- 児頭骨盤不均衡5 -

帝王切開の理由別体験談


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みらくるさん

お住まい  愛知県
帝王切開の回数  1回
出産地  愛知県
出産年齢  30代
子の生年月  2003.3
産院(総合・個人)  総合

◆38週◆

検診時に骨盤のレントゲン写真を撮りました。

骨盤が狭く、赤ちゃんの頭の大きさから判断しても普通分娩ができるかどうかは非常に微妙だと言われました。

ちなみに私の身長は153cmです。1週間後の検診までに変化がなければ、

 ①入院して陣痛促進剤を使用の上、普通分娩にチャレンジ

 ②それでもだめなら帝王切開

という方法をすすめられました。

 

◆39週◆

検診に主人も同行しました。

内診の結果、赤ちゃんの頭はまだプカプカ浮いたままで降りてくる気配が全くなし。

「陣痛促進剤での普通分娩を試みたとして、もし胎児の心拍が弱くなったり何か異変が起こったら

緊急帝王切開に切りかえる」というドクターの説明を聞いて「それなら最初から胎児に安全な帝王切開で」という方向で主人と私の心は決まりました。

でも、「もしかしたらあと数日待てば頭が降りてくるかも…」という期待もあって、あと少しだけ様子をみることに。

 

◆40週◆

やっぱり赤ちゃんの頭は降りてこなかったので帝王切開が決定しました。

出産予定日の5日後に手術です。

 

◇浣腸◇

まず、手術前の浣腸にとても苦しみました。

浣腸してから手術までの5~6時間はトイレに何度駆け込んだことかわかりません。

脱水症状におちいる寸前でした。

 

◇麻酔◇

局部麻酔(硬膜外)でした。

あまり効いていなかったのか、手術中は痛みのためずっと唸っていました。

赤ちゃんをお腹から取り出すため、お腹をぐっと押さえつけられた時はあまりの痛さに叫びました。

入院中は私の他に、帝切出産をした人が2人いましたが全員こんな感じだったようです。

ちなみに縦切りです。

 

◇術後◇

手術終了時から翌日の朝まで、血栓予防のポンプが両足につけられます。

プスープスーと音がするので、気になってよく眠れませんでした。

背中に入れられた管から痛み止めが自動的に入るようになっているので、傷の痛みはあまり感じませんでした。

もちろん、ベッドからおりたり寝返りをうったり…と、動くと痛みます。

でもこの痛みも3日ほどでだいぶ楽になります。

術後はどちらかというと、子宮収縮の痛みの方が辛かったです。

 

◇傷あと◇

通常、切開部分の縫合はホッチキスの針のようなものを使用しますが 私は皮膚が弱く、ケロイドに

なりやすいということをドクターが考慮して気を利かせて「接着剤」でくっつけてくれました。

接着剤を使うと傷の治りが早く、傷あとがきれいなのだそうです。

そのため、私は他の帝切出産の方より3日も早くシャワーの許可がおりました。

しかし、手術から約1ヶ月後、傷のまわりに無数の湿疹ができてきました。

どうやら接着剤にかぶれてしまったようです。

なぜ1ヶ月も経ってから湿疹が出てきたのか、はっきりとした理由が分かりませんでした。

この湿疹が治ったのは、手術から3ヶ月たってのことです。

 

◇傷あとその後◇

切開した範囲は約9cmですが、下4cmはしっかりケロイドです。

1年以上経った今でも痒いです。

確かに、ケロイドになっていない部分の傷は、ケロイドの部分と比べるとかなりいい感じですが、

それでもしっかりとしたアトは残っています。

同じ様に帝切出産した友人は傷があることすらほとんどわからないほどキレイなのに…。

やはり体質が大きく影響しているんですね。

私の場合、湿疹ができて、あまりの痒さにかきむしってしまったのが余計に悪かったのかもしれません。

 

◇帝王切開になった理由◇

帝王切開になった理由は「児頭骨盤不均衡」だと思うのですが母子手帳には「児頭下降不良」と書かれていました。



ちいママさん

お住まい  福岡県北九州市
帝王切開の回数  2回
出産地  福岡県北九州市
出産年齢  -
子の生年月

 2000

 2002

産院(総合・個人)  個人

専門的な事は良く分からないのですが、あまりにもひどい体験をして今でも思い出すのも辛いこの病院での出産でした。

 

初めての妊娠で新しく比較的近く評判のいいこの病院を選び受診しました。

初めての受診で「身長が150cmないので普通分娩は無理かもしれないですね。

うちはカンシ分娩はしないので赤ちゃんが仮死状態になっても責任が取れません。

帝王切開を考えておいてください。」といわれました。

えっ帝王切開??すぐ主人と母に相談しましたが、まだ心音も確認できていない時期にこんなこと言うのかな・・と不思議になりました。

37週になっての予定帝王切開が決まり、その間にも何度も医師に相談し赤ちゃんの安全を一番に考えてとお願いして話し合いました。

児頭骨盤不適合の検査もありませんでした。

 

手術当日朝、病院へ向かい剃毛、浣腸を済ませ手術室のような所で待機していました。

隣の準備室のような所から看護師の雑談が聞こえてきました。

「よく帝切なんかするよね。まともに産めるくせに・・あたしなら絶対普通に産んであげるけどね・・」

えっ私の事?と思いながら、不安と寒さと(薄い手術着のようなもの1枚でしたので)で体が震えました。

実際逆子以外で帝切したのは、その時期私だけだったようです。

 

医師から「丸2日位聞く麻酔だから、痛みはないですよ。」と説明を受けました。

腰椎麻酔は想像以上に痛く、看護師の白衣を握りしめていました。

それからすぐ赤ちゃんが誕生しました。

帝王切開でも初めての我が子に感動、感激の涙があふれました。

それからすぐに意識がもっと朦朧として眠ってしまいました。

 

救急車のサイレンで目が覚め、点滴の袋を見ると赤い・・・赤い点滴?ボーとして自分の腕を見ると管もシーツも床の絨毯も真っ赤でした。

点滴がずれたのか、辺りが血で真っ赤で何が起こったのか分かりませんでした。

すぐにナースコールをして看護師を呼ぶと「あらー動かしたのね。点滴がずれてますね。」

とめんどくさそうに言われ、シーツ、パジャマをすべて交換しました。

その時、体を動かす為お腹に激痛が走りました。

一体何時間たったのかなと思いました。

麻酔が切れてる?切れてました。完全に。

出産から、約3時間経っていました。

「赤ちゃんは大丈夫ですか。」

うつろな意識で看護師に聞くと「大丈夫ですよ、元気ですよ。」

ひとまず安心してやっと目が覚めました。

早く赤ちゃんを抱っこしたいと思いましたが、痛さでそれどころではなく夜中脂汗を感じながら必死に痛みに耐えました。

結局その時聞いたサイレンは私の赤ちゃんを迎えに来た救急車だったのです。

 

翌日医師から一過性多呼吸との説明を受けました。

市内の総合病院に搬送し、新生児集中治療室に入ったとの事、何がなんだか分かりませんでした。

リスクの説明は全くなかったので、なぜ赤ちゃんに一番安全でリスクのない出産方法を選んだのに、集中治療室に行くの?と分からなくなりました。

母と主人には感染症の疑いがあるから、1週間後に結果が出て生きるか死ぬかと説明があったようでした。

母がまだ導尿などで動けない私に「赤ちゃんはまたできるけどあなたが無事で良かった・・」と言いました。

主人から渡されたポラロイド写真は何本もの管が体に巻きついた保育器のわが子でした。

 

4日間の絶食、水もほとんど飲めずに点滴漬けでした。

当然母乳も出なく、僅かな初乳を冷凍して主人に運んでもらいました。

第2子を総合病院で産んだからこそ分かったことですが、母乳マッサージもほとんど教えてもらえず、

「だいたい出ないおっぱいだね。」であきらめられてしまいました。

この病院は食事が豪華でおいしいので有名なのですが、食事の許可がでてから、毎回調理のおばちゃんが配膳、片づけをしてくれます。

それぞれお部屋で食事をするのですが、少しでも残すと「あらーなんで食べてないの?おいしくなかった?」と聞かれました。

 

母乳が出ない上に絶食が長かったのであまり食べる気もしなくて、責められているようですごく辛かったです。

それから、初めて傷口を鏡で見たときは愕然としました。

3、4cm位のダンボール箱を梱包するようなホチキスが10本ありました。

これも第2子の時は1.5cm位のもので抜糸の時の痛みも大げさではなく、100倍位違いました。

第2子の担当医が抜糸と聞いて震える私を見て不思議がっていました。

それくらいに大きなホチキスは1本はずすたびに手に汗がでて、震えがきました。

前回の帝切がうそのように2度目の帝切は快適でした。

 

看護師の態度も処置も2度の経験で施設によって全く違うことが分かりました。

二度目の出産時は母乳マッサージも根気よく指導してくれて毎日1時間以上も丁寧にマッサージをしてもらい、本当にドクターや看護師の方に感謝の気持ちでいっぱいでした。

結局初めてのお産は最悪なものでしたが、長女はそれから順調に健康に育っています。

いろいろと大変だったこともあり、先生にお礼をと母が用意した封筒を当たり前のようにポケットに入れた担当医の仕草が今でも忘れられません。 



ぱんぷきんママさん

お住まい  京都
帝王切開の回数  1回
出産地  京都
出産年齢  30代
子の生年月  2004.1
産院(総合・個人)  総合

【妊娠経過】

子どもが欲しいと思ってからなかなか授からず,やっと恵まれての待望の妊娠でした.

妊娠前からの仕事をそのまま臨月まで継続し,つわりも妊娠中毒症もなく,全く順調な妊娠経過

でした.予定日の1週間前の健診でも,児推定体重2900g,逆子なし,子宮口1cm大で,異常なし.

 

【帝王切開まで】

予定日4日前に破水で救急へ入る.病院で陣痛なく一晩明かし,翌日の朝,主治医の診察で,陣痛促進剤を投与.

陣痛はきても子宮口開かず,バルーン挿入.陣痛がピークになり,子宮口8cmの状態で3時間…,

児の頭が全く下がってこないということで,分娩停止状態となり,主治医により,緊急帝王切開が提案される.

陣痛でうめいているベッドの横で付き添いの夫とともに,主治医から手術の説明を受ける.

<皮膚横切り12cm切開,子宮も横切り,縫合はクリップで,一応術後10日間入院>

理由は,児頭骨盤不均衡,前期破水によるもの.(とはいえ,いまだになんで?という思いだけが残る…)

(レントゲンはとってません.児心拍低下もなし.)

 

【手術】

オペが決まったとたん,腰をさすってくれていた助産師さんも,オペ準備で,1分間隔の陣痛に

耐えている私のことはほったらかし….

淡々と剃毛,導尿,点滴,術衣着替え,結婚指輪まで外さされて,ストレッチャーで手術室へ.

陣痛で叫び続けているのに,着替えたりベッドに動かされたりで,初めての手術という怖さと,

付き添っていた夫がいなくなって独りになった不安,この陣痛から逃れられるなら…正直,

赤ちゃんがどうなっているかなど,考えられる余裕はなし….

手術決定から30分で手術室入室.

麻酔科医により麻酔が入り,部分麻酔で全く痛みもなく,手術開始.

意識のある中で,40分後に赤ちゃんが取り出される.「おんぎゃあ!」という第一声をはっきり聞ける.

助産師さんが赤ちゃんをきれいにしてくれて,点滴台にくくられた左手を自由にしてくれて,

赤ちゃんをしばらく触らせてくれて,思わずうれし涙が出た.

麻酔科の女医さんが,「どうぞ」とガーゼを渡してくれて,うれしかった.

3050gでほぼ推定通りの体重,頭は小さく標準範囲以下の大きさ.

こんなに頭が小さいのに,何で骨盤に入ってこなかったのか?不思議.

 

【手術後】

子宮筋腫があったので,ついでに除去してもらい,(保険点数には付加されず)650mlの出血があったものの,輸血なしで手術終了.

術後は,嵐が去ったかのように暗い病室に戻り,家族に迎えられる.

「おめでとう」よりも「大変だったね」の雰囲気…赤ちゃんはNICUで保育器の中.

手には点滴,ベッドにはエアマット,背中には麻酔,下半身は全く感覚なし,足には弾性ストッキング,下肢圧迫ポンプ.エアマットと弾性ストッキング,下肢圧迫ポンプは,エコノミークラス症候群対策.

しかしこのモーターがうるさくて,一睡もできず….

2時間毎ぐらいに助産師さんが傷の出血をみにくるので,それを楽しみに,不安をまぎらわす.

 

【術後1日目】

絶食で空腹,術後食開始.

朝,救急で入ったときの助産師に再会,

「残念やったねぇ,産めなかったん…ふ~ん…」と言う.”残念”?まだピンと来ないが何となく察する.家族が面会にきてくれる.

姑は帝王切開で夫を出産していたために,一番気遣ってくれたのが助かった.

主治医によるガーゼ交換.

「昨日は残念やったねぇ,産めると思ったんやけど」と主治医の言葉.

ダメ押し.やっぱり!経膣分娩が”普通”なんだ!知らなかった….

バタバタとして,自覚症状は全くなかったが,夜の検温で39℃の熱.座薬を入れ,氷枕をしながら,パタンと寝てしまう.

 

【2日目】

導尿とれる.ここからトイレに行く苦痛が始まる.

近所の友人が面会にくる,

まだ麻酔したままで,しんどいのに,普通,帝王切開後は面会控えるだろうというのに,気の利かない友人… 

晩に再度発熱.

それでも夫は友人ところへ遊びにいく(呆れる).

母親に,「臨月で急に太ったから,帝王切開だったのよ」「出産は痛いんだから,もっと痛みに耐えないからよ」などと言われる.

そんな言い方,冷たい…,3050g,+10kgでの出産でなんで??.

 

【3日目】

麻酔,点滴とれる.

強烈な痛みで立ち上がることできず,必死の思いでトイレに立つ.

医師に離床を勧められ,授乳室へ歩いていく.

同じ日に経膣分娩で出産した人が元気に歩いているのをみて驚く.

腰を曲げて歩く私に,実母の淡々とした視線….「痛くてお腹に力入れれない…」というと,

「ふ~ん…私にはわからないわ…」と,手術を経験したことのない実母の冷たい言葉.

実母との溝を感じる.

夫は子どもにこわごわ接するし,病室に来ても特に手助けなし.

溝はあっても,実母が世話してくれて助かる.

 

【4日目】

あまりに痛くて動けず,痛み止めをもらう.痛みが和らぎ,少し楽になる.

介助にきていた実母も数時間で帰り,仕事に出ていた夫も顔を見ただけで帰宅…急に寂しさがこみあげる.

自分の傷の痛みばかりが気になり,子どもを”生んだ”という実感が全くもてず,落ち込む.

帝王切開だったということと,手術で取り出された子ども,妊娠と母親とのつながりが感じられず,

これがもし経膣分娩なら,母親の実感がもてたのだろうか?赤ちゃんをみても,本当に自分の子どもなのか?母親になる余裕が全くなく,夜,一人泣きする.

 

【~退院】

痛み止めを飲み続けていると楽.

しかし,助産師に「もう薬なくなったの?そんなに痛い?」と言われ,そのときから痛み止めをがまんする.

帝王切開を経験した助産師と話しをすると,「何年もたったけどまだ痛くなることあるよ.

がんばって.」と励まされて,経験者にしか分からないんだ,と感じる.

助産師ってそんな程度??

傷も子宮も経過良好.主治医の一人満足.

傷のクリップを取り,テープ(傷をきれいにするもの)を貼る.痛いと訴えるが,「糸が解けるまではまだ痛むかも」で終わる.

産後食に切り替わり,豪華な食事で満足となる.

予定より1日早く,術後9日目で退院.

母乳があまりでず,赤ちゃんが満足せず,ミルクを足す.助産師にしっかり母乳を与えるようにと

忠告される.産めなかったし,母乳はでないしでさらにブルーになる.

 

【1か月健診】

2時間待って,10分で終わる.

傷のテープがまだ残っており,ピリピリした痛みあり.

表面は赤い線,触ると皮膚が分厚くなっている.

「もうお風呂入ってもいいですよ」だけ.(知らずにもうすでに入っていた…)

次回の妊娠のことを聞くと,「次の妊娠まで1年は空けて.次も経過からみて帝王切開」と言われ,ショックを受ける.

出産=経膣分娩という自分の中の方程式に,もう経験できないという寂しさが残る.

診察終了.産後はあっけない.



エポさん

お住まい  東京都
帝王切開の回数  2回
出産地  東京都
出産年齢  20代
子の生年月

 2002.7

 2003.9

産院(総合・個人)  個人

~1人目~

ずっと経膣分娩できるものと思っていたので床掃除や散歩を頑張っていました。

ところが、骨盤のレントゲンを見た先生が「あ~これは帝王切開じゃないと産めないなぁ。骨盤が狭過ぎるよ。」と。

私は、え~!?っと思いましたが、4度の流産をし5度目の妊娠でやっとここまできたので、

どんな方法でもいいから無事にこの手に我が子を抱きたいという思いで一杯だったので、意外とすんなり帝王切開を受け入れられました。

4日後にそれも帝王切開ということで周りの方が慌てていました。

 

手術中は麻酔が効くので痛くないものとばかり思っていました。

が、ひっぱられる痛みが強くて「痛いよー痛いよー痛いってばー先生ひっぱらないでよー!!」とずっと叫んでいました。

麻酔ははじめ半身麻酔、ベビー誕生後全身麻酔に。

 

翌日から腸の動きをよくするためにベッドの上で体を動かすように言われ右向いたり左向いたり、けっこう辛かったです。

翌々日にはたくさん歩かされました。

傷の痛みは日々やわらぎました。

7日目に抜糸をしました。私は横切り、6針でした。

抜糸は痛かったですが、抜糸後はつった感じがなくなり楽になりました。

 

~2人目~

上の子が生後6ヶ月の時に発覚した妊娠でした。

担当医から次の妊娠はどれだけあけないといけないっていうのはなく自然にまかせなさい、と言われていたので

 

不安もありましたが上の子の育児に手一杯であまり考える余裕がありませんでした。

お腹が大きくなるにつれて、傷が痛くて途中心配になりもしましたが

あっという間のマタニティライフでした。

 

病院の方針で1度帝切だと次も帝切なので今回も帝切でした。

といっても私はかなり骨盤が狭くて7ヶ月ぐらいのベビーの大きさでないと経膣分娩は無理なので、VBACについては全く考えませんでした。

 

今回は風邪をひいての出産でした。

咳をする度に傷が痛くて痛くて、一人目とは比べものにならない位辛かったです・・。

 

手術中は先生達と楽しく話していたのでひっぱられる痛みから気をまぎらわすことができました。

あっという間にベビー誕生、上の子とあまりにもそっくりだったのでびっくりしました。

今回傷口は横切り、5針、ホチキスが十数個使われていました。

 

1人目2人目ともに辛かったのが点滴でした。

4日間点滴があったのですが、血管がもろくて何度も違う場所に刺し直ししなくてはならず痛かったです。



もえもえさん

お住まい  愛知県名古屋市北区
帝王切開の回数  3回
出産地  愛知県名古屋市北区
出産年齢  30代
子の生年月

 1996.3

 1997.12

 2003.4

産院(総合・個人)  個人

一人目はまさか帝王切開になるとは思ってもみませんでした。

マタニティビクスもしたし、体重も10kgちょっとくらいしか増えなかったので、当然普通分娩できると思っていました。

予定日を2日過ぎた夜中、破水したので病院へ。

陣痛も来ていたので、ほとんど眠れませんでした。

が、次の日もなかなかお産は進まず、夕方から陣痛はひどくなり、食事も取れない状態に。

子宮口が7~8㎝開いた状態またで一晩過ぎました。

次の日の朝、陣痛の中レントゲンを撮ってみると、赤ちゃんの頭が骨盤に挟まれてしまって自力では出てこられないとのこと。

午後から手術に。

陣痛は述べ37時間ほどありました。

一人目が一番つらかったです。

結局、私の身長は147㎝なのに、赤ちゃんは3800グラムもあったのです。

どうも育ちやすいようで...。

 

二人目妊娠がわかったのは、一人目が1歳1ヶ月のとき。

一人目の1歳児検診のときに、もう二人目を考えて良いよ、といわれてすぐでした。

今回も切るんですか?と聞いたら、なるべく自然にいきたいので、様子を見ながら、といった感じでした。

でも、結局、予定日よりも4日早く陣痛が来てしまって、病院でレントゲンを撮ったら、また一人目と同じような状況だとのこと。

またまたお昼からの帝王切開になりました。

大晦日だったので、夜、年越しそばが出ましたが、もちろん絶食なので、ダンナがおいしくいただきました。

このときは陣痛の時間が短かったので、結果的には一人目よりかは楽でしたが、

冬で風邪気味だったこともあり、くしゃみや咳が傷にひびいて大変でした。

鼻もかめない...。

 

三人目は自分も30になるし、切るなら体力のあるうちに、と思ったのと、切るなら三人までのほうがいいかも、という医者の言葉から。

三人目だけです、予定帝王切開だったのは。

予定日の10日ほど前に手術しました。

3回目なのですが、回復は今回が一番早かったです。

2回目までは術後熱が出たのですが、今回は熱もなし。

順調でこれといった辛さはなかったです。

今回、一緒に卵管けっさつの手術もしました。

手術から半年経ちますが、これといった不調はないです。

 

3回とも全身麻酔でした。

これは、小さな個人病院だっかから?でしょうか?

 

理由は良くわかりませんが、3人とも取り出された瞬間から大きな声で泣いていたそうです。



♪二人目ママ♪さん

お住まい  東京都
帝王切開の回数  1回
出産地  埼玉県
出産年齢  30代
子の生年月  2001.4
産院(総合・個人)  個人

予定日の2日前の検診で、頭が下りてきていない・・・ということでレントゲンを撮ることにしました。

個人病院の先生は、わたしの骨盤は男型で赤ちゃんの頭も大きい、あまり大きくならないうちに帝王切開しましょうと言いました。

レントゲンを見ると確かに頭の方が大きかったように見えました。

 

生まれて初めての入院&手術に動揺し、泣きながら主人に電話しました。

結局、40週2日に手術して3200gの元気な男の子が生まれました。

わたしの身長(149cm)にしては大きくなりすぎたのではないかと思ってます。

一番辛かったのは、前日の夜から術後3日位(?)何も食べられない飲めない事。

下半身麻酔の注射は”痛いよ~”と聞いていたので、思いっきり背中を丸めて注射したら・・・思ったより痛くない。

もっと痛かったのは導尿でした。

入れる時ものすごく痛くて思わず”痛ーい!”と叫んでしまいました。

術後は傷痕が痛いし、体が重たくて痛くて寝返りできないのを”無理してでもして”と言われ、

このまま歩けないのかなぁ・・・なんてとても弱気になってしまった。

傷痕はきれいで、よ~く見ないと全然わからないくらい。

わたしはまた次も手術かぁと思っていました。

 

ところが今回、二人目を妊娠して、今度は家の近くの大学病院に行くとVBACできるかも?!という可能性がでてきました。

”児頭骨盤不均衡 ”なんだから無理だと思っていたのに・・・。

わたしの骨盤は普通で、形はそんなに悪くないと言われました。

そして、上の子とは週数が同じでも頭の大きさと体重が小さ目。

病院によって考え方が全然ちがうんですね。

 

もうすぐお産になるので、毎日ドキドキです。

無理をせず、赤ちゃんと自分の体を一番に考えて出産したいです。

無事にVBACできるかどうか、改めてご報告したいと思います。



ゆとひなのママさん

お住まい  宮城県仙台市
帝王切開の回数  2回
出産地

 宮城県塩釜市

 宮城県利府町

出産年齢  20代
子の生年月

 1999.11

 2002.3

産院(総合・個人)  個人

1人目 平成11年3月、妊娠判明

結婚生活と同時に私のマタニティライフもスタートしました。

妊娠中とくに問題もなく順調に出産に向け母親学級等にも参加し、楽しみにその日を待ちわびていました。

36週に入り検診でそろそろおなかが下がりはじめる頃なのに、私にはその気配がないとのことで積極的に体を動かしてみるよう言われ、私もできる範囲で体を動かしました。

しかし次の検診でも前回と変化なしということでレントゲン検査。

結果胎児の大きさと私の骨盤の大きさが同じ位なこと、帝王切開になる可能性もあるとの説明をされました。

が、この時点ではまだ胎児が下がってくる可能性があるとのことで39週まで様子をみることになりました。

39週、結局胎児が下がってこないということで帝王切開決定。

 

前日入院。初めての入院、出産(しかも手術)怖さと不安と赤ちゃんに会える期待で私はパニック状態でした。

当日、手術は午後1時半から。なのに朝からそわそわ落ち着かず時間ばかり気になっていました。

1時過ぎに私は手術室、立ち会う夫は消毒や着替えのため準備室へ。

私が出産した病院は帝切でも積極的に夫の立ち会いをすすめる方針でした。

夫が手術室に入るのは麻酔後です。

下半身麻酔なので横にいる夫と一緒に出産をむかえられます。

 

午後2時3分長男誕生!!その後夫と赤ちゃんは退室し隣室で処置。

その様子も夫がビデオに撮っていてくれ後から見ることができました。

術後、ほっとしたのも束の間、今度は麻酔がきれた後の痛みのことを考えるとまた恐怖が・・・

しかし幸い私は術後の痛みはあまりなく痛み止めは使わずにすみました。

尿の管がはずれ動けるようになった時から母子同室でした。私は術後3日目でした。

術後13日目に退院。体調はよかったのですがおろが長く続き1ヶ月検診後も2,3回通院しました。

 

2人目の時は長男出産の際、次も帝切になる可能性が大きいと言われていたこともあり

出産方法にはこだわらないようにしようと決めていました。

前回の病院もよかったのですが当時2歳だった息子を連れての通院のことを考え2人目は自宅近くの病院での出産にしました。

初診の際前回帝切だったこと、その理由を医師に伝えたところ今回は経膣できるか帝切になるかは経過をみながら考えましょうと言われました。

てっきり帝切と言われると思っていたのでもしかしたら・・・の思いに期待。経過は順調でした。

しかし36週に今回も帝切決定・・・前日入院。実母と息子に送られ病院へ。

病室でパジャマに着替える私に息子が「ママどうしておきがえするの?お泊りしてダメだよ~」帰らない!と泣きながら階段の手すりに必死にしがみつく姿に私も涙が止まりませんでした。

 

当日。今回は夫の立ち会いは不可。

2度目とはいえやはり時間がたつにつれ恐怖と不安でいっぱいでした。

しかし家で待っていてくれる息子のため元気な赤ちゃんを生んで早く息子のもとに帰りたいの思いで頑張ろう!と手術室へ・・・

今回は全身麻酔でした。手術台にあがったとこまでの記憶しかありません。

眠っている間に待望の長女誕生!!

麻酔からさめ夫と父の顔を見て元気な女の子だよと声をかけられ無事に終わったんだと一安心。

早く赤ちゃんに会いたいの思いでいっぱいでした。

しかし全麻のためか体はだるく頭が重い、意識はあるのに声を出すこともできずぼぉ~っとしてるような感じでした。

 

前回は術後の痛みはあまりなかったのですが今回は傷の痛みか収縮の痛みか分からない激痛に苦しみました。

ただそれも3日ほどで落ち着き2度目という慣れもあったのか体を動かす、などの回復は前回より早かったような気がします。

 前回は動いた時の痛みと傷が裂けるんじゃないかと心配で怖くて・・・このまま立って歩くことなんてできないんじゃないか(おおげさですが)と本気で思っていたくらいでしたから・・・今回は術後8日目に退院しました。

以上が私の帝切体験談です。 



みちゅ♪さん

お住まい  広島県
帝王切開の回数  2回
出産地  広島県
出産年齢  20代
子の生年月

 1999.7

 2002.5

産院(総合・個人)  個人

私は初めてのお産のときに、予定日が来ても赤ちゃんが全く降りてこないので

レントゲンを撮り、産道の形から普通分娩は無理なので帝王切開でいきましょうという事になりました。

最初のお産で帝王切開になるとは夢にも思わなかったので残念のような・・ホッとしたような・・

なんとも複雑な気持ちでした。

でも「物理的に無理」と先生に言われたので仕方ないし。結構あっさり「そうか~帝王切開か~」なんて受け止められました。

 

HPの中ではショックだったとか帝王切開に対する周囲の反応で傷ついたりしたなどという意見を見たときは逆に驚きました。

まあ私の場合は周りが帝王切開と普通分娩と半々くらいで経験者がいたので特に自分自身こだわりもなく・・のんきな性格も手伝ってのことだと思うのですが^^

確かにたまごクラブやバルーンなんか妊娠・出産の雑誌なんかでも、帝王切開についての記述はとても少ないですよね~

私もいろいろ毎月買って読んでいましたよ^^ たまに帝王切開について書いてあるのを読んだら

「私も絶対にないとは言い切れないな~」なんて考えたことも・・

結局同じ病院なので二人目のときも妊娠当初から帝王切開のほうが安全ということで、先生の意見どおりに帝王切開で生みました。

無事に赤ちゃんが生まれるのであれば少しでも安全なほうがいいと思いまして・・・

 

ちなみに二人目の手術時のことなんですが・・・・・・

二回目ということもあって術前から術後・退院までの流れも知っているしマジで余裕に構えていたら、ひとつだけ前回とは全く違う経験を!それも貴重な体験を!

私の場合、全身麻酔でした。

ご存知かと思いますが、赤ちゃんにも麻酔はかかるので浅めに麻酔をかけるそうなんです

前回は寝ている間に子供は生まれていて気がつくころにはお腹がめちゃめちゃ痛かったのを覚えています。

 

今回は麻酔の先生が前回とは違う先生で相当麻酔が浅く、手術開始の時も計器上ではOKだったらしいのですが、私自身はまだ意識があったんです! 

「では始めます」 の先生の声も聞こえていたし、ピッピッピッピと何かの音も聞こえていたし、

スーッとメスが入る感覚やもちろんその痛み・足元がジャーっと濡れていく暖かい感じ・

赤ちゃんが取り出されるゆっさゆっさと動かされている感じ・・・ぜーんぶ覚えています。

 

全身麻酔ですよ?腰椎麻酔じゃないんです!意識や痛みはあるんですが呼吸器の管が入っているので声が出せず、やはり浅くても麻酔は効いていたらしく手や足は動かせなかったんです。

「では始めます」とメスが入ったときは心の中で「先生~~~イタ~~イ!!あたしまだ起きてます~~ちょっとストップストップ~」 めっちゃ叫んでました(笑)

さすがに死ぬ思いでしたね~~ほんとあれは恐怖体験でしたよ。

 

目が完全に覚めてから看護婦さんやもちろん先生に全部話しました。

あまりに私が事細かに言うもんだからびっくりしてました(笑) 

「たまにそうやってなんとなく覚えてるって人はいたんですが・・・ここまではっきり覚えている人は初めてです。麻酔科の先生に言わなくちゃ」って・・おいおいって感じ? 

まあ全然気にしてないんだけどあれが初めての出産だったら二度とあの病院には行かないだろうし、今後友達にも進めなかったでしょうね~  

今は忘れられない貴重な体験と思っていてラッキーかもって思ってます^^

もちろん三人目ができたらまたお世話になるつもりですがきっちり麻酔については相談しますけどね(笑)



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