて「そういうものなんだ・・・」と思いました。(前回は陣痛でわけが分からずに剃毛を受けた)シャワーを浴び、鏡に映ったツルツルの自分を見て、まるでキューピーちゃんのようなまん丸お腹に笑ってしまいました。

手術用の点滴の針は太くて、痛かったです。夜から絶食、水もだめ。

2度目とはいってもやはり怖さが出てきて、あまり眠れませんでした。

 

手術の日、食事なし、手術着に着替えて、肩に注射、少しの水で飲むようにと薬を渡されて飲み、あとはまな板の上の鯉の気分。

浣腸したけどお腹に力を入れるのが怖くて・・・。

ストレッチャーに乗せられて手術室に。

麻酔は皮膚の麻酔をまずしてから腰椎麻酔をしてもらいました。

 

音楽が流れていて少し暖かいので緊張が解けたと思ったら、前日私に説明をしていた先生が、横にいるスタッフに「(自分の)手が冷たい・・・」なんて言っている。

うそ、2人ってそういうことだったのか!と初めて知って一気に緊張がよみがえってきました。

 

マスクをつけられ、指先にクリップがついて、血圧計も点滴も傍にある。

尿管もつけられましたが強い違和感はなかったです。

前は麻酔が効いているか、触って「どうですか?」と聞いたはずなのに今回聞いてこない。

慌てて自分の足を動かしてみたら、もう効いていて動かなかったので大丈夫だと思いました。

 

「よろしくお願いします。」の声で手術は始まりました。開腹の感じはありました。

「一気にやるのよ。」という声とともに。こわっ!

大丈夫だと自分自身に言い聞かせ続けて、「そうじゃない、こう。」とか、「次に何をやるのか考えながらやるのよ。」という声を聞いていました。

途中、息苦しくなり深呼吸をして落ち着いて、今度は気持ち悪くなってきてうなっていました。

 

機械がピーと鳴って、私が呼吸を止めていたことに気がついて、また深呼吸で落ち着きました。

赤ちゃんの頭が骨盤に入っていたため取り出すのに苦労していたようです。

「まだでない?」「こうやってここから・・・」とか聞こえたと思ったときに産声を聞きました。

 

2時30分、2795グラムの元気な男の子。

か細い声で「ほや~ほや~」っていう感じでずっと泣いていました。

その声を聞いて、そして赤ちゃんに会えて、安心して涙が出てきました。

胎盤を取り出し処置しているときに先生が癒着があったか見て「癒着はありませんよ。子宮も薄くなかったし、筋腫が1個ありますが小さい物です。」と言ったのを聞いて、手術室から出るときに大泣きしました。

もしかして、手術の経験をさせるために?子宮が大丈夫なら自然分娩できたのに。

そんなことを思ってしまいました。

 

部屋に戻ってしばらく休んだあと、赤ちゃんを連れてきてもらって抱っこしたら、とても小さいように感じました。

足には機械でシュウシュウと圧迫され、点滴はまだついたまま。

夜は何度も看護師さんが様子を見に来てくれて(その度に目覚めてしまっていました)安心しました。

頭痛とお腹の痛みと後腹の痛みに耐えつつ、授乳もおっぱいがカチカチに張ってさらに倍!ってかんじで辛かったです。(熱を取るのにキャベツの葉を貼りました!)

 

幸い、腰の痛みがそんなに出ず、ベッドから起きあがるときにもお腹だけをかばえば大丈夫でした。

ただ、それが災いして、眠っていた時に赤ちゃんが泣きだし驚いた私は、飛び起きてしまいました。

その瞬間に「!!!」右の下腹部が痛い!しばらく動けず泣かせてしまい、やっと動けるようになって授乳しました。

そのあともチクチク痛んで、先生に言ったものの特に気にされることなく・・・。

 

それまで少なかったオロが多くなってしまうし、少しへこんでしまいました。

赤ちゃんは黄疸に2回ひっかかってしまいましたが無事一緒に退院することができました。

夏休み最後の頃に入院したのに1ヶ月の間にもう風が冷たくなっていました。

退院してしばらくは下腹部が時々痛んだので1ヶ月検診の時に聞いたところ、内診を受け、子宮も卵巣も特に問題は無いと言われ、痛みのほかに発熱したら来てくださいと言われました。

 

一度、トイレで黒い糸を発見!傷を縫った糸だ!

もしかして、子宮の傷の・・・?でも、その後は特にひどい痛みもなくてもう4ヶ月が過ぎました。

お腹の傷は赤く盛り上がっていて、かゆくて、触ると少しピリピリ痛みます。

長女の時は全く違って、かゆくもならなかったのに・・・。

息子はもの凄い成長ぶりで現在7550グラム。長女の4ヶ月時と変わらない体重(7780グラムくらいでした)で、まるまるとして重たいです。



アンさん

お住まい  横浜市
帝王切開の回数  1回
出産地  東京
出産年齢  30代
子の生年月  1999.9
産院(総合・個人)  総合

私は、太っていることも災いして、妊娠中毒症でした。

それほど重度のものではなかったのですが、やはり、肥満はハイリスク妊娠なので、管理入院を余儀なくされました。

まぁ第一子ということで、気兼ねなく入院ということでしたが、担当の医師が、太っている人は出産が遅れやすく、結果母体や子どもへの影響も悪くなりがちとのことで、予定日から積極的にお産を進め、その結果、浣腸をされたり、ひまし油を飲まされたり、はたまた、ラミナリアをいれて子宮口を広げたりと本当につらいおもいをしました。(トホホ(>_<))

 

そして、結局はそのラミナリアが原因で、感染症を起こし、子どもは体便をしてしまうし、破水してその羊水はどす黒く、私自身も感染症のため40度を越す熱におかされ、母子ともにとても危険な状態になり、私の熱がある程度納まったところで、緊急帝王切開となったわけですが、陣痛も起きていたため本当に出産前夜は、生き地獄なのでした。

 

陣痛に耐え、高熱にうなされ、どろどろした自分の体からでる羊水をみると怖くて体が震えました。

もう、私も、子どもも助からないかもと・・・。

事実当直の医師は、家族に今夜が峠だといったそうな・・。

術後も子どもの生存率も24時間以内は、保障できない。

その後も3,4、日がやまば、母体も術後3,4日は、急変することがあるので、家族は、待機しているようにとのことでした。

本当に幸いに母子ともに無事退院でき、現在にいたっています。



yokoさん

お住まい  宮城県
帝王切開の回数  3回
出産地  東京都・宮城県
出産年齢  30代
子の生年月  1994.4・1999.11・2001.6
産院(総合・個人)  総合

臨月に入り体に発疹が出来た。病院で診てもらうと何かの感染症にかかったらしいので帝王切開で産みましょう!ということになった。

手術の前日に入院し、NSTをしたり入れ替わり立ち代わり来る先生に何度も内診をされているうちに、陣痛が来てしまい緊急手術となった。

 

面会から帰ったばかりのだんなが呼び戻され、バタバタと準備が進み訳の分からない内に手術室へと運ばれた。

麻酔は硬膜外麻酔 大学病院だった為か麻酔をしたのは学生だった。

先生にレクチャーを受け何度もやり直したりして不安倍増!

 

足を触られ(?)痛いですか?と聞かれるが痛くはないけど、何か感じます!と答える。

おなかの上に器具を置く台が乗せられ、私からは見えない様に布をかぶせられたガチャガチャと色んな音が聞こえる 怖いよ~

 

10分くらいたち「もう産まれるからね!」と言われ間もなく赤ちゃんが引っ張り出された。

全然泣かない。

看護婦さんが赤ちゃんのお尻を何度かペチペチ叩くとヒエ~という弱々しい泣き声がした。

赤ちゃんはあっという間にどこかへ連れ去られた。

そして私は麻酔を打たれ眠らされた。

 

気付いたのは、病室の前で不安そうな顔をするだんなと長女に声をかけられた時。

その後は、2日くらい痛みにうなされた。

何度も筋肉注射をしてもらい、少し楽になる

 

赤ちゃんは2156gの低出生体重児でNICUに入院となった

結局私が退院するまで赤ちゃんとは会えず辛く哀しい10日間だった。

その長男も今では元気な1年生 普通に大きくなりました。

 

2回目は、前回が帝王切開だった為自分から希望した。

考えてみれば5年半も開いていたので普通分娩もいけたかも?

手術予定の前日に入院し、NSTや手術前の処置をされる。

浣腸は当日の朝、イチジク浣腸のような物を渡され自分でやったので気が楽だった。(結局余り出ない、私は頑固な便秘症)

 

今回の病院は、全身麻酔だった。

手術室に運ばれ、導尿、点滴をされる。

今から麻酔を入れますね~の声の後、1分ほどで目がぐるぐ回り辺りが暗くなりふわ~と気持ち良くなり意識不明となった。

その後「○○さん、分かりますか?」の声で気付く 既に手術は無事終わってました。

喉に入れられた人工呼吸器を外され、息をするがとにかく苦しい。

窒息しそうな感じだった。

その後は前回と同じく暫く苦しんだ 赤ちゃんに会えたのは歩けるようになった3日目。

 

3回目は、前回から1年半での出産なので、当然の様に帝王切開になる。

手術の予定日を1週間後に控えた日の未明に破水し、緊急手術となった。

2回目と同じ病院だった為、手術の進行は同じ。

只、今回は後陣痛がやたらと痛かったように感じた。