(2004年に妊娠中毒症から妊娠高血圧症候群に改称)
帝王切開の理由別体験談
お住まい | 大阪府南部 |
帝王切開の回数 | 2回 |
出産地 | 奈良県・大阪府 |
出産年齢 | 30代 |
子の生年月 | 2001.8・2003.10 |
産院(総合・個人) | 総合病院・大阪府立母子保健総合医療センター |
~1人目~
37週まで頑固な逆子でした。
手術日も決まっていたのですが、手術5日前に鍼灸で逆子が治りました。
ほっとしたのですが、今度は予定日をすぎても出産の兆候が全く見られませんでした。
予定日を過ぎた検診で誘発分娩にするか陣発を待つかの選択を迫られ、誘発を希望しました。
誘発予定で入院したのは予定日から8日経過した日でした。
入院後の血圧測定で何度計っても上が135~140ぐらいの高血圧。
今まで一度も血圧で引っかかったことが無かった私は、母親と一緒に「緊張してるんやんなぁ。」と能天気でしたが、看護婦さんは心配そうでした。
1日目は経口での誘発剤。
効き目がゆるやかなものを少量飲むだけなのでたぶん陣痛は来ないだろうから、次の日の点滴が本番と言われていた通り、弱い張りが来るだけで陣痛はつきませんでした。
夕方、「明日仕切りなおししましょう。」ということになりました。
夜になり、クーラーが寒すぎてなかなか寝付けずナースコール。
しばらくして今度は暑くなってきました。
胃痛も若干あったのですが、我慢して就寝しました。
しばらくして、胃痛で目がさめました。
さっきナースコールしたこともあり、なんとなくコールを躊躇しているとだんだん我慢できないぐらいの痛みに。
「もしかしたらただ事じゃないかも」とコールしたときには大きいお腹を抱えてうずくまってる状態でした。血圧は200ぐらいだったそうです。
看護師さんと先生が駆けつけて、点滴やら注射やら色々されました。
胃の痛みが落ち着いた頃、今度は吐き気が襲ってきて2~3度嘔吐。
ようやく落ち着いた頃はうっすらと夜が明けてきはじめてました。
朝になり担当医がやってきて状況を説明。
現在中毒症の症状がでていてお産に時間がかかってしまうと母体も胎児も危険になるかもしれないので、手術の用意をしてダブルセットで誘発分娩になる旨を説明されました。
促進剤の点滴をうちながら暢気にも朝食をとっていると、その直後急変後、採決した血液検査の結果が戻ってきて再度周囲があわただしくなり、点滴は中止。
肝機能の数値が通常の5倍以上に跳ね上がっていて、HELLP症候群の疑いがあるからすぐに子供を出さないと母体が危ないとの説明をうけました。
手術室の手術の予定をすべて繰り下げさせて、私の手術を最優先にすると言われてかなり怖かったです。
手術自体はあっという間でした。
手術から5分ぐらいで子供が取り上げられてほっとしました。
胎便をしてたり、黄疸が出てたりしてかなり苦しかったんだろうと言われ、子供に申し訳ない気持ちになりました。
その後の処置(子宮内の掃除?)は思ってたよりもずっと長くて気持ち悪かったです。
特に私は直前まで食事をとっていたので吐き気がひどくて。。。
深呼吸すると吐き気が若干マシになるので、吐きそうになると深呼吸を繰り返してました。
術後はナース詰め所のすぐ隣の部屋で次の日までいました。
1時間おきぐらいに血圧・体温を測りにこられたり、数時間おきに血液検査があってしかも昼夜問わずしょっちゅうナースコールが鳴るので ずーっと朦朧としている状態でした。
3日目にようやく2人部屋に移りましたが、立ち上がることも出来なかったので導尿の管をはずせたのは次の日でした。
それも部屋のポータブルトイレでやっとでした。
頭痛も酷く、まくらをせずに寝てばかりで、デジカメで見る子供の写真だけが楽しみでした。
結局頭痛は1週間ぐらいまで続いていましたが、それ以外の回復はその後は順調だったので、子供とともに手術から9日後予定通り退院することができました。
ちなみに、手術前の浣腸&剃毛ありました。
剃毛は「そんなところまで?」ってぐらいに見事につるんつるんでした。(笑)
~2人目~
2度目の出産はVBACの予定でした。
しかし、やはり予定日をすぎても陣痛は来ないまま。
結局手術予定で予定日超過10日目で入院、2日後に手術予定でした。
ところが、入院した晩に陣痛らしきお腹の張りが。
喜んだのもつかの間胎児の心拍が1度下がったということで、陣痛室ではなく手術室のようなところでしばらく分娩監視。
お腹の張りは最初からだいたい3~4分間隔、痛みは徐々に強くなってきてましたが、再度心拍が下がったので帝王切開決定。
先生の「普通だったらもう少し様子を見るんだけど、前回帝王切開だからね。」の言葉に夫婦2人で大きく頷き、「お願いします。」と。。。
麻酔前の注射&剃毛。(必要な部分のみ。)浣腸はありませんでした。
その直後から震えが止まらず。全身がくがく震えっぱなしでした。
医師&看護師からは「緊張してるの?」と言われたけど、落ち着いてました。
手術中もずっと震えが止まらなかったので、看護師さんが手を握ってくれていました。
手術自体は前回よりも時間がかかっていました。
赤ちゃんが出にくかったのか、お腹の上に乗ったりしてました。
今回の赤ちゃんも胎便していたので、「手術にして良かったね」と言われました。
生まれた赤ちゃんは2476gの小さい赤ちゃんで、治療計画書には色々病名を書かれたけれど、1度光線治療した以外は順調で、8日後には母子ともに元気に退院することが出来ました。
術後の経過ですが、一人目より良かったです。
母子センターは手術翌日から歩行開始と聞いていて、1人目のとき3日目まで動けなかった私はどうなるのかと心配だったのに、その上生まれたのが23時33分でほぼ手術当日から歩行開始となってしまいましたがなんとかなりました。
一人目のときに酷かった頭痛も全くありませんでした。
ただ浣腸が無く(入院2日前から出てなかったのに・・・)、また軟便剤等も出なかったので・・・ひどい痔になってしまいました。
ちなみに全身の震えは麻酔が切れるとともに無くなったので、麻酔の影響かもしれないと言われました。
残念ながらVBACは出来ませんでしたが、母子ともに元気に退院することが出来たのでそのことに感謝の気持ちでいっぱいです。
VBACについて色々悩んでいたときにこのサイトでずいぶん励まして頂いて本当に有難かったです。
お住まい | 神奈川県横浜市 |
帝王切開の回数 | 1回 2人目はVBAC |
出産地 | 神奈川県横浜市 |
出産年齢 | 20代 |
子の生年月 | 2001.5・2003.8 |
産院(総合・個人) | 市立病院・大学病院 |
私は、一人目は、妊娠中毒症で帝王切開して、二人目は、VBACで出産しました。
一人目は、37週目の検診までむくみが出ていたこと意外、妊娠経過も順調だったはずなのに、37週目の検診の日、心音も内診も問題なく進んだものの超音波で赤ちゃんが、小さいと言われ、お腹に機械を付けられ(NST)胎児の心拍も下がっていると言われました。
検診が終わった後、先生に呼ばれ今日にでも入院してくださいと言われ、私はパニック状態で、大泣きをし入院をしました。
入院の時の血圧を測ってみるととても血圧が高く頭痛も出てきました。
尿たんぱくもあり、妊娠中毒症と診断され、とりあえず予定日まで、赤ちゃんの成長経過を見ていきましょうという話でしたが、次の日のやはり血圧も高いし、帝王切開で赤ちゃんを出しちゃいましょうと言われ、とても、不安でした。
でも、無事に1860gと言う低体重児とし生まれました。
この病院の先生と二人目は普通分娩できますか?と聞いたところ「あなたは、身長も小さい(141cm)ので二人目も帝王切開の方がいいでしょう」と言われ 背が小さいだけで帝王切開と決めつけられのがどうも納得いかなくて病院を探し、二人目はVBACでの出産ができました。
お住まい | 東京都江東区 |
帝王切開の回数 | 2回 |
出産地 | 東京都中央区 |
出産年齢 | 30代 |
子の生年月 | 1998.11・2003.6 |
産院(総合・個人) | 総合 |
しかし、陣痛はちょっと強い張り程度で進行せず、2日後に陣痛促進剤で陣痛をつけることになりました。
その後胎児の心拍がなくなり胎児仮死と診断され、全身麻酔の緊急帝王切開になりました。
全身麻酔だったので何がなんだかわからないままの出産でしたが、心拍がなくなった時点で担当の助産婦さんは経験が浅かったらしく、ものすごい大慌てで駆けつけてきた病棟担当のレジデントも大慌てでLDR室はパニック状態で、当事者の私だけ冷静というか、???状態で、助産婦に呼ばれて来てくれた副婦長さんのやさしい笑顔が天使に見えました。
それから手術の説明、麻酔の説明、主治医の説明と矢継ぎ早にあり、すべて頭に入りませんでした。
一方、2回目は午前中仕事を終え、定期検診に行ってみると目を疑うような高血圧!
蛋白も出て、NSTをしたところ、時間を追うごとに強く・規則正しくなっており、内診でも子宮口が柔らかくなていて陣痛のはじまりとのことで、このまま普通分娩をしたら母体の安全も保障できない、張り止めを行っても状況がよくなることはないので、すぐに切りましょう、となり、歩いて診察室に入った者が出るときは車椅子に乗せられ、待合室の人々に好奇の目で見られてしまいました。
病室で再度NSTを行い、さらに張りが強くなっていたのでもう切るしかないとなり、それからいろいろな説明を受け、手術決定から1時間後には手術室へ。
大病院だったので、とにかくスタッフが多かったです。
主治医1名、若い女医1名、研修医(レジデント?ジャニーズ系でかこよかった)1名、助産婦1名、中年の麻酔医1名、若い女医の麻酔医1名、小児科医2名、手術室のスタッフらしき看護婦2名、総勢10名で、途中産婦人科の医師に主治医が手術のレクチャーをしてました。
ちなみに1人目の帝王切開は全身麻酔だったので、はっきりした人数はわかりませんが、手術室に運ばれたとき、産科が併設の看護大学の研修中だったせいか、やたらに看護婦が多く、若い医師もたくさんいて15人くらいいた印象があります。
硬膜外麻酔でしたが効きすぎて出産までは睡魔との戦いでした。
生れた赤ちゃんを顔の近くまで連れてきてくれましたが、眠くてよく見えませんでした。
手術が終わり、回復室でしばらく休んだ後、すぐに赤ちゃんが入っているNICUにベッドごと運んでくれて対面させていただき、保育器に扉を開けて触らせてくれましたが、保育器には1週間入っていたので、実際に抱けたのは8日目で授乳もその時から始めました。
大病院だったので、リスク回避のための判断は早く、準備もシステム化されていてあっという間に事が済んだって感じでしたが、一方、考える時間を与えてくれなかった(与えるような悠長な状態ではなかったのかもしれませんが)ような気はしましたが、安全が第一なので仕方がありません。
お住まい | 三重県 |
帝王切開の回数 | 1回 |
出産地 | 三重県 |
出産年齢 | 30代 |
子の生年月 | 1999.9 |
産院(総合・個人) | 個人 |
私は、結婚前に個人産院で医療事務をしていました。
結婚と同時に退職しましたが、きさくな女医先生で出産はそこで・と決めていました。
妊娠中期より、血圧が高く、「妊娠中毒症」と診断されていました。
36週に入ってからは、だんだん羊水量が、減ってきていました。
37週6日の検診で、「子宮口も硬いし、羊水も減ってきているし、誘発剤で陣痛をつけてみる?」と聞かれました。
「先生ならどうしますか?」と聞き返すと、
「私なら切る(帝王切開)ね。」と言われました。
私は看護婦ではありませんが、10年産科に勤務していると、無理な経膣分娩の恐さも知っていますし、
「じゃあ、切ってください」と即答していました。胎盤機能の事も考えて、「明後日切ろうか」ということになりました。
主人や実家に検診が終わってから、
「帝王切開することになった。明日入院して、明後日手術」と電話を入れたときは大騒ぎになりましたが・・・(^^;
いざ、切ってみると、羊水はほとんどない状態で、仮に誘発しても、児心音が落ち、
胎児仮死で結局は緊急帝切になっていたと思います。
お住まい | 新潟県 |
帝王切開の回数 | 2回 |
出産地 | 新潟県 |
出産年齢 | 30代 |
子の生年月 | 1995.11・2000.9 |
産院(総合・個人) | 県立の総合病院 |
私の場合、帝王切開の原因は第1子のときは重症妊娠中毒症でした。
当時24歳で肥満ではないし体重増加は8キロ、単胎で持病もなく、中毒症のリスクは低かったはずなんですけど、体質のようです。
妊娠30週頃から浮腫み始め、尿蛋白がでて34週で入院しましたが、症状は悪化の一途で、血圧は180を超え肝機能障害もおこしました。
中毒症による胎盤機能不全のため胎児の発育も悪く、妊娠継続は母子ともに危険ということで37週0日に帝王切開で長男を出産しました。
まさか自分が帝王切開で出産することになるとは夢にも思っていませんでした。
オペは腰椎麻酔で行われました。
途中、息苦しくなったり吐き気に襲われて、酸素マスクのお世話になるなど、結構つらかったです。
でも「おぎゃあ!」という産声はしっかり聞こえましたよ。
思わず涙がこぼれて、看護婦さんがそっと拭いてくれました。
2070gの低体重児で、小児科の処置があるためちらっと見せてもらっただけです(低体重児の予測だったので小児科医がオペ室で待機していた)。
産まれた後は、意識は朦朧として、早く終わってくれー!の一心でした。
夜になり麻酔が切れてきて、痛み止めの注射をしてもらいましたが、興奮していたのか結局ほとんど眠れませんでした。
2070gの低体重児でした。
その後私は一時的に血圧が上がってしまい、2日目の夜に導尿管を抜くはずが結局5日間そのままでした。
普通帝王切開だと、翌日に赤ちゃんをベッドに連れてきて授乳などさせてもらえるのですが、私はベッド安静、長男は保育器の中で親子断絶状態。
ゆっくり長男の顔を見たのは5日後です。
子供に愛情を感じられないときなど、出産直後の大事な時期子供に会えなかったのが原因なのでは?などと思ったりしましたよ。
結局親子仲良く産後3週間入院してしまいました。
長男は今春小学校に入学しましたが、相変わらず小柄です。でも健康ですよ。
第2子は反復帝王切開です。
妊娠当初から安全のために帝王切開しましょうと医師に言われてましたし、私自身普通分娩にこだわっていませんでした。
ただ妊娠中、前回の二の舞は避けたくて、塩分制限と体重増加に神経質になっていました。
中毒症の症状はでなかったのに妊娠31週でまさかの切迫早産となり結局入院、破水したり陣痛がつくまえにと、これまた37週0日に帝王切開で長女を出産しました。
2390gでした。今1歳8ヶ月ですが、この子もおちびさんです。
まあ健康なのでいいですが。
こんな私ですが今でも忘れられないことがあります。
長男の出産後、年配の知人に「安産だったの?」と聞かれ「体調が悪くなってしまい帝王切開でした。」と答えたところ、「駄目なかあちゃんだなあ。」と言われたのです。
私はあっけにとられました。まさかそんな言葉が返ってくるとは思いませんでした。
帝王切開って、偏見があるんだなあって初めて感じました。
今でも自分は陣痛を知らない女なんだな、なんて思ったりしますが、普通分娩も帝王切開も母になるためのステップにすぎないんだと思えるようになりました。
どちらにしても産んだのは私で、子供達の母親は私なんだから。
同じ悩みを持つママ友達に、帝王切開って恥ずかしいことでも悪いことでもないんだよ、
どういう方法であれ産んだのは私達なんだからって言えます。