- 児頭骨盤不均衡6 -

帝王切開の理由別体験談


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みみさん

お住まい  埼玉県川口市
帝王切開の回数  1回
出産地  埼玉県川口市
出産年齢  30代
子の生年月  2010.10
産院(総合・個人)  個人

初めての出産でした

毎回健診で言われる事は、「順調ですよ」としか言われてなく私の中では、普通分娩しか考えていませんでした。

出産予定日を過ぎて診察に行ったら、「今日明日で帝王切開です。」といわれて、頭の中はパニック状態でした。

なんで、順調なのに予定日を過ぎただけで、帝王切開??と思っていましたが、

翌日におしるしがきたので、これで陣痛が、来るだろうと思って、病院に行ったら、帝王切開の一点張りでした。

 

その時は、納得が行ってなかったので、家に帰りましたが、2日後に陣痛が、来たので、病院に行きました。

それでも、先生は、帝王切開するの一点張り。

説明も予定日が1週間以上過ぎてるからとのみ。

赤ちゃんの心音も弱くなっているわけでもなく、陣痛促進剤とかは使わないのですか??と聞いたところ、帝王切開しかダメとのことで、

急遽、主人に電話をし帝王切開になりました。

 

手術の時、全然関係ない話を手術室でしていて、部分麻酔なので、全て聞こえてました。

どこそこの病院の先生が、1人で大変らしいよ~とか。。。。。

片手間で、手術をされているようで気分が最悪でした。

また、切る瞬間、麻酔が効いてなかったので、痛いと叫んだら、麻酔が効いてるはずと言い張ってそのまま切られました。

徐々に麻酔は、効いてきたが、赤ちゃんが取り上げられた後に麻酔が切れて、息ができなくなりました。

看護師さん達も慌てて麻酔をかけました。

赤ちゃんが出てきた時の先生の一言が、「こんなにでかいの普通に産まれる訳ないじゃん」でした。

悔しくて、涙が出ました。

おめでとう、元気な赤ちゃんですよ。の一言もなく、本当に産婦人科医?と思いました。

うれしい出産にはならず、未だに引きずってます。

 

麻酔が切れるまでの間、私は、寒い寒いと、叫んでいたらしいです。

姉が、見てられないと、病室を出て行ったくらいひどかったらしいです。

麻酔が切れて、目が覚めると、看護婦さんにあなた、痛がり??過呼吸??と言われまた、ショックを受けました。

病室に移動するときも乱雑で、ベットに移動する時に看護婦さんが、転びそうになり、

傷口に手を着いたときは、痛くて痛くて、声が出ませんでした。

麻酔が完全に切れるまで痛み止めをもらえないので、傷口が痛かったです。

 

毎日、先生の回診があったのですが、「帝王切開で納得した??赤ちゃんが無事なんだから、納得したでしょ」と毎日聞かれるのが、苦痛でした。

結局、母子手帳には、児頭骨盤不均衝と書いてありました。

手術直前には、子宮口もあいてないし、回旋異常も見られるって言っていたのに、

適当な事を並べて、おどして、手術に挑ませるとしか思えなかった。

今でも、帝王切開に納得はいってないです。

 

予定日通りに産まれなかったから、切られたとしか、思えない状況でした。

 

・・・病院について

この病院は、ここ何年かで、建て直されて、きれいな個室になっています。

カーテンを開けると、小虫がいっぱい死んでました。掃除は、行き届いてません。

私が使った部屋は、使われていなかったのか、テレビのリモコンにも綿ボコリが付いていました。

看護婦さんに個々の引継ぎもちゃんとされていないので、昨日と違うことを言われとまどいます。

おっぱい指導も、看護婦さんによりけりで、私は怒られながら無理やり、おっぱいをもまれ涙を流しました。

初めてのお産でわからない事だらけなのに、あなたこんな事も知らないの??とか。。。

おっぱいは、擦り傷と、痣だらけになりました。

ちなみにおっぱいを拭くのも赤ちゃんの布オムツです。

 

 また、私が、入院した時は、ベットがいっぱいで、3階の部屋だったのですが、

基本は、母子同室なのですが、防犯上の為、乳児室に預りでした。

看護婦さんが忙しかったらしく、なかなか、赤ちゃんを連れてきてもらえず、1日3時間くらいと言う時もありました。

ベットも手動なので、帝王切開の次の日は、起きるのにも一苦労。

手術の次の朝お茶が出た時に起きれなくて、届かなくて、結局飲めなかった。

近くにも持ってきては、くれません。

 

私は帝王切開が、納得してなかったので抵抗しました。

術後の回診の時、先生に毎日帝王切開で産んで納得したか??と聞かれるのも苦痛だった。

最終日には、緊急帝王切開だけど、緊急料は、取ってないからと言われて、恩着せがましかった。

なんの緊急性があったのか、未だに疑問。

傷口は、毎日消毒してくれてガーゼで、抑えてくれるが、その上に赤ちゃんの布オムツを当てて固定されます。

いくら、業者さんが洗濯してくれてるとはいえ、衛生的に??って感じでした。

そんななかでも、感じの良い看護師さんもいます。

私は、病院の全てに不信感を抱いていたので、1人で何でもやろうとし、実際やっていた時に、

看護師は、お母さんを助けるのが、仕事なんだから、何でも我侭言っていいんだよと、声を掛けてくれた

看護師さんには、感謝の気持ちでいっぱいです。

 

ちなみに、病院の食事ですが、素朴で、とても美味しかったのが救いでした。

帝王切開で出産だったので、高額医療の申請が必要だったのですが、10月に産んで手続が、4月と、書類の処理も遅いです。

最後に。。。インターネットのクチコミは、当てにならないと思いました。

良い事しか書いてなく、悪い事は、削除されてるらしいですね。

最初にそれが判っていたら。。と悔やまれます。病院選びの難しさをしりました。

人それぞれ、良いと思う感覚とは、違うと思いますが、病院を見極めるのは、とても難しいです



こおママさん

お住まい  岡山県
帝王切開の回数  1回
出産地  岡山県倉敷市
出産年齢  -
子の生年月  2007.4
産院(総合・個人)  個人

私は背が低く(143cmです)、母子手帳を貰い初めての妊婦健診の時から帝王切開になると思うと言われていました。

そして36週に入って赤ちゃんの降り具合を見てから決めましょうと言われ 36週の健診の時に全然降りて来ておらず、しかもへその緒が首に巻き付いているとの事で38週での帝王切開が確定。

ずっと帝王切開だと言われていたので特にショックを受ける事も無かったです(寧ろ自然分娩で頑張ってみましょうと言われたらどうしようかと思っていました。帝王切開の事ばかり調べて自然分娩の事は知識が無かったので、苦笑。)

 

37週6日に入院。

最後の超音波検査でもやはり赤ちゃんは骨盤に入って来ていませんでした。

へその緒は巻き付いておらず引っ掛かっていた様です。(ところが同じく帝王切開で入院して居た方にはへその緒が巻き付いてたから帝王切開になったと言っていたらしいです。実際はどうだったんだろう…;)

この日はお腹、背中、おしもの剃毛と心電図、薬のテスト(皮下注射)がありました。

21時から絶食0時から絶飲食。

手術当日、朝10時頃に手術着?(ボタンで前後取れる様になっている)に着替えてから浣腸、

出し終えて(汚いですね;)点滴、NST。

12時半頃?に呼ばれて診察室まで行くと内診され、そのまま手術室へ。

あまりにもいきなりだった為心の準備が出来ておらず妙に緊張しました。

 

手術台に乗るや否や素っ裸にされ尿道カテーテルの挿入。

トイレに行きたかったのにいきなりだった為行けず気持ち悪い感覚。

 

挿入時は少し痛かったです。

それから心電図や脈拍を計るもの?を指に付けられ、頭にキャップを被され鼻にはチューブ。

そして、いよいよ腰椎麻酔。母に物凄く痛いと脅されていた為すごく恐かった!!

でも実際殆ど痛みがありませんでした。全く無かったかも、。

その後麻酔の効きをチェックする為にチクチクされましたがこれが痛い!!

麻酔が効くとどんな感覚なのか解らず曖昧に答えていたら思い切り抓られとても痛かったです涙。

どうやら右側が効いて無かったみたいでまた腰椎麻酔…。

最初微妙ながら動かせていた右足も動かなくなり段々恐くなりました。

汗もすごくかいていたみたいで心電図が取れたりして(苦笑)。

いよいよ切開の段階に入り妙な感覚の中早く終わってくれとひたすら祈っていたのを覚えています。

 

看護師さんが手を握っててくれたのには本当に救われました!!

こんなにも気持ち的に違うものかと自分でもビックリした位です。何だかグイグイ引っ張られてる

(切った部分を開いて固定させてる?)感じがした後に胃辺りを押されついに愛しい我が子の誕生です☆元気に泣いてくれました。

出て来た瞬間はとてもスッキリした感覚。

嬉しいと言う気持ちはまだ無かったと思うのですが自然に涙が溢れてました。不思議ですね。

赤ちゃんはすぐ横の方に移され色々計測したりしてたのかな?(眼鏡がなくて全然見えなかったんです…)2934gですよ、と教えてくれた後すぐに顔の横に連れて来てくれて、少しだけ触らして貰いました!!

可愛くて可愛くて仕方なかったです。

 

その後赤ちゃんは数時間保育器に。

私は縫合されていた様で糸を切るジョキンジョキンと言う音が気持ち悪かった…。

胃の辺りを縫われてる時(勝手な推測ですが)吐気をもよおし点滴が刺さってる手で口を抑えてしまい

看護師さんに手動かしちゃダメだと怒られてしまいました…。

ホチキスで止められている時すでにチクチクしてジンジンと痛くなってました。

普通だと思い我慢しましたが…; 無事に手術は終わり、その後一時間程手術室に放置。

足には弾性ストッキングをはかされ空気圧マッサージをされてました。

手術が終わると今度は寒くなったのか唇が震えていたので、タオルケットをかけてもらいました。

 

手術時間は麻酔に時間がかかった様で1時間位だったかと思います。

術後病室に移動する時、病人みたい…と言って旦那に笑われたのを覚えてます。

痛み止めはギリギリまで我慢して! じゃないと効かないから、と19時頃まで我慢しました。

当日に2回翌日に1回打って貰いました。筋肉注射で地味に痛かったです。

ガスがなかなか出ず、腸の動きを良くする注射(これまた筋肉注射…)を3回程打たれました。

翌日からガスが出る様にゴロゴロ体位変えて下さいと言われ必死にゴロゴロしてました。

腹筋の重要さを痛感した一日です(笑)

 

赤ちゃんに手術以降対面出来たのは翌日で授乳と食事開始(二分粥から。普通食は四日目。)と導尿カテーテルが抜かれたのは術後二日目でした。

シャワーは五日目抜鈎は七日目、退院は十日目でした。

今も傷口は若干痛いですが過ぎてしまえば楽だった気もします(笑)



くっきーさん

お住まい  大阪府
帝王切開の回数  2回
出産地  大阪市東淀川区
出産年齢  30代
子の生年月

 2004.4

 2006.2

産院(総合・個人)  総合

一人目の時に2度の流産経験がある事と、子宮筋腫に子宮内膜症とかで早産の恐れが高いと言われました。

医師がいうには1,000gを超えるかどうかで生存率がかなり違い…1,800gを超えると格段に生存率が高くなると言われたので、毎日お腹に向かって『早く大きくなってね!』と祈るような気持ちで語りかけてました。

私の願いが通じたのか…主人側の遺伝なのか…標準よりも大体200g~700g月毎に早く大きくなってくれました。

けれども、早産の可能性が高いと言われていたのに40週になっても出てきてくれず…

 

毎日2時間歩いて陣痛を促そうと38週位から頑張ってたのに…

その時に医師が『赤ちゃんが大きすぎて、骨盤に入らないのかもしれません。

帝王切開になる可能性を考えておいて下さい』と言われました。

自然分娩で産めると思っていたので、正直なところショックでした…

でも、スタッフの方々が気持ちのフォローをしてくれたので、赤ちゃんの安全が一番だと思いなおす事が出来ました。

41週に入り、X線で確認したところ、やはり頭が骨盤に入らない可能性が高いとの事。

万一頭が通っても肩が引っかかって吸引とかになると、赤ちゃんの肩が外れてしまう可能性が

あるという事、又肩が外れた場合に生涯麻痺が残る可能性もあるとの事。を説明されて、帝王切開に踏み切りました。

赤ちゃんの事を第一に考えたかったので…

結果、3954gの大きくて元気な女の子が誕生しました。

翌日には歩き、自ら希望して授乳しました。後陣痛がそれ程ひどくなかったので…

でも、術中は急激な収縮のせいか…産声を聞いた直後から激痛が走り、このまま死んじゃうんじゃないか…と思いました。

出血は1リットルを超え、貧血と肝機能低下にしばらくは薬が手離せませんでした。

 

二人目は、病院の方針で一人目が帝王切開の場合は子宮破裂の恐れがあるとの事で予定帝王切開でした。

37週6日で3,250g(週数の割りには大きかったです)

もはや、産む方法はどうであれ元気でいてさえくれれば!と思えるようになっていましたので、気持ち的には楽でした。

でも、手術の手順とかがわかるので恐かったのと、前回が術中に死んじゃうんじゃないかという位に痛くなったので、

 

医師に事前にその辺りの不安をぶちまけました。

丁寧に対応してくれて、少し不安はやわらぎましたがやっぱり術前の尿道に管を入れたり

筋肉注射を打ったりという手順は嫌で嫌で仕方ありませんでした。

今回は術中に痛む事はなく、ホッとしていましたが…術後に麻酔が切れ始めた頃から

持病の腰痛(ヘルニア)がたまらなく痛み出し、早く起き上がりたい、早く寝返りが打ちたい…

頭の中はそればっかりで、何度となくナースコールしては、枕を背中に挟みこんでもらって横向きにさせてもらったりしました。

足の麻酔が切れるまでは、自分では全く体が動かせないので…

翌日になり、やっと起き上がって良いと許可が出て、早速上の子と同じようにしてやりたいと思い、授乳を申し出ました。

 

ところが!授乳を始めた途端に後陣痛が始まりだし、それが一人目とは比べ物にならない痛みで…めまいがしそうなくらいでした。

痛み止めを貰い飲んでも効かず、結局痛み止めの座薬を入れてもらいました。

後陣痛は個人差があるようですが、同室の方が全て帝王切開でしかも2人目の方でしたが、皆さん一人目よりも辛いと言っていました。

結局、今回も術中の出血が1リットル以上で(体質が出血傾向がある為)やはり貧血で入院中は増血剤を最後まで注射、退院後は鉄剤を飲んでました。

でも、子供が元気でいてくれれば、これ程力になる物はないんでしょうね。結構頑張れるもんです。

上と下が1歳10ヶ月違いなのでこれからも四苦八苦が多いとは思いますが、頑張りたいと思っています。



なおっちさん

お住まい  神奈川県
帝王切開の回数

 1回

 (2人目はVBAC)

出産地  神奈川県川崎市
出産年齢  30代
子の生年月

 2001.7

 2005.1 

産院(総合・個人)  総合

一人目

・児頭骨盤不均衡で帝王切開

・体重:3644g、頭囲:38cm

・レントゲン撮影し、担当医と教授で帝王切開が適切と判断。

 予定日だったため、これ以上先延ばしにする意味がないと言われ、

 その日の夕方、帝王切開にて出産



さらさん

お住まい  北海道
帝王切開の回数  1回
出産地  北海道
出産年齢  20代
子の生年月  2004.12
産院(総合・個人)  私立総合病院

・2004.12.14

12月になって、2度目の定期妊婦検診。この時点で私は妊娠39w1d。

私たち夫婦は「できたよ結婚」(結婚はするつもりだったけど、先に授かった)で、しかも主人がまだ学生(今春より社会人)ということもあり、多少ほかのご夫婦に比べて時間の調整が利くので、毎回妊婦検診には同行してもらっているのだ。

 

妊娠初期は、つわりがわりと重いほうだったのか、度重なるトラブル(できたよ結婚だから;苦笑)3度の入院をするほどで。

しかし8月以降はいたって順調、しかも成長もいい方とドクターにも言われていて、

この日も当然順調といわれる予定でいた。しかし、そう上手くはいかなかったのだ。

まずNST。異常なし・・・・。次にエコー。これも順調・・・。

そして内診。

私は人よりも我慢がないせいなのか、毎度内診が嫌。しかも痛い。

この日もドクターに「痛い、痛い・・・」と訴える。

子宮口がどのくらい開いているのかを検査するための内診だった。

そして、1センチも開いてはいなかった。

内診が終了し、ドクターは言った。「○○サン、じゃあ、念のためレントゲン撮ってみようか?」

通常私ほど内診を痛がるプレママはいないとか。(←某看護師Aの言葉。言い方がきつく微妙に腹が立つ)

 

以前、某育児雑誌で「妊娠後期に骨盤のレントゲンを撮影することがある」という記事を読んでいた私は

この日、偶然にもドクターや看護師にその件を尋ねていたのもあり、あくまでも「念のため」だった。

主人と「これで帝王切開になったらある意味ショックだ(今までが順調と言われていただけに、経膣分娩だと思い込んでいたため)」などと・・・

 

半分ジョーク交じりな会話をしつつ、検査。結果を聞いた私達。

数分前まで、半ば冗談で話していたことが現実となってしまう。

・・・私の娘は、なんと骨盤の中にすっぽり埋まりきっていて、身動きもあまりできないような・・・。

 

実はこのときの私の体重は非妊娠時プラス15kg。自分でも増えすぎだとは知りつつ、体重管理できていなかった。

このまま、陣痛が来て出産となればそれだけリスクを伴い、母子ともに危険だと言うことは、

医学知識のない素人の私たちにでさえ、容易に理解できた。私は自分を責めた。

「もし、私がきちんと体重管理できていれば・・・。」と、それまで描いてきた自分のお産のイメージとのギャップにその日はなんだか、鬱気味にさえなった。そのとき担当だった看護師A。

私はこの人の冷たい一言を一生忘れることはないだろう。この台詞、皆さんはどう思われるだろう?

「こっちも年末とかで忙しいんだから、早めに手術日、決めちゃってよ」

(私の「子どもの誕生日を自分たちで決めちゃうんだ」という言葉に対して)

「じゃあ、下から頑張ればいいじゃないですか(←呆れた口調で)」

 

・2004.12.15

こうして、児頭骨盤不均衡と診断された私だったがこのHPをみる機会に恵まれる。

そして決意。「子どもの誕生日を決めることは悪いことではなく、私達夫婦から娘への最初の誕生日プレゼントなんだ」と。

早速病院に連絡をとり、翌日に一切の説明を受ける。運命の日は21日。

私達夫婦にとって娘は第1子であり、母親学級、両親学級など・・・・主人にもいろいろ協力してもらって

その中で父性、母性を育ててきた。その集大成がもうすぐ訪れる。この時点で私の気持ちは晴れ晴れとしていた。

 

・2004.12.20

出産前日。入院する私。明日にはママとなる。わくわく半分、心配ありの、そんな気持ち。

夜は興奮気味(笑)でそんなには眠れなかった。

 

・2004.12.21

いよいよ出産の当日。午前中よりいろんな準備が始まる。そして2時50分過ぎ、点滴状態のまま手術室へ。

この数分後にわが子と対面できると、ドキドキ半分、不安半分。手術室につくと、腰の麻酔を受ける。

だんだん体が暖かくなってきたところで手術開始。

ドクターの「あー、骨盤がやっぱり狭かったか・・・」との言葉を聞いた数分後の3時30分、娘誕生。

3220グラム、49センチ。

 

朦朧とした意識の中で聞いた娘の鳴き声にどれほど感動しただろう。しばらくして、綺麗に洗ってもらった娘が私のそばへ。

看護師さんがつれてきてくれたのだ。

しかし、実はこのときすでに私は吐き気と格闘中で・・・それどころではなかった(本当に危なかった)。

そして急にカメラのフラッシュがたかれた。

どの病院もそうなのかわからないが、私の出産した病院は記念写真を撮ってくれた。

 

その後、すぐに娘は手術室から出る。

私は安心した気持ちになり・・・ふぅ、と一呼吸おいたが、すぐに2度も吐き戻してしまった。

それから自分はお腹を縫合してもらって、病室へ。

主人と母が手術室の前にいて泣いていた。

なぜか覚えていないのだが、後日母から聞いた話では、しきりに「かゆい、かゆい・・・・」と言っていたみたい・・・。

病室に戻ってもぼーっとしていて、家族が帰ってからもずっと暑くて、かゆかった・・・。

 

・2004.12.22

朝になって、床から這い出して、娘に会いに行こうとする私。

腰とお腹に筋肉痛に似た痛みが走り、病室から新生児室までの数十歩が何kmにも感じた。

やっとの思いでたどり着いた先には、窓越しではあったが娘が起きていて。手足をバタバタ。

そんな姿を見ていると、胸が痛くなってきた。ふと、パジャマを見ると母乳で湿っていた。

母親になったんだな、と思う。新生児室に入って、はじめて胸に娘を抱き、母乳をあげる。

生まれたばかりなのに、よく飲もうと必死で。

私の場合、母乳がよく出るほうで下着やパジャマをべたべたにしてしまうほどだったので入院中、常に胸がはってしまい、痛かった。

 

・2004.12.23~28

慣れない「子育て」の始まり。すべてが子ども中心。

しかし思っていたよりもよく寝て、よく飲む娘に感謝しつつ、それなりに睡眠もとれた。

やはり、切開しているだけに傷口が痛く、授乳のときは結構大変だった。

抜糸したのは27日。18箇所のホチキスの針。

綺麗に傷がくっついて欲しいな・・・。ちょうど24日はクリスマスなイベントがあり、病室までサンタに扮した

小児科ドクターがプレゼントを持ってやって来たり、ママには特別な夕食が出たりで入院生活はそれなりに充実していた。

 

・2004.12.29

今日は退院の日。黄疸もなく順調に体重増加もしていた。これから自宅に帰ってからの生活に不安と楽しみが半々。

主人はもともと子ども好きであるので、積極的に育児に参加してもらうなどしてやって行こうと思う。

 

(あとがき)

この文章を書いている現在、1か月は過ぎているのですが、この間にさまざまな勉強をし、工夫も生まれました。

初めてでもそれなりに努力すれば・・・なんとかなるものだなぁと感じます。

育児書のように「○○にしなくてはならない」というよりかは、自己流のほうがいいですね、多分。

私の場合はそのとき、子どもが何を訴えているのかを考えて、臨機応変にした方が上手くいっているような気がします。

このレポートを読んでくださったすべての皆様、ありがとうございました。

そして、育児がんばっていきましょうね(^_^) 



ゆかりすさん

お住まい  兵庫県
帝王切開の回数  1回
出産地  兵庫県姫路市
出産年齢  30代
子の生年月  2004.5
産院(総合・個人)  個人

私の場合 妊娠中は逆子になったり戻ったり横になっては下を向くということを繰り返していたのですが

臨月にはなおり安心していました。

そして予定日を迎えましたが一向に気配なし。

でも「初産は遅れやすいっていうし」っていう母たちの言葉を信じ待つこと11日。

里帰りだったのですがご近所さんからの「まだなの?」攻撃にすっかりつかれて、陣痛の痛さが怖いと

いう気持ちはなく痛いのオッケー!いつでもいいから来てちょうだい!!という心境で診察に行きました。

そこで、やはり入院をすすめられました。

 

一度自宅に帰って用意をし午後から入院。

促進剤使うのいやだなと思いながらものんびりとかまえ、お薬のんで、暇つぶしに本を読んでいました。

一時間ごとくらいに看護師さんが見にきてくれるけれどまったく変わりなし。

そのまま一夜がすぎ、点滴をしても陣痛は弱いままでした。

翌朝は陣痛室にかわり様子をみましたが結局帝王切開ということになりました。

 

入院して、促進剤をいれられても全く帝王切開になるということは考えてなかったのでかなりあせりました。

私としては出産には時間がかかると思い、主人は仕事に行ってたので二時間の道のりを車とばして来てもらい、帝王切開をした知り合いにどんなものかをたずね、想像しなかった事態にかつてないほどドキドキしました。

そして時間になり、手術室に入り、自分ですっ裸になることに衝撃をうけ、麻酔が効きすぎじゃないかと思うくらい効いて頭もボーっとしてしまい、赤ちゃんの顔をみて、「想像よりかわいい」とは思ったけれど、思っていたような感動はなく、なされるがままでした。

 

酸素マスクして、ストレッチャーで運ばれてなんだか恥ずかしかったのですが、そういうと看護師さんに

「余裕あって元気だね~」って言われました。

手術中は意識もうろうとして、かつてなったことのない状況が怖くなりましたが、その後は順調な回復でとても元気で驚かれました。

当日は主人が泊まり、赤ちゃんも一緒にすごしました。

そして翌日には看護師さんから驚く言葉が・・・。

それは「立ち上がってどんどん歩いてくださいね!」でした。

ひえぇ~とは思ったものの、パラマウントベッドと主人に助けられてなんとか体をよじり、立ち上がると・・・

 

結構スタスタ歩けるのに驚きつつ、用もないのに別の階に行ったり、新生児室に行ってわが子と同じ日に生まれた赤ちゃんにご挨拶したりしました。

 

二日目のその日は夜はお世話が大変だったので預かってもらいましたが、三日目からは昼夜共に母子同室にしてもらいました。

三日目にはテープをはってもらってシャワーもあびました。

退院は出産から7日目でした。

退院早すぎと言われることもありますが、体は回復していました。

私の出産した病院は人気があって忙しいためもあるのるのかもしれませんが普通分娩4日帝王切開7日でした。



うーたんママさん

お住まい  静岡県静岡市
帝王切開の回数  1回
出産地  静岡県静岡市
出産年齢  30代
子の生年月  2003.7
産院(総合・個人)  総合

予定日のお昼前ぐらいから、何となく陣痛が来た…かな?と感じ始めましたが、さほど痛みはなかったので、様子を見ることに。

夕方、何となく5分間隔ぐらいになり病院に連絡するものの、ドラマで見たり、人に聞くような痛みは全くナシ。

一応、病院に向かうようにと言われて、慌てて支度・出発。

病院に着くと安心したのか陣痛がピタッと止まってしまい…。念のため陣痛室に夫と泊まるハメに。

どうやら『微弱陣痛』でという事で、お腹に機械を取り付けられて、定期的に看護婦さんが様子を見に来てくれました。

(私は意外と平気で熟睡していた反面、夫は私が寝ているベッドの足元と置いてあった

椅子とで寝ていた事と、様子を見に来てくれる看護婦さんに起こされるのとでほとんど眠れなかったらしいです)

翌朝、主治医が来て「念のため、レントゲン撮りましょう」と言われ、レントゲン室に。

結果は、『骨盤狭小(児頭骨盤不均衡)』と『回旋異常』でした。

レントゲンを見た主治医は、「母体の身長が150cm以下だと回旋異常を起こしやすいんですよねー。安全のため、帝王切開をお勧めします」と…。

オイッ!ちょっと待て!

そんなの初めから見てわかってたんじゃないの?

どー見たって私、150cmないじゃん!?(私は147cm)そんな事、今初めて聞いたよっ!

そういう可能性があるって、なんでもっと早くに教えてくれなかったのよっ!!自然分娩を楽しみにしてたのに!!

帝王切開ならそれなりに準備も出来たのにぃ~っ!!!

 

頭がパニックでした。

担当医は普段、診察とかは慎重な人で、予約してても一人一人に時間がかかって、

結局は2時間待ちなんてことも多々ありでした。なのに…。

『手術』と聞いて一番パニックだったのは夫でしたけど…。(^^;)

朝になって駆けつけて来てくれた私の母が心配するほど青ざめていたそうです。

立会い出産を予定していたので、夫も母親学級にあわせて休みを取ったり、

予定日が近くなる頃には長期休暇を取ってくれてたりしたので、可愛そうな事をしました。

早いうちにそうなりそうだって教えてくれていたら、有給も他で使えたのに。

(結局は出産後には仕事に復帰したので、退院して実家に帰っている私と我が子にはなかなか会いに来る事が出来なかったのです)

しかし、そうと決まれば覚悟を決めて、頭を切り替えるしかない!

無理に下から産んで、母子共に危険な目にあうのは避けたかったので…。

 

午後2時、オペ室へ。

友達から聞いていましたが、本当に『まな板の鯉』でした。

人生で初めてのオペ室。チョット楽しんじゃいました♪

部分麻酔だったので、執刀医(主治医)や看護婦さん達の話も聞こえたし、私自身、話をしながらでした。

「今、何やってるんですかぁ~?」

「え?もう切ったの?」

「もうすぐ出てくる??」

…きっとうるさい患者だったでしょう(^^;)

何だか急に緊迫感がっ!!

おぉ~、何か引っ張られる感があるぞぉ~?

来るか、来るか?

…おにゃ~!

私:「おにゃ~?“おぎゃー”じゃないの?」

看護婦さん:「おめでとう!立派な男の子ですよ~!手も足も2本ずつ、指もちゃんと5本ずつあるからね~」

それまでうるさくしゃべくり倒していた私もさすがに大興奮!!

肩の所に我が子を連れて来てくれた時には「やっと会えたねー!!嬉しい~!!」と叫んでいました。

あとの処置をしながら主治医は「いや~、あんなに大きいとは思わなかったよ~」

……。

散々エコー見てたじゃん!!(- -メ)

(確かに3985gと大きかったさっ!この時は『エコーってあてにならないの?』って思いました)

その後、へその緒が巻き付いていたことを聞かされ、帝王切開にしてよかったと思いました。

(どの部分に巻き付いていたのかは興奮していて聞き忘れてしまいました!!)

 

我が子は毛布に包まれ一足先に新生児室へ。

処置が残っていた私は遅れて病室へ。

新生児室の前を通る時に看護士さんがガラス越しに我が子を抱き上げて見せてくれました。

(いきなり縦抱っこ!首のお肉でまるで首が座っているかのよう!!)

その後お腹(内部)の出血がひどく、血を外に出すのに医師2人にお腹の上に乗られ、

麻酔よりも痛い思いをさせられて、生まれて初めて痛さで泣き叫びました…。

翌朝もまだ血が溜まっているとの事で、またしてもお腹に乗られ、大泣き&絶叫…。

出血は何とか治まったものの、起き上がることも出来ず、我が子にも会えず、情けないやら悲しいやらでシクシク…(TnT)

 

夜、看護婦さんが我が子をポラロイドで撮って来てくれて、

「赤ちゃんが待ってるから、頑張って起き上がってオッパイあげに行きましょうね!」と励ましてくださり、

3日目には何とか起き上がり、ポータブルトイレで用が足せるまでになりました。

その日の夕方、ようやく我が子に会いに新生児室へ歩行訓練も兼ねて行きました。

(この時は天敵のスタンドにすがり付くようにしか歩けませんでした)

授乳はまだ出来なかったけど、抱かせてもらう事が出来ました。

担当医は「あんなに大きいとは思わなかった」と言ってましたが、初めて抱いた時の第一声は「ちっちゃーい!!」でした。

 

確かに他の赤ちゃんと比べると大きいのですが…。

 

その日の夜から、看護婦さんによる恐ろしいオッパイマッサージ(乳腺貫通の儀式?)が…!!

キャーッ!!!痛い~!!!!

4日目から授乳開始。

初めは母子共に下手くそで、なかなか上手く飲ませる・飲む事が出来なかったのですが、

日が経つにつれて何となくサマになってきたような…?

(ウチの子はどうしても飲みながら寝てしまうので、起こすのに大変でした!)

約2週間の入院だったので、最後の方になると入院病棟での大ベテランに!

退院後、初めのうちは傷口を見るのが怖かったです。

痒いし痛いし…。

 

自宅に戻り、何日かしてお風呂に入った時に勇気を出して見てみました。

こんな小さな切り口(約15cm)からこんなの(!?)が出るんだ~とビックリ!

思わず夫に「見て見て~!こ~んな穴から出てきたんだよ~。スゴイね~♪」と見せてみました。

後々聞くと、「アレはかなりのショッキング(グロテスク)なものだった…」と言ってました。

(しかも私本人にではなく、姉に…。気を遣ってくれたのかな?)男の人って弱いですねー。

 

はじめのうちは、『産みの苦しみを味わう事が出来なかった』とかなりの“マタニティーブルー”になって

いましたが、今では『この傷は立派な出産の証だ!』って誇りを持って言えます!!

もうすぐ1年5ヶ月になる今でもまだ痒かったりチクチク痛かったりするのですが…。



ジュリアさん

お住まい  横浜市
帝王切開の回数

 3回

 (1人目は経膣分娩)

出産地  神奈川県
出産年齢  40代
子の生年月

 1993.1

 1998.6

 2002.2

 2004.8

産院(総合・個人)  総合

私にとっての第一子は自然分娩で出産したのですが、とても大きい赤ちゃんで、特に頭囲が大きくて、かなりの難産になってしまいました。

第二子も同じ病院、先生だったので、「今回も大きい頭の赤ちゃんだから、帝王切開にしましょう」と、危険を避ける為に決心しました。

手術中、麻酔が効いていないのかと思う程痛みがあり、ずっと看護師さんの手を握り締めて、

「痛いよ~」とうなり続けていました。

手術は一時間程でしたが、終わった時はグッタリとしてしまい、手術室から病棟に戻ってきたぐらいに

いきなり吐き気に襲われて、もどしてしまいました。それから麻酔が切れてから、痛み止めの座薬と注射を交互に何度かしてもらい、夜が明けました。

翌日、夕方には歩行を始めましたが、最初に起き上がり足を床についた時は、気を失うかと思うぐらいお腹が痛かったです。

でも早く赤ちゃんの所に行きたくて必死で痛みをこらえ、歩く練習をしました。その後は、結構順調に痛みも減っていき、出産から8日目で退院しました。

 

第三子の出産は、前回帝王切開だったのでやはり切ることにしました。ただ、二回目の帝王切開なので多少の癒着があり、出血量も少し多かったようです。

とても残念なことに、この子は生後一日で私の元から去ってしまいました。

そのショックからか、その後しばらくの間の記憶が私にはありません。

ただ覚えているのは、とにかく一日も早く家に帰りたくて、予定より2日程早目に退院したのですが、

その3日後にお腹に激痛があって救急車で運ばれ再入院になってしまったことです。

出産したのに薬おっぱいを止めてしまったりしたので、子宮の戻りも悪くなってしまったのでしょう。

心身共にボロボロでした。

 

そして、約2年後に第4子を授かることが出来ました。とてもとても嬉しかった半面、いろいろ不安も

ありました。3回目の帝王切開になるだろうということ、私の年齢、そして前回起こってしまった悲しい出来事。

いろいろと考えて、今回は悲しい思い出のある同じ病院での出産はやめて、大学病院で出産することにしました。

予定通り、順調に手術予定日まで進み、37週と4日になりました。

前日から入院して、検査や点滴など準備も整いました。当日、朝から、飲まず食わずで過ごし、

午後2時に手術室へ向かいました。すぐに腰痛麻酔をかけ始め、硬膜外麻酔のチューブも入りました。

今回の手術では痛みはまったくありませんでした。

しばらくして、赤ちゃんを取り出しているのがわかったぐらいに先生から、「生まれたよ~」と言われ,一気に力が抜けました。

そして産声が聞こえたとたんに涙が止まらなくなってしまいました。

その後、私はとても眠くなりうつらうつらしていたのですが、実は、私自身が大出血を起こしてしまい、先生方は必死で止血をしていたのです。

なかなか出血場所が特定できず、止血に手間取って2000cc近くの出血があったと聞きました。

手術も3時間以上かかったらしく、家族はとても心配していたようです。

そのせいで、入院中はひどい貧血になり、身体の回復が遅れました。

それでも退院が2日程延びただけで、無事家に帰ることが出来ました。

 

三回の帝王切開、やっぱりそれなりにかなりのリスクはあると思います。

ただ、私はそのリスクを負ってでもかわいい赤ちゃんをこの手に抱きたかったので、少しでも安心して任せられる病院、

そして先生を見つけました。そして今、とても幸せです。



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