帝王切開の理由別体験談
お住まい | 東京都八王子市 |
帝王切開の回数 | 2回 |
出産地 | 日野市・八王子市 |
出産年齢 | 20代 |
子の生年月 |
2001.8 2003.6 |
産院(総合・個人) |
公立総合 私立大学病院 |
2度の帝王切開体験談は、古里さんのHPをご覧くださいね。(現在閉鎖中)
お住まい | 東京 |
帝王切開の回数 | 1回 |
出産地 | 横浜 元町 |
出産年齢 | 40代 |
子の生年月 | 2003.11 |
産院(総合・個人) | 個人 |
7ヶ月ぐらいから、サカゴを指摘され、体操などいろいろ試みたにもかかわらず、37週までサカゴが続き、ついに帝王切開を宣告され、
「手術~」聞いただけで精神的動揺がおさまらず、泣きが入っていました。
入院は手術前日の5時でした。→このころは超キンチョウしてました。
8pm以降は絶飲食で、睡眠薬を処方され、睡眠しました。
当日:このころは薬のせいか、度胸が据わってきた。
8amに浣腸し、9am剃毛、シャワー 点滴を開始、 10am 導尿 投薬
1pm 手術室へ移送 1:29pm 我が子誕生!!
幸い私は、皆さんがおっしゃっている術後の痛みがなく、麻酔による後遺症もありませんでした。
足も、術後2時間くらいで動かせるようになりました。
のどの渇きも心配していたんですが、メンソレリップと飴とキシリトールガムを持参していたため、快適にすごしました。
→ガムや飴は看護婦さんの目をきにしながら食べました。
ちょっと辛かったのは、子宮収縮剤の使用時でしたが、座薬の鎮痛剤を入れてもらい、大丈夫でした。
翌日:5pmまで絶飲食でしたが、朝に我が子と対面、同室し、昼ころ尿管がはずされ、
歩行練習をし、夕方には重湯ですが、ごはんをたべました。
すごくお腹がすいたので、おかわりをしました。→持参したふりかけをかけたのが、よかったかな~
3日間点滴が続き、4日めから完全に母子同室で、5日目にシャワーをあびました。
傷も、横切りで剃毛部分に10cm位あるだけです。
経過よく、1週間で退院しました。
お住まい | 北海道 |
帝王切開の回数 |
1回 (2人目はVBAC) |
出産地 | 北海道 |
出産年齢 | 30代 |
子の生年月 |
2001.7 2003.3 |
産院(総合・個人) | 個人 |
1人目のお子さんを帝王切開、2人目のお子さんをVBACで出産された体験談が昔野透夜さんのHPに詳しく書かれています。(現在閉鎖中)
お住まい | 東京都江東区 |
帝王切開の回数 | 1回 |
出産地 | 江戸川区 |
出産年齢 | 30代 |
子の生年月 | 2001.9 |
産院(総合・個人) | 個人 |
臨月になる直前に、逆子が判明しました。
その時点では、経過を見ましょう。と言われ、うちの病院はすぐ切らないから心配しなくてもいいわよ、と婦長さんに言われました。
確か月に二人は、逆子で産まれてくると言ってました。
しかし、結局足先から下がってきてしまい帝王切開になりました。
あなたがどうしてもと言うのなら、下から産ませてあげるとも言われましたが、何かあってはと思い帝王切開にしました。
麻酔が効きにくい体質だったのかとても痛くて恐怖の体験でした。
傷の痛み、かゆみは、何ヶ月も続きつらかったです。
子どもは可愛いけれど、もう一度、帝王切開を受ける勇気はわたしにはありません。。。
お住まい | 愛知県 |
帝王切開の回数 | 1回 |
出産地 | 鹿児島県 |
出産年齢 | 20代 |
子の生年月 | 2002.12 |
産院(総合・個人) | 個人 |
妊娠検査薬で陽性の判定後、初めての産婦人科での受診で子宮筋腫が発見されました。
経過によっては普通分娩も可能ということでなんの不安も心配もなく妊婦生活を過ごしていましたが、5ヶ月の頃健診で「逆児かな?」といわれました。
まだ逆児体操をする必要もないということで、そのまま生活していました。
(体重増加が心配で、毎日1時間~1時間半程度の散歩はしていました)
その後、7ヶ月の健診時に逆児が直っていないので逆児体操をするように言われ、逆児体操のポーズが描かれている紙を渡され、よくわからないまま逆児体操らしいポーズを続けていました。
私は里帰り出産を希望していたため、「筋腫があると早産の可能性が高いから」ということで8ヶ月に入るとすぐに実家に里帰りし、出産予定の産院ではじめて自分の逆児体操がきちんと出来ていなかったこと、また逆児がこのまま直らない場合は帝王切開になる可能性が高いことを聞きました。
結局、逆児が直るには筋腫が引っかかって邪魔をしているということで逆児は直らず、38週で予定帝王切開が確定しました。
手術の前日に入院でしたが、そのときの超音波で、子宮の出口に子供の足がある足位の逆児ということでした。もし、出口にあるのがお尻だったら、経膣分娩の可能性もあったという話をされました。
入院当日は夕食も普通に出て、その後剃毛が行われました。
翌日朝(手術当日)から禁食で、食事後麻酔の検査・血管確保の点滴など朝から手術の準備がされました。
手術は午後4時からで、3時過ぎに歩いて手術室に入り、看護婦さんの雑談や、手術器具が用意されるのをぼんやりと聞いていました。
腰椎麻酔が行われ、お腹に触られる感覚がなくなったと思ったら、お腹がふっと軽くなり子供が出てきました。
その後、顔の横に子供を連れてきてくれましたが、お腹を閉じるのが痛くて「早く終わってくれ~」とばかり思っていました。
お腹を閉じる頃には麻酔も切れてきて、ストレッチャーで2階の手術室から1階のレントゲン室そして2階の病室と動かされ、段差を越えるたびに痛かったです。
結局子供の大きさも3600gあって私の体格では(150センチ)経膣分娩は無理だっただろうということでした。
手術翌日から後陣痛が始まり、生理痛がもともと酷かったのですが、それより少し痛いぐらいでした。
といっても10分おきぐらいに痛みが来て、そのたびにこぶしを握り歯を食いしばるような状態でした。
3日目にカテーテルが抜かれ、7日目に抜鉗でした。
抜鉗は痛くないと看護士さんに言われましたが麻酔が切れたとき・後陣痛と並んで帝王切開の3大痛い思い出です。
出産するまでは「何とか帝王切開は避けられないものか」と考えていましたが、私の場合は帝王切開を選択するのに必要な理由が3つもあったので、帝王切開が子供が無事に生まれてくれる最良の方法だったと思います。
お住まい | 佐賀 |
帝王切開の回数 |
1回 (2.3人目は経膣分娩) |
出産地 | 長野県佐世保市 |
出産年齢 | 30代 |
子の生年月 |
1991.8 1994.6 1995.8 |
産院(総合・個人) | 総合 |
私は現在3人の子育て真っ最中です。
その初めての出産が帝切でした。
臨月近くなってもおなかの中の我が子は逆子のまま・・
何度「逆子体操」なるものに取り組んでもおなかのなかから頑固!?な我が子は元に戻らず(=・=)
担当のM先生と話し合って(というより母親の直感とでもいうのでしょうか)「帝切でお願いします」と決めました。
M先生はとても信頼の置ける先生で「1回目が帝切でもあと自然分娩で産ませた経験もあるから心配しなくていいよ」と
少々不安に思っていた私の背中をおして下さったのも本当に恵まれていたと思います。
そしていざ帝切してみると子供の首にはへその緒がグルグルと3回も巻いていてなんていう色でしょうか・・・
紫がかった灰色した我が子が泣き声ひとつあげずでてきました。
「背中バンバンたたけ!」という先生の声をいまでもはっきりと覚えています。
「もしも普通に産んでいたら・・・」と思うと母親の直感なるもの捨てたものじゃない!とちょっと自分を高く評価してVサインしてしまいました。
その上私自身子宮奇形があることがわかり(子宮に壁のようなものがある)普通分娩だと陣痛もきずらく
一度逆子になった子供は壁が障害となり元にもどれないということでした。
私自身は帝切にしてすべてがよかったと思いましたが、もちろん周囲はそういう前向きな考えばかりではなかったのは
この10年ちょっと子育てをしている中で色々悩みました。
2番目の子は誘発分娩3番目は早産という形でしたが無事普通分娩でしたので、よくいわれる帝切で産んだ子と通常分娩した子とでは愛情の深さが違うという、世間の杓子定規に惑わされ「本当かな?」と・・・。
でも日々子供と接しているとそんなことはまったく問題ない自分と子供の関わりを見つけられようやくホット(~・~)している今日この頃です。
余談ですが、1人目の出産のあと一人流産、そのとき子宮頸癌がみつかりレーザーで除去。
しばらく妊娠はしないように気をつけてと言われたけど あまり間をおかず2人目を妊娠出産。
このときは促進剤使用(緊急手術の用意もしてあった) 3人目は年子でもあったし頸癌の手術をしていたので子宮がゆるみやすい!?ので気をつけてといわれていました。
もちろん切迫早産で8ヶ月?から入院!一時帰宅許可をもらった日に陣痛がきて予定(9月23日)より早く出産しました。
ちなみに3人目は羊水をガブ飲みしたらしく ばい菌反応があり新生児集中治療室へ入りました。
お住まい | 神奈川県 |
帝王切開の回数 | 1回 |
出産地 | 神奈川県 |
出産年齢 | 20代 |
子の生年月 | 2002.11 |
産院(総合・個人) | 個人 |
妊娠6ヶ月の時に逆子が判明しました。
先生のお話では、治るから大丈夫と言うので何も気にせず過ごしてました。
しかし、8ヶ月になっても逆子だったため、先生から逆子体操をするように進められました。
まだまだ治ると思っていたので、気持ちはあせらず、体操を夜のみしていました。
しかし、一向に逆子は治らず・・・・。9ヶ月になるころにはさすがに慌ててきて、朝晩の体操に加え、逆立ちもしました。
これが結構きつく、毎日息切れがしていました。
逆子の為なのか・・?おなかの張りが頻繁にあり、トイレに立つだけでもイタタタ・・・
動悸はするはでしんどかったです。
とうとう治らず手術日が決定し、がっくりしていました。
が、手術の二日前に強いおなかの張りとおしるしが来て入院になってしまいました。
まだ子宮口は1センチしか開いていないので、手術日までもたせるため、陣痛がこないように24時間点滴をすることになりました。
その点滴には、手のしびれ震え、動悸、息切れと副作用があり、ちょっと驚きました。
張りが強いので、トイレ以外立たないでね、と看護婦さんに言われ寝て過ごしていました。
手術の前日に悌毛、抗生剤のテスト注射をしました。
手術の当日には、子宮口が3センチ開いていておなかの張りが強かったため、浣腸はせず手術をすることになりました。
手術の直前に計った血圧は上が160と今までにないくらい高く、いつも低い私が!!と驚きました。
きっととても緊張していたのだと思います。
手術直前に、麻酔が効きやすくする注射と言われ筋肉注射を2回打たれました。
それを打った直後から天井がぐるぐるまわり、船酔いみたいに気持ち悪くなりました。
ストレッチャーに自力で上り、カラカラと手術室に運ばれいく姿は本当にドラマのようでした。
手術室に到着して、スッポンポンになり、手術台に上がりました。
最初に先生が腰に麻酔注射を3.4箇所程打つと、すぐに足先からしびれてきて、そのまま仰向けになり、道尿されました。
両手は広げてマジックテープで固定され、バイタルチェックの機械を取り付けられ、目の前にはカーテンがありおなかの様子は見れません。
先生がおなかを押して、「分かりますか?」と尋ねられ、「はい」と答え、次に「どうですか?」と聞かれ、少し分かるような・・??ん?といっているうちに、
「じゃ、はじめます」と声がかかり手術開始しました。
横切開でしたが、皮膚を切る時横にジッパーが開くような感触が分かりましたが、深くなる度、
むりやり開いているという感触に変わり、急に吐き気に襲われました。
赤ちゃんを取り出す時は、看護婦さんが胸の辺りから勢いよく押して、すごく引っ張られる感じで痛かったです。
産まれたときは、産声を聞くことが出来てとてもうれしかったです・・がその時には
おなかはものすごい焼けどのような痛みとなんとも言えない重苦しさにかられ、早く終わってくれーっと心の中で叫んでいました。
終わってからは疲労感でいっぱいで話すのもしんどく、ぐったりしていました。
だんだんズキズキという痛みに変わり、夜に一度座薬の痛み止めを入れてもらいました。
私の病院は3日目から歩行できるのでそれまでは寝たきりで、下のお世話もしてもらい、介護される人の気持ちが少し分かったような気がしました。
二日目の昼に初めてお茶を飲み、3日間点滴をしました。
後陣痛は胃がキューと絞られる痛みで、私は退院するまで、後陣痛と分からず、消化不良だと思っていました(笑)
4日目から授乳がスタートし、やっと我が子にあげられるっとうれしかったです。
手術して思ったことは、自分が想像していた以上に大変だったことです。
決して楽はしていないと思うので、がんばったぞ!と言ってよいと思いました。
お住まい | 静岡県 |
帝王切開の回数 | 1回 |
出産地 | 静岡県 |
出産年齢 | 30代 |
子の生年月 | 2003.6 |
産院(総合・個人) | 個人 |
第1子を予定帝王切開で出産しました。
逆子体操をしても逆子が直らなかったため、「未経産で逆子の場合は予定帝王切開」という病院の方針に従い、38週0日での手術でした。
前日の午後に入院し、剃毛、ノンストレステストを受け、さらに医師の診察。
このときになって「縦に切りますか?横に切りますか?」と聞かれました。
私は獣医師の資格を持っているので、開腹手術は正中線で切開(おなかの中心を縦に切る)が常識、と思っていましたし、実際、神経や血管、筋肉を傷めにくく、手術しやすい方法なので、迷わず「縦で良いです」と答えました。
しかし、ここの先生、中途半端に説明が詳しいので、医学に詳しくない普通の方には全く理解できないんじゃないかと心配になります。
同じ病院で私の翌日に同じく逆子で予定帝王切開を受けた方は「美容を気にするなら横で、って言われたから横にしちゃったよ」と言っていましたし・・・。
入院初日はその後、シャワーを浴びて夕食。
その日の夜9時から水も飲んではいけない絶食です。翌日は午前中に浣腸をし、昼頃に点滴が始まり、午後3時頃に手術室に入りました。
尿道カテーテルを入れられ、痛み止めの筋肉注射を打ちました。
20分くらい経って腰椎麻酔。噂に聞くほど痛くもなく、もともとお腹の子も小さめだったので、背中を丸める姿勢も苦痛ではありませんでした。
ただ、体の角度の調節があまり上手ではなく、両手が痺れる状態になってからようやく頭を上げてもらったので、手術の後半は呼吸も苦しいような状態で、慌ててしまいました。
ちなみに、手術中の姿勢は「はりつけ状態」で、ゆるくですが、手も足も台に縛られています。
赤ちゃんとの対面は本当に一瞬。手を縛られているので触ることもできませんでした。
ただ、子どもが湯上りのように(産湯の後なので本当に湯上りなのですが)穏やかで満足そうな表情をしていたので、10ヶ月近くの妊娠期間の心配や不安が一気に吹き飛んで本当に嬉しかったです。
手術の後は、子宮収縮剤の筋肉注射、続いて尿道カテーテルも点滴もつけられたまま、入院着に着せ替えられてストレッチャーで病室に運ばれました。
圧力ストッキングを履かせられて、空気圧で脚のむくみを取る装置も巻かれ、
麻酔が効いていなくてもあまり身動きとれる状態ではありません。
この状態で一晩、傷の痛みよりも後陣痛の方が痛くて、でも、仰向けのままあまり姿勢を変えることもできず、本当にきつかったです。
「痛みが強くて眠れないようなら鎮痛剤も出しますよ」と言われましたが、結局使いませんでした。
「痛みに強いんですねえ」と看護婦さんには感心されましたが、私は異常なくらい寝つきが良くて、
スクーバダイビングの時など、炎天下、狭いボートの上でディーゼルエンジンの排ガスを浴びながらでも平気で眠れる体質。
痛いことは痛かったけど、うとうとする程度にはなんとか眠れました。
手術の翌朝には「じゃあ、立ってみましょう」と、いきなり立たされましたが、お腹が痛いので腰は曲がったまま。
立ち上がるだけでもものすごい苦労です。
産後2日目には尿道カテーテルを外され、自力でトイレに行くしかありません。
でも、いつまでも寝たきりではいられないし、ある程度は動かないと治りが悪いと言われたので頑張りました。
産後3日目に会社の友達がお見舞いに来ました。
自然分娩だった彼女は「3日目ならかなり回復している」と思っていたようですが、
尿道カテーテルこそついてはいなかったものの、点滴、圧力ストッキング、空気圧装置と管だらけでぼーっとしている私を見て、かなりショックだったようです。
母児同室、母乳中心の指導、というのが売りの病院だったのですが、帝王切開の場合は母体の回復が優先で、きちんと我が子と対面できたのは産後3日目。
点滴がはいっていない右腕に抱かせてもらいましたが授乳はまだ。
その晩から、半端じゃなく乳房が張ってしまったのですが、授乳をさせてもらえず冷やすだけ。
翌日になって助産婦さんが乳房マッサージをしてくれて、出てきた初乳を丁寧に哺乳瓶に回収して
「赤ちゃんに飲ませますからね」と言ってくれた時は、マッサージの痛さとやっと母親らしいことができるという思いで、泣いてしまいました。
帝王切開の場合、点滴の影響でおっぱいが急激に張る人が多いらしいです。
私の場合は張った乳腺に乳首が埋まってしまい、入院中は直接授乳することもままならず。
痛い思いをして搾乳した母乳を哺乳瓶から飲ませていました。
点滴に加えて、おやつまで出る豪華な食事(と言えば聞こえは良いのですが、乳質が落ちて乳腺がつまるような油だらけで高カロリーの食事)の影響もあって、退院するまで「豊胸手術大失敗」という感じのすごいおっぱいでした。
退院後はすぐに母乳中心、補助的に粉ミルク、という状態に持っていくことができましたが、
母乳育児のためには最初が肝心、というような話を見聞きするにつけ「母乳育児を考えている帝王切開の人は困っているだろうなあ」と思います。
お住まい | 埼玉 |
帝王切開の回数 |
1回 (2.3人目はVBAC) |
出産地 | 香川・佐賀・埼玉 |
出産年齢 |
20代 |
子の生年月 |
1998.3 2000.8 2002.12 |
産院(総合・個人) | 総合 |
初めの子供を帝王切開で産みました。
初期には切迫流産で入院し、常にお腹が張りやすい状態でした。
8ヶ月の頃、逆子が判明し毎晩苦しい逆子体操をするも治らず、レントゲンで骨盤も小さいらしいということで帝王切開をすることになりました。
先生の説得の仕方はこうでした。
「骨折だったら治るけど、脳に障害が残ったら治らないからね」
予定帝王切開でしたので、前日には入院して蓄尿をしたり麻酔科の先生の診察があったりと準備ばんたんという感じでした。
手術に対しては直前までほとんど不安がなく、無事に産まれるのなら何でも来いという感じでした。
しかし、いざ導尿されたとたん怖さがいきなりきて、冷や汗が手の先から滴り落ちる位緊張してきました。
手術室についても汗は止まらず、銀色のシートで保温してもらいました。
麻酔は喘息持ちの為、痛み止めの筋肉注射はしないことになってしまって、背中を丸めてしたのですが、緊張していたせいか全く痛くなかったです。
何より怖かったのは、産まれる瞬間です。先生が心臓マッサージするかのようにどんどんお腹を押し始めたからです。
恐怖にうめく私に看護婦さんが「今赤ちゃんが出てきますからねー」と言ってくれたけど、やる前に言って欲しかった・・・。
産まれる頃少し意識が遠のいていた私は、産声で目を覚まし、右手のほうに赤ちゃんを連れてきてもらい握手をしました。
すぐに対面は終わり、眠くなる薬を点滴に入れられて後の処置をされました。
病室へ運ばれているときに意識が戻り、病室に着くと途端に寒気がきて電気毛布で包まれました。
その夜から傷の痛みと子宮収縮剤の点滴の痛みに苦しみました。本当に痛かった。
陣痛の痛みを知らなかったからなおさら痛かったのかもしれません。
あまりに痛がるので、飲み薬のほうの子宮収縮剤は点滴が終わった日から飲んでいいことになったくらいです。
そして、赤ちゃんに会いたかった。母子別室だったのです。
術後の傷は一年間痒く、大きい綿のパンツしかはけませんでした。(今は全然痛くも痒くもありません。)
これらの記憶が後に私をVBACに駆り立てることになったのです。
今は術後あまり痛くないと聞き、うらやましい限りです。
帝王切開も普通分娩も体験したのですが、私はどんなに痛くても普通のほうが良かったです。
帝王切開は怖かった。本当に、帝王切開は大変なお産だと思います。
帝王切開して私も暴言を吐かれましたが、だったらあなたも体験してごらんと言いたい。
我慢強くない子になる?いいえ、とても我慢強いいい子です。
呼吸器が弱い?普通に産んだ子の方が喘息で入院しています。
頭の形も、どちらも同じです。
みんな、とてもかわいい我が子です。
無事に産まれてくれて、本当にありがとうって感じです。
お住まい | 北海道札幌市 |
帝王切開の回数 |
1回 (1人目は経膣分娩) |
出産地 | 北海道札幌市 |
出産年齢 | 30代 |
子の生年月 | 2002.12 |
産院(総合・個人) | 個人 |
2002年4月に妊娠がわかり、5月に病院で初めて診察を受けて妊娠がはっきりと確定しました。
その後も仕事をしながらでしたが、赤ちゃんは順調。
7ヶ月に入り妊検の時に先生に、逆子体操をするように言われました。
一人目も8ヶ月まで逆子だったので、体操で戻るかな~なんて考えつつ毎日体操をしていました。
・・・が、8ヶ月を過ぎても直る気配なし。
9ヶ月目で先生に帝切を切り出されました。
というのも、一人目の時が微弱陣痛で32時間も苦しんだ上の吸引出産だったことと、
逆子でそのまま陣痛を待っても良いけれど、産道で引っかかった時に仮死する可能性があるという事、で臨月まで様子を見て決めることにしました。
で、結局最後まで逆子は直らず12月20日の予定帝切となりました。
前日の19日 10時に入院。
まずは胸部レントゲン・尿検査・剃毛ののち、陣痛を調べる機械?に40分かけられました。
その後血液検査があり、夜はシャワーを浴びて、安定剤を飲まされ9時に就寝となりました。
9時以降は、絶食です。
当日 朝から点滴・浣腸をして、手術室に入る寸前に腕に筋肉注射をして、歩いて手術室に入りました。
入ってすぐに、麻酔科の先生が、どういう麻酔をかけるか又手術中の注意、出産後全身麻酔への変更などをわかりやすく説明してくれました。
そして いざ麻酔・・・盲腸の手術も経験していたせいか1発で麻酔は入りました。
(皆さんが苦労したというエビのような丸い姿勢も、私はお腹が小さかったせいか楽に出来ました)
私は効きがよかったのか、すぐに触られてもわからなくなりました。
11時30分から手術が始まり、39分に無事赤ちゃんが出てきました。
麻酔の先生が横で実況中継のように、赤ちゃん見えてきたよ~とか、もうすぐ出てくるよ~とか
教えてくれたので産まれた瞬間にしっかり産声も聞けました。
綺麗に拭いてもらってから、すぐ顔の近くに連れてきて全身をきちんと見せてくれました
(目が悪い事を伝えておいたので、しっかりめがねもかけさせてくれましたよ)
その後、全身に麻酔がかけられ気づいたらすべて終わって、手術室を出るところでした。
その間、痛みは全くありませんでした。
病室に移され、1時間は酸素吸入をされました。
吐き気や寒気はありませんでした。
ただ、普通は足にまくらを入れてくれるそうなのですが、私はしばらく忘れられていて、かかとが痛かったです。
(その後看護婦さんが、気づいて入れてくれた)
点滴はずっとはいりっぱなしで、寝る前に痛み止めを入れてくれました。
もちろんぐっすりというわけには行きませんでしたが、その後は痛み止めなしで一晩を過ごしました。
何度も看護婦さんが来て、ナプキンを取り替えてくれたり、点滴を見てくれたり・・・
年末で帝切が集中していて忙しい中、とても親切にしてくれました。
翌日 朝8時に看護婦さんが様子を聞きにきて、もう寝返りもうてるようになっていた私は、尿管をはずしてもらい赤ちゃんを見るために10㍍くらい離れたベビー室へ歩きました。
(長かった・・・)
点滴は5日間ははずれないとのことで、3日間は収縮剤入りの痛い点滴でした。
最初は歩くのがこんなに辛いのかという気持ちでしたが、日に日に楽になり同室になる頃には
(4日目から同室)しゃきしゃき歩いてました(^。^)
食事はおきまりの重湯からというもので、3日目から普通になりました。
予定通り29日に退院したので10日間の入院でしたが、看護婦さんの術後のケアもすごく
良かったし、先生も毎日きちんと状態をお話してくれたので、安心でした。
4ヶ月経った今の傷の状態は、でかいみみずという感じですが、幸い痛みはありません(-_-;)
ちなみに縦切りでした(17針)
最後に余談ですが、お腹をきった時実は赤ちゃんのお尻も一緒に切ってしまったそうです(+_+)
先生が翌日謝りにきました(笑) もちろん傷は残っていませんでしたよ~
色んな病院がありますが、私はこの病院でよかったと思いました。