- 心音・心拍低下 -

帝王切開の理由別体験談

さざえぼんさん

お住まい  愛知県
帝王切開の回数  1回
出産地  愛知県
出産年齢  20代
子の生年月  2008.7
産院(総合・個人)  個人

妊娠中は全く異常がなく、自然分娩以外の出産方法は全く頭にありませんでした。

予定日より8日前の朝、破水とおしるしがあり、病院へ電話。

すぐ来て下さいと言う事で、入院準備をして病院へ向かいました。

子宮口はまだ1センチという事で、子宮口を開かせる為に風船のようなものを入れました。

(2日前に検診に行ったときは、まだ子供が下がってないのと、子宮口も開いてないと言う事でした。)

風船を入れていた間は陣痛のような痛みがあり、陣痛が始まったと思っていましたが、

4センチほどひらくとその風船は自動的に外れて、外れてからは陣痛らしき痛みはなくなってしまいました。

それから陣痛を誘発するための錠剤を1時間に1粒(計6粒)飲んで 夜10時に5分間隔の陣痛が始まりました。

それが朝まで続き、痛みは初めに比べて強くなったものの、朝5時にはなくったり、また6時には陣痛が来たりであまり、間隔が狭まりませんでした。

そしてNSTをつけてみると陣痛が来るたび赤ちゃんの心拍が低下して、子宮口が7~8センチ開いているのに、あかちゃんが下がっていないとの事で、急遽帝王切開と医師に告げられました。

私はいきなりすぎて、動揺してしまい、これは現実なのか夢なのかわけもわからないまま、看護師さんの”あかちゃんの為だから”の言葉に自分を納得させ手術しつに向かいました。

 

目が覚めると手術は終わっていて、先生がお腹を縫っている音が聞こえました。

赤ちゃんは元気だよぉと言われ凄く安心しましたが、あかちゃんが下りてこなかった理由ははっきりせず(へその緒でもなく)骨盤変形かもしれない・・・と言われました。

病室に帰ったら泣けました。普通に産んであげれなかった赤ちゃんに対しての申し訳なさと、自分に対する悔しさでした。

後日、1回目に帝王切開の場合は2回目も帝王切開の可能性が高いことを知って、無知すぎた自分を情けなく感じましたし、悲しくなりました。

でも、このHPを見て、色んな事をしりました!!

まだ自然分娩のチャンスはあるんだと。そして、帝王切開をこんなに多くの方が経験して居て、誇らしく思っている事を。

今子供が無事に産まれてくれた事を感謝しています。

凄く幸せです。

でもどこかに自然分娩したい気持があるので、計画的に次の出産に挑みたいと思っています。



葵ママさん

お住まい  -
帝王切開の回数  1回
出産地  -
出産年齢  -
子の生年月  2007.3
産院(総合・個人)  -

私は始めての妊娠で帝王切開をしました。

妊娠中は食べづわりで、予定よりもかなり体重は増えたものの妊娠事態は順調に経過してました。

 

赤ちゃんも元気に成長しており、平均よりやや大きめとのことで分娩のときはかなりの痛みになるだろうと覚悟してました。

大きめとのことなので、予定日より早く産まれるだろうと思っていたのですが、前駆陣痛も全くなく、予定日をむかえても赤ちゃんはおりてきてませんでした…。

 

予定日を4日過ぎ映画館で映画を観ていた時、お腹を壊したような痛みが…トイレに行ってみても出ず、家に帰ってからも痛くなったりおさまったり。

もしかしてと思い時間をはかると10分~15分間隔。

これが陣痛?と思い病院へ連絡、すぐに入院。

その時は夜中の1時。

子宮はまだ開いてない様子で、まだまだ産まれそうにないからと旦那は一時帰宅…その後から5分間隔で陣痛があり、歩いてみたりしながら痛みを逃がし、2時間後には2~3分間隔に。

もうそろそろかと思っていたけど子宮口は3cmほど。

これでもか!!という痛みと不安で旦那を呼び、朝になって先生に内診して貰ったがまだ4cm…。

 

あまりの痛みに悲鳴をあげていたら、先生の手により強制破水。

羊水は少なく混濁しており、胎児の心音も微弱。

このままでは胎児が危ないとのことで緊急帝王切開を薦められたが、普通分娩をしたかった私はなかなか返事をしませんでした。

 

痛みは間隔もなくしきりに襲ってきて、私がこれだけ苦しいなら赤ちゃんはもっと苦しいんだと思い、手術を承諾。

その後は自然に産めなかった悔しさと赤ちゃんに対する申し訳なさにただただ号泣。

剃毛され、注射されてる間も泣き続け、赤ちゃんにずっと謝ってました。

 

脊髄に麻酔を3回打たれたが、体質なのか効かず、さらに3回…脊髄に注射がこんなに痛いなんて…陣痛と注射の痛みに耐え、メスを入れられた瞬間『痛い!!!』と絶叫。

麻酔がまだ効いてなかったらしいのですがが、胎児が危ないのかそのまま続行。

次第に痛みは感じなくなり、お腹をおされて赤ちゃんが取り出された様子。

しかし泣き声が聞こえない…もしかしてと思っていたら気管を吸入しているような音のあとに泣き声が!無事に女の子が誕生。

ホッとしたら麻酔で眠気が…その後病室に移され2日間寝たきり…。

その間赤ちゃんを見たのは5分程度。本当に産んだのか疑問にすら思いました。

 

しかし麻酔が切れ、痛みと共に赤ちゃんのお世話を始めると次第に実感。

自然分娩ではなかったけど赤ちゃんは元気に育ってる。

ちゃんと腕の中にいる。

あの時手術をしなかったら、今赤ちゃんを抱っこしてなかったんじゃないかと思います。

 

たまに自然分娩じゃなかったことを負い目に思いますが、旦那に『帝王切開でも元気に育ってる。可愛い赤ちゃん産んでくれてありがとう』と言われると嬉しく思います。

あの時の陣痛は赤ちゃんからのsosだったんじゃないかと今は思います。

「苦しい、早く出して」って。この傷は赤ちゃんが生きたいと頑張ってくれた証だと思っています。



くーたん☆さん

お住まい  京都府亀岡市
帝王切開の回数  1回
出産地  京都市
出産年齢  20代
子の生年月  2007.2
産院(総合・個人)  個人

妊娠は順調に進みました。

そして誰もが思うように出産の時は普通分娩で安産を目標にしていました。

夜寝る前にフリースタイルでの出産にイメージを膨らませたり、呼吸法を練習したりしているうちにその時が来るのを楽しみにしていました。

もともと慎重で準備を怠らない性格なので、それが安心と自信につながっていきました。。。

 

ところが、41週になってもなかなか陣痛はなく、一体いつになったら産まれてくるのか・・・

不安でいっぱい落ち着かない日々が続く中、検診の日に「胎児の心音が下がっているので、入院して下さい。」と言われた。

時間をあけて一日4回程NSTをする。その都度たまに下がる傾向がみられた。

もし入院中陣痛が始まればこのまま産めるなぁ~と思っても全然こない。

 

とうとう入院3日目、やはり心音低下で子宮口も全然開かず陣痛もないので帝王切開をしましょうと言われた。

ご主人の同意がないとできないと言われ、約1時間後主人が到着後すぐの手術。

下半身麻酔で横に主人に手を握ってもらいました。

切開して5分後、我が子は無事産まれました。

 

出産後はお腹の傷が痛くて、歩けない笑えない、子供が泣いてもすぐ抱いてやれない それが辛かったなぁ~

ひたすら痛みがなくなるのに耐えて、早く他のお母さんの様に我が子の世話をしたいと思っていました。

書類に異常出産と書かれてしまう事も嫌ですね。

 

二人目はまだですが、やっぱり下から産みたいと思っています。

帝王切開は全く自分には関係ないと思っていたから急きょそういう展開になった事に気持ちが全くついていかず、ただただ医師の言う通り「赤ちゃんが無事産まれてくる為に」と、自分自身を納得させるのに精一杯でした。

 

それに、主人や両親、周りの人たちも皆、赤ちゃんが無事に産まれて来たからよかったといって収めてしまいます。

それとは別の、私自身の体と心を癒してくれる言葉があってもいいのにと悔しい気持ちもありました。

こんな私みたいにずるずるひきずらない為には、やはり少しはそうなる確率もあるという心構えも大切なのかもしれません。



はるちゃん坊のママさん

お住まい  北海道千歳市
帝王切開の回数  1回
出産地  北海道札幌市
出産年齢  20代
子の生年月  2005.2
産院(総合・個人)  -

出産の2日前の5日の夜に陣痛がきて入院したのになかなか進まず、7日の朝に人工的に破膜しました。

破膜してからだんだん陣痛が強くなり、分娩室で経過をみてましたが陣痛がくる度に赤ちゃんの心拍が下がり、医師から「このまま普通に分娩すると赤ちゃんがぐったりとした状態で出てくるから、元気なうちに帝王切開で出してあげたほうが元気に産まれてくるよ」と言われ、帝王切開を決意しました。

 

私は陣痛の痛みであまり覚えてなかったのですが、後から聞いた話だと私は先生に「お腹切ってもいいから赤ちゃん助けてあげて・・」となきながら言ってたそうです。

 

手術室にはいって麻酔が効いてくると、いままできていた陣痛が嘘のように痛みが引き、手術してくださった先生や、麻酔科の先生と手術の間も赤ちゃんの話をしながら長男は無事元気に産声をあげ産まれました。

 

入院中は傷の痛さでしばらく動くのもやっとという感じでしたが、たまたま私が移動した大部屋が偶然にも6人全員帝王切開でした。

そこで歳が近い子ともお友達になり、入院中は楽しく過ごせました。

 

しかし、旦那に傷跡を見せるのは嫌でしばらく隠してました。

傷を見た旦那の反応を見るのが怖かったので・・・。

でも旦那は理解してくれると信じ、傷を見せました。

旦那は「妊娠線の方がすごいな」といって笑ってくれました。

傷を作ったことで悩んだときもありましたが、今は、かわいいわが子を見てるとこの傷は大事な宝物だなって思えるようになりました。

いろんな人への出産も、自信をもって「帝王切開で出産しました!」と言えるようになりました。



あいあいベビーさん

お住まい  東京
帝王切開の回数  3回
出産地  埼玉、東京
出産年齢  20代
子の生年月  -
産院(総合・個人)  総合

1人目

41週のその日破水。一日待ったが陣痛が来ず陣痛促進剤を使う。

陣痛は進んでいたがベビーの心音が下がり緊急帝王切開。

何がなんだかわからないまま出産。麻酔で足がまったく動かず苦痛の中一晩・・・トラウマになりました。

 

2人目

38週で予定帝王切開。麻酔前に悌毛、浣腸、尿管。麻酔は麻酔科ではなく主治医が腰椎麻酔。

手術中でも足の親指が動き幸せになった。

麻酔の効きもよく、手術終了と共に麻酔が切れた。臓器を整えてくれたときだけ吐き気がした。

手術終了後から意識がしっかりベラベラ話す事も笑うことも出来た。子宮収縮だけが痛い。

次の日からもガンガン歩き尿管が二日目までだったが無理を言い取ってもらう。

麻酔を注射した腰が痛くなったので温シップを張るとかなり楽になった。

この出産はかなり安産?だった。

 

3人目

37週2日一週間前から切迫早産で入院しいよいよ明日予定帝王切開という前日、陣痛発生。緊急帝王切開に。

今回は腰椎&硬膜外麻酔に。

太りすぎて背中の肉が厚くなり硬膜外麻酔に麻酔科の先生がテコズル・・・。

硬膜外麻酔がかなり痛かった!

 

出産後家族の問いかけに話そうとしているが力が出ずもうろうとしていた。

血栓予防のポンプを次の日の朝まで・・・音がうるさい&思うように動けずイライラ。

次の日の朝には歩いたが二日目硬膜外麻酔のカテーテルを抜くと副作用で頭が痛くなった。

水分を沢山飲んで尿として出すしかないということでガンガン飲む。

足が重く血栓が気になったので自分で持参した血栓予防のタイツ(サポーター)を履く。

前回同様、麻酔の刺した腰が痛くなったので温シップ。動きがよくなります。



ばっきーさん

お住まい  愛知県名古屋市
帝王切開の回数  1回
出産地  愛知県名古屋市
出産年齢  30代
子の生年月  2004.4
産院(総合・個人)  総合

初めての妊娠、つわりがひどくて8キロ痩せた以外は、子供の成長も私の健康状態も良好でした。

ただ、後期に入っても治らない逆子、右を向いて寝たり左を向いて寝たり、言われたとうりにしましたが、そのたびに右向いたり左向いたりのわが子・・・

 

35週の頃に、先生に「もう無理に治そうとしないほうがいいよ」といわれ、帝王切開について必死で情報を集めるようになりました。

もともと心臓に持病があったため、循環器でかかっていた総合病院にその頃転院し、循環器の先生と産婦人科の先生との相談の上、自然分娩に臨む予定でいたのですが、「あとは逆子が問題だな」という状態でした。

 

ほとんど帝王切開のつもりになってきた36週のとき、突然ぐにょーんと腹が動いて・・

気持ち悪くなって吐きましたが、逆子は治りました。

が、そのせいなのか、お腹が頻繁に張るようになり、心配になり病院に行くと、切迫早産と診断され即入院となりました。

 

その時一緒に胎児発育遅滞も見つかりました。

多分33週のあたりからほとんど大きくなっていない、とのこと。

でも、逆子の推定体重は誤差が大きいらしく、どの頃から大きくなっていないのか特定しづらいらしいのですが、いま小さいことはほぼ間違いないでしょう、といわれました。

 

その時の推定体重は2030グラム

「まだ小さいから安静にしてもう少しお腹で大きくしよう。子宮の状態が悪くなって大きくなれなくなっているかもしれないから、様子をみながら」ということで入院生活となりました。

 

その後は、ひたすら入院生活で安静にしていたものの、頻繁に来る張りは続き、38週になるころに、赤ちゃんは元気だが推定体重が増えない、ということで、促進剤で陣痛をつけて生むことになりました。

小さい赤ちゃんは陣痛に弱いらしく、途中で帝王切開に切り替わる可能性が高いことも説明されました。

このとき、この子は以前逆子でいてくれて私に帝王切開について教えてくれたんだって、とても感謝しました。

まったく動揺はなかったです。

 

そして、38週2日目、朝9時から促進剤の点滴が始まりました。

12時くらいから3分から5分に一度の張りが来るようになりましたが、そんなに痛いと感じないな、まだまだなんだな、という状態が続いて午後2時過ぎ、担当の助産師さんが陣痛室にすっとんで入ってきました。

 

顔に笑いはなく、とにかく酸素を大きく吸って!と私に酸素マスクをつけました。

NSTは無線でナースステーションで飛ばしていたので赤ちゃんの心拍がどのくらいになったのかはわかりませんでしたが、その緊迫した雰囲気に、隣にいた旦那も私も、こりゃただごとじゃないなと無言で冷や汗でした。

すぐ何人かの助産師さんも入ってきて点滴をとりかえたり、私の体制を横向きに変えたりばたばたとし始め、すぐ担当のドクターも入ってきました。

 

心音が落ちているので帝王切開しましょう、とのこと。

私も旦那もすぐ了解して、そのあとは、麻酔科の先生の説明、放射線科の胸部レントゲン(移動式)、

剃毛、着替え、靴下(血栓防止)、抗生物質のテスト(二種類、皮下注射にて)手術の流れ、術後の簡単な説明、などが右に左にいろんな人がきていろいろ同時進行でした。

 

落ち着いているつもりでしたが、署名を書くときに旧姓で書きそうになってたり、かたかた手が震えていました。

ただただお腹の赤ちゃんが心配でした。

腰椎麻酔で手術開始、4時過ぎに元気な産声を聞きました。

 

しばらく小児科の先生の診察を受けたあと、私の横に持ってきてくれて、顔を見せてくれました。

でも、視力0.08の私・・・うーん残念、よく見えない。

でも、ばたばた動いてる、ちっさいけど元気そうだ。

予定では、赤ちゃんの顔を見て、あと寝たかったら寝させてくれると言っていたので麻酔科の先生に「寝たいです」というと、「はい、いま薬たしてますからね」

点滴で血管確保していたので、そこから鎮静剤をいれてくれるらしい。ほー

これで安心して寝て手術が終わるのね・・と思っていたら、眠れない・・・

なぜ?と麻酔科先生を見ると、目があって驚いてる(様に見えた)「また薬たしますねー」

 

しばらく耐える、でも眠れない「あのー寝たいんですけど」とすぐ横にいた看護師さんに言うと「えっ」とまた驚いてる・・・なぜーっ?

「はい、もう眠れますからねー」「寝たいんですけどー(涙)」を4回は繰り返した気がする・・

結局オペ室の外に出るまでしっかり記憶があり、待機していた旦那や親に目を合わせて にやっとすることまでできた、でも本当に気持ち悪くてつらかった。

 

そのことを誰に話しても、私が酒に強いからだといわれています。

次回オペするときは、飲めるほうだと麻酔のドクターに言わなければ。

術後は、きっと、普通につらかったと思います。

ただ、無事に娘が生まれて元気でいてくれたので、そのことがただ嬉しくて、以前の不安な入院生活と比べると、体はつらいが心は軽い!という感じでした。



あづりんさん

お住まい  福岡県
帝王切開の回数  1回(2人目はVBAC)
出産地  東京都
出産年齢  30代
子の生年月  2002.12
産院(総合・個人)  個人

7ヶ月の時に逆子と診断され、子宮を柔らかく薬を飲み逆子体操と寝る向きを指導されていました。

治ったかどうかの確認の為、週に一度病院へ検診にいっていました。

しかし、一向に戻る気配がないまま、先生に外回転術を紹介されました。

34週の時に外回転術を受け無事逆子も治り、順調でした。

 

予定日の12日前の検診のときいつもは20分位のNSTがなぜか1時間位かかり、後で診察を受けた所赤ちゃんの心音が下がるときが一度あったので、何があるかわからないからすぐ入院してほしいとの事でした。

それから翌日の午前中までほぼ24時間NSTつけっぱなしで、心音低下は検診のときの一度しか見られませんでした。

 

しかし、一度とはいえ心音が下がったことは何か問題があるということで早く外に出してあげたほうがいいのではないかということで誘発剤を使う事に。

その日の午後、子宮を開く為の海草らしきものを入れて翌日から促進剤を使用する予定でした。

 

が、翌日の朝、院長先生の診察のとき海草を抜き、このまま陣痛室いこうか。

なんて言われて訳もわからず陣痛室へ。

まだ全然普通だったしなんで??なんて思いながら荷物をまとめて移動。

移動して1時間位休んでいたらなんだかお腹が痛くて、あれれれれ?なんて思ってたら陣痛が来たんですよ。促進剤使わずに。

 

よかったーーなんて思ってたら、陣痛が来るたびに心音低下。

このまま止まっちゃうのって位ゆっくりになって不安に。

なんどか先生が子宮の開きをチェックしに来てくれたんですけどまだかかりそうだから、無痛分娩の時の麻酔をすると開きが少し早くなるという説明を受け、麻酔をする事に。

 

分娩台へ移動。

そのときはもう歩くのが辛いってくらい陣痛が来てたんですけどね。

3人がかりで体を抑えられたので、ものすごく痛いのかと思ってどきどきでしたが陣痛のほうが痛くて全然わかりませんでした。

麻酔が効いてきたらNSTをつけていないといつ陣痛が来ているのかわからないくらい楽になって、なんだか余裕が出てきて看護婦さんとお話とかしちゃってました。

 

心音をチェックしながらなんどか子宮の開きをチェックしていたのですがやはりまだ全然開いていなくて、心音もかなり途切れてきてこのままだと危ないので帝王切開しようと言われました。

 

私としては早く出してあげたかったので承諾し、至急主人に来てもらいサインしてもらいました。

分娩台がじょじょに手術台へと変わっていきました。

全裸になり、体を十字に止められて、周りはドラマでしか見た事のない手術室が現実になってきて緊張しまくりでした。

 

手術が始まりました。

気持ち悪いけど我慢してね、って言われて麻酔効いてるのに・・なんて思ってたら、痛いって感覚はないけどいじられてるっていうのがわかるんですよね。

本当に気持ち悪かった。

 

しばらくして無事男の子を出産。

子供の処置が最優先だったためほんの一瞬しか見る事が出来ませんでした。

でも、涙があふれてきました。

泣き声も聞きホッとしていると、私の処置って結構時間かかるんですね。

 

もともと血とかグロテスクなものって苦手で今の自分の状態を想像したら気分が悪くなり、ずっと看護婦さんの手を握らせてもらっていたのですが、ときどき気を失いそうになり、名前を呼ばれて我に返るって感じがなんどか続いていました。

そうしたらだんだん胃の辺りが痛くなってきて看護婦さんに言ったらそのあとの記憶はありませんでした。

 

目が覚めたときは手術が終わりストレッチャーに移される所でした。

気を失ったのかと思っていたら麻酔を使ったそうです。

そのとき再度、赤ちゃんを見せてくれました。

ほんの数十秒ですが・・・。

あとから聞いた話では頭の後ろに臍の尾が挟まっていたようです。

もし自然分娩をしていたら、へその緒が先に出てきていたのでもっと危険だったそうです。

 

部屋に戻り、看護婦さんが痛みが我慢できなくなったら呼んでねって言っていたので、数時間後に我慢できずに呼んだら6時間以上たってないと痛み止め使えないといわれ結局我慢。

ずっと時計と睨めっこで6時間たった瞬間に痛み止めをしてもらいました。

 

息子は保育器の中で、主人も抱く事が出来ず、見るだけ。

私は動くことができないのでなかなか会えませんでした。

夜、看護婦さんがデジカメ持ってるなら撮ってきて上げると言われたので写してもらい、デジカメのモニターでじっくり見る事が出来ました。

2日目に歩き始め、(そのときが一番辛かった・・・。)6日間点滴生活。

3日目には保育器から出る事が出来授乳。

感動しました。

何日後かにガーゼからフィルムみたいなものに替えられて、7日目に布テープを4枚横に貼ってました。

そのころにはすっかり動き回れました。

10日後母子共に順調で無事退院。

 

もとはといえば逆子での帝王切開を恐れ、外回転術を受けた事で、息子の命を危険な目にあわせてしまったと思うと、申し訳なくて後悔してます。

逆子のままでも、自然分娩できたかも、だめでも帝王切開で息子に負担なく出産していたかも。

 

今は息子に感謝しています。

検診のたった20分のNSTの時に苦しいよってアピールしてくれたことで何事も早めに対処できたことです。

めいっぱいかわいがっていきたいと思います。

気が早いですが早くも2人目が欲しくてたまりません。

でも、体に負担にならないよう気をつけて2歳差か3歳差くらいで頑張りたいと思います。

次は自然分娩も体験してみたいなと思いますが、子供の命が最優先なのでそのときまでいろいろ勉強しておきます。