帝王切開の理由別体験談
お住まい | 茨城県 |
帝王切開の回数 | 2回 |
出産地 | 茨城県水戸市 |
出産年齢 | 30代 |
子の生年月 |
1996.5 2001.12 |
産院(総合・個人) | 個人 |
一人目・・私は身長が148cmと小さく、子供も小さいくらいで、いいよ。と言われてました。
私は良い妊婦ではなくタバコがどうしても辞められず、9ヶ月までは1日2本吸ってました。
そのころまでは「小さめだけど、お母さんも背低いし2500gぐらいで、大丈夫だよ」と言われてました。
でも10ヶ月入る前ぐらいから完全に禁煙ができたんです。
そしたらお腹がどんどん大きくなり妊娠線もスイカのようになり・・・
身長のこともあり先生に経膣分娩がだいじょうぶか?と聞いたところ「お産は始まってみないと分からないから」といわれ、骨盤の大きさは身長にはあまり関係ないといわれました。
予定日がきても兆候がなく、検診では「張りが来てるから、少し散歩してごらん」と言われ気合いれて散歩したら、翌日の朝5時に破水。
やっと子供に会えると喜びながら入院。
8時にはもう5分間隔で、朝食も陣痛による吐き気の為たべられず、正午には1分間隔に。
でも子宮口はまだ5cmとのことで、とにかくラマーズ法をがんばって・・・・
夕方あまりにもつらくでも子宮口は7cm。
夜、だんだんと陣痛が遠のいて、いわいる「ねむりごけ」で、陣痛の合間はねてしまうぐらいで・・・
夜はあまりに体力消耗したのか、排尿も自力ではできず導尿してもらってました。
朝になり、子宮口は7cmと変わらず・・・
破水の為羊水もなくなりお腹の上から胎児の様子がわかるほどでした。
妊娠中に男の子とわかってたので、ナースに「男の子はストレスに弱いから心音も下がりやすいんだけど頑張ってるよ」と言われ
一生懸命陣痛と戦いました。
朝先生に「子宮口の開きが悪いのは臍帯が巻き付いてるとか、回旋異常とかいろんな理由あるけど、促進剤つかってあと1日がんばるか帝切するかご主人と相談して」といわれました。
主人の立会い出産の予定でした。
でももう、早くお腹からだしてあげたくて帝切をおねがいしました。
結果、骨盤が狭く息子のおでこが骨盤に引っかかっていて回旋異常をおこしてました。
息子は3200gあり、身長や胸囲は平均より下回ってたのに、なぜか頭囲は平均より1、2cmもおおきくナースにも
「お母さんこんなちいさいのに頭囲がこんなに大きいのはもう仕方ないね。」といわれました。
腰椎麻酔だったので、ちゃんとお腹からだされた瞬間、産声を聞くことができました。
~2人目~
2人目・・5年半ぶりの出産です。病院も同じにしました。
6ヶ月ごろに先生に分娩について聞くと「臨月に入って胎児の降り具合をみてから」とのことでしたが、1人目帝切の理由もあるから、覚悟はしといてね。とのことでした。
臨月最初の検診の時に。先生に「3人目は考えている?」と聞かれ、「この子が無事なら2人でおわりにします」というと
「じゃ安全を考えて帝切にしましょう」ということで、38週で、予定帝切でした。
子供がでてきて処置台にあがっても産声が聞かれず「やだ、泣いて、がんばって・・・」と言いました。
先生は「大丈夫。大丈夫」と言ってて、少ししたら産声がきこえました。
産後は1人目にはなかった縫合時の吐き気(内臓をさわってるかららしい)麻酔が切れるときのものすごい震え、麻酔の後遺症の頭痛、後腹の痛み&傷の痛みでかなりつらかったです。
息子は2770gだったけど、38週でそのくらいあり、だんなのいとこが同じ月に初産で、40週で、2400gの子を産みましたが、
いとこは背は156cmぐらいで、すこしポッチャリのオンナの子。
やっぱり私のお腹は育ちやすいのねと思いました。
あっ2人目は妊娠がわかって3日後、つわりの為禁煙できました。(長男もつわりあったんだすが・・)
禁煙は続行中です。
入院中、産声の遅さをナースに気になって聞いたところ「上は陣痛の後だったからすぐ泣いたけど、2人目は、いきなりだされたから、予定の子はみんなあんなものだよ」といわれました。
今は2人ともすくすく育ってます。
長男の出産を立会いさせてあげなくってごめんねと主人に話したところ、「まだ医療が発達してなかったころだったら2人とも死んでたよね。だから帝切でよかったんだよ。」といってくれました。
私は産み方はどうであれ結果母子ともに健康ならば「安産」だと思ってます。
お住まい | 大阪府 |
帝王切開の回数 | 1回 |
出産地 | 島根県 |
出産年齢 | 20代 |
子の生年月 | 2001.2 |
産院(総合・個人) | 総合 |
私は、本当は個人の助産院で産む予定で、助産院で陣痛が来てからは、朝方2時~お昼頃まで陣痛と戦ってましたが・・・
(陣痛くる前から子宮口3cm開いてました。「安産になるかも?」なんて内心気楽に考えてました。)
しかし・・・
助産院より総合病院へ転院し、そこで内診をした結果、回旋異常ということがわかりました。
私は痛さで早く帝王切開をしてほしいと、とにかくこの痛みから逃げたかった。
お昼の状態で、子宮口7cmの3分間隔でした。
先生の言葉は「手術はいつでもしてあげるから、回旋がなおるまで、もう少しがんばってみよう」という判断でした。
確かに出産は病気ではないので、がんばりました。
しかし、待てども待てども先生は来ず、腰をさすってくれている助産婦さんに尋ねると、「緊急の産婦人科のOPが入っている」とか。
結局先生が私の前に現れたのは、夜の7時をまわってました。それでも子宮口は7cmから変わってませんでした。
先生は、子宮口が全開になるまでの間、あまりに私が痛がるので「和痛分娩」という方法を選ばれました。
すぐには切開しないんですね。赤ちゃんが元気だから・・・・?
「和痛分娩」=その名のとおり「痛みを和らげる」です。
完全なる無痛分娩ではありません。
子宮が10cmになれば麻酔はなくなります。
この「和痛分娩」を「硬膜外麻酔」でしました。
が、腹部分は麻酔が効きましたが、腰部分に針がなかなかささらず3回くらい、ネコのようにまるくなってといわれ、丸くなり刺しましたが刺さらず、外科の先生を呼びました。(婦人科の先生の技術不足?)
そして、全開になり、いきんでもいいよと言われましたが、初めてでいきみかたがイマイチわからず力を入れてウンチをするようにしましたが、
それでもギリギリのところで息がきれてしまい出ないんです。
それに痛いし・・・
先生も吸引の仕度をして、私に頑張らせようと必死です。
お腹の上から「押し出し」をしておもいっきりお腹を押され、そっちの方が痛いくらい?
もう疲れて、目も開いていない状態で何回か目を開けてと言われました。
でも、やっぱりもう帝王切開でもいいと思いました。早く痛みから逃げたかった・・・
赤ちゃんよりも、早くどんな方法でもいいから出して欲しかった。
だから何度も「切って~切って~」って頼んだんです。
でも中々同意が得られず。
ダンナも同意書にサインをしぶってました。
麻酔の事もあるし、次の子のことも平常心で慎重のダンナは考えたんでしょうね。
でも、いいからサインしてと頼みやっとサインしてもらいました。
手術室にやっと入ったのが深夜の1時です。
陣痛中にする麻酔って痛くないもんなんですね。というか我慢できるもんなんですよね。
腰椎麻酔からはじめ、腰椎麻酔をこれも3回くらい刺しましたが全然効かない。
そこで仙骨麻酔にしてやっと効果があらわれました。(母子手帳に硬麻もあるので、きっとそれもしてたんでしょうね。)
結局、和痛分娩~帝王切開で麻酔が効くまでに、私の背中には何本の針が刺されたのでしょう。
平常心なら、すごい激痛と聞きます。
骨髄とかのある大事な場所、よく大丈夫だったと不思議です。
でも、麻酔が切れて、部屋に戻った日は、カラダのあちこちが痛くて、キズが痛いのか、筋肉痛なのか、おしりが痛いのか、腰が痛いのか、わからないくらい痛くて、頭も朦朧としていました。恐ろしい一日でした。
この世に産まれて初めての手術が出産になるとは、全然思いませんでした。
それまで妊婦期間が何事もなく元気に過ごせ過ぎたせいか・・・。
でも、弱いですよね、情けないですよね、体力の限界なんて・・・。
しかし、我が子はこんなこと、知るよしもなく元気にスクスク育ってます。
「案ずるより生むがやすし」なんて言葉がありますが、全然やすしではございませんでした。
お住まい | 大阪府 |
帝王切開の回数 | 1回 |
出産地 | 大阪府 |
出産年齢 | 20代 |
子の生年月 | 1997.10 |
産院(総合・個人) | - |
私は、30時間の陣痛の後、会陰切開もして、吸引3回して、看護婦さんがお腹の上に乗って押しても出ずで、
私の体力が限界だったのと、時間のわりに幸い子供の心臓の音が丈夫だったので、急変などの無いうちに、帝王切開しましょうと、いう事になり、急遽、帝王切開となりました。
お腹を切った後の先生の第一声が「あぁ~、おかあさん、赤ちゃん反対向いて回ってるわ。。。」でした。
回旋異常だったのです。
もう、際まで行って、主人なんか吸引で『スパンッ!』と、吸盤が離れる時に子供の髪の毛が、見えたそうです。
そこまで来てからの帝王切開だったので、帝王切開で産むという事が私も辛かったです。
もう、ここまで来たら後は赤ちゃんがスルリンッ!っと出てくるだけだ!と思ってたので。。。
子供を産む瞬間を見たいと立ち会って(最初から最後まで)くれた主人にも申し訳なくって。。
最後の最後でおあずけをくらったので。。。その時は、これでやっとこの陣痛の苦しみから開放される、と言う思いと、あぁ~。。お腹にキズができるのか~。。と言う思いとで複雑でした。
一度でいいから下から産んでみたかったです。
私のお産した病院は1人目がそうであれば2人目も必ず切開です。
普通出産を望むなら、してくれる病院を探せばいいのですが、正直自分も怖いです。
子宮破裂などがないかという事など。。。。
2人目が欲しいとも思いますが、今度はシラフの状態での切開になるので、怖いのもあります。
1人目の時は半分意識朦朧としてたので。。。
少なくとも、キズはやっぱり気にはなってたので、こちらのHPを見させて頂いてもっと前向きに考えようと思えました。
このキズのおかげで、今は3歳で悪いさかりですが、息子にも出会えたんだから。。。
キズは息子を産んだ証ですよね!おかしいかもしれませんが、息子に説明して理解できるその日まで、キズは子供と同じ様に
大事にしてあげようと思えました!
お住まい | 島根県 |
帝王切開の回数 | 2回 |
出産地 | 島根県 |
出産年齢 | 20代 |
子の生年月 | 1999.11 |
産院(総合・個人) | 個人 |
10ヵ月になっても下がってこなくて予定日を過ぎてしまいました。
レントゲンを撮ってみると、児頭骨盤不均衡でした。
オマケに私の尾骨が普通より内側にあるといわれ、とりあえず自然に産んでみることに・・。
予定日を13日過ぎたので入院。入院する日の朝、突然破水してしまい慌てて病院にいきました。
昼過ぎても陣痛がこなくて促進剤を1錠ずつ計6錠のみました。
夜中に突然5分間隔の陣痛がきて、朝9時になってもまだ9㎝以上開かなくて超音波で調べたらナント回旋異常でした。
吸引をしてみたけど2回やったところで先生が「手術にしましょう」と言われ、緊急で切開することに。
外来時間中だったので昼12時に麻酔を入れてもらうまでひたすら陣痛に耐えてました・・・。
そして午後1時に開始。痛みに耐えること20分、待望の男の子がうまれました。
でも、破水から24時間以上経っていたので赤ちゃんは細菌に感染してしまって3日間保育器に入れられ点滴の管をつけられていました。
お住まい | 秋田県 |
帝王切開の回数 | 1回 |
出産地 | 秋田県 |
出産年齢 | 20代 |
子の生年月 | 2000.7 |
産院(総合・個人) | 総合 |
自然分娩の予定だったのですが緊急帝王切開になりました。
金曜日の夜に入院し日曜日に産んだので、2日間痛いし眠れないし食べれない状態で大変でした(T_T)
レントゲンでは骨盤と頭はギリギリだったらしく、陣痛がおきて赤ちゃんが下がってくると骨盤は広がるらしいので様子を見ながらという感じでした。
でもなかなか赤ちゃんは下りてこないし、子宮口は開かない・・・
先生の説明は、赤ちゃんはあごをひいて体を丸めて下りてくるのだけど、頭を後ろにのけぞった姿勢になっていて下りてこれなくなっている「回旋異常」、あと「児頭骨盤不均衡」(←これは状態を見ながらで結局ダメだった)で緊急帝王切開になりました。
手術中は眠くて眠くて、産声を聞くと同時に寝てしまいました。
長い陣痛になってしまったのは土日のため先生が不在で判断が遅れたことだと思います。。。
2826gの男の子でしたが、手術後先生に2500g以下の赤ちゃん(低体重の)じゃないと自然分娩は無理と言われ・・・
ということは次の子の時も帝王切開と決まったようなもの?
骨盤が狭い、背骨がすべり台のようになってないから途中で止ってしまったとか、いろいろ難しいことを言われました。。。
何かあったらすぐ対応できる総合病院がよいと母にすすめられて通いましたが
昔だったら危なかったところです~。でも無事に産まれてよかったです!!
お住まい | 愛知県 |
帝王切開の回数 | 1回 |
出産地 | 愛知県名古屋市 |
出産年齢 | 20代 |
子の生年月 | 1999.9 |
産院(総合・個人) | 個人 |
約1年半前ですが予定日をとっくに過ぎ(8月26日が予定日でした。)9月7日が検診の日でした。
この日までに陣痛がなかったら強制入院になる予定だったのがその日の早朝3時ごろから陣痛が本格的にやってきました。
(そのときは15分間隔)朝の7時ごろ病院に電話して8時ごろ病院に入院しました。
念のためにと陣痛促進剤を1錠飲まされ陣痛がピークに達してきた、1時ごろお昼ご飯を出されましたが食べてる余裕もない!
子宮口全開まで陣痛の痛みを逃すのが精一杯だったのに3時ごろいきなりボンッと破水!!!
それから5時間陣痛と戦いながら全開になるのを待っていましたが、8センチから開かないし赤ちゃんは降りてこない・・・
羊水はドンドン出てくるはで先生が確認してみると
(今までは助産婦さんが診ていてくれた)「羊水がこれだけ出てきてるのに赤ちゃんが降りてこないのはおかしい!ん?回旋異常だね。 これ以上長引くと赤ちゃんもお母さんも危ないので先生が何とかしてあげるね。」というので私は回旋異常を治してくれるものだと思っていました。
(9ヶ月のときに逆子になったのを外回転術?で直してくれたので)
「じゃぁ切りましょう。帝王切開しましょうね。」と軽~く言われ緊急帝王切開になりました。
陣痛はピークに達しており、点滴で陣痛を止めたのかな?
手術台に上がる前に3・4本点滴されました。
手術台は幅が狭かったのを覚えてる。(こんな狭いところで落ちないのかと思ったもん。)
腰椎麻酔だったので赤ちゃんが取り出されてお腹の上に乗せられたとき重かった。体重を聞いてビックリ!
なんと3935gもあったんです。(大きかったからではなくあくまで回旋異常のために帝切になった)
入院中は右下腹が痛くなってひょっとして盲腸?と疑いがあったために点滴の数が1日に3本も増えました。
そのためにトイレに行くのが超大変だったです。
(右下腹が痛いために力を入れることが困難なのでベッドを起き上がるのに20分近くかかった。)
傷口はホッチキスみたいなので止められていました。
予定では5日目から母子同室になるはずが、生まれて2日目の朝我が子は感染症の疑いで新生児治療の出来る病院へ転院となってしまいました。
9日目に産院の方に戻ってきたので1日だけ同室で過ごしました
10日目に無事母子同伴で退院することが出来たときはうれしかったです。
帝王切開にして母子ともに無事で、その後なんだかんだとトラブルはあったものの今ではいい思い出?になってるかな。
お住まい | 東京都 |
帝王切開の回数 | 1回 |
出産地 | 東京都 |
出産年齢 | 30代 |
子の生年月 | 2000.12 |
産院(総合・個人) | 総合 |
普通に分娩するはずで、一生懸命いきんでいたのに何故か出て来ない!
しかも、日曜日で先生がいなくて困り果てる助産婦と私・・という虚しい時間を経て帝王切開になってしまいました。
先生が到着すると、「回旋異常で出られない。もう時間が経ちすぎて胎児が危ない。すぐ切ったほうがいい。」となり、呆然としました。
そのときは疲れ果て(分娩開始から5時間くらいたっていた)ていたので、もうなんとでもしてくれという気分でもありました。
日曜日の出産は最悪ですね。
総合病院だったので他にも先生はいたのですが、私より早くに分娩が始まった人も何かあったみたいで、全然こちらに来てもらえませんでした。
生んだ後もなんだか自分の出産は終わっていないような気がして、早く下から生みたくて生みたくて仕方ありませんでした。
というわけで、次の子ができないのかなあ。
でも、また同じことになったらどうしよう・・。
こんな風にシツコク思ってるのって執念深いのでしょうかね(笑)
回旋異常と言われて改めて思ったのですが、赤ちゃんて自分でも生まれようと努力するんですよね。
「間違っちゃって、お母さんごめん!」とか、思ってたりして!?