- 前置胎盤1 -

帝王切開の理由別体験談


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ちゃるりんさん

お住まい  鳥取県米子市
帝王切開の回数

 1回

 (1人目は経膣分娩)

出産地  鳥取県米子市
出産年齢  30代
子の生年月  2004.11
産院(総合・個人)  総合

妊娠初期からお腹の張りがあり、疲れると腹痛になるので張り止めを飲んでいました.

安定期に入る頃,子宮口を塞いでいる「全前置胎盤」と診断され、様子を見ることに。出血があったらすぐ受診する様に主治医に言われていました.

 

29週で初めて出血.受診した時にはすでに出血が止まっていたので,帰宅する事になりましたが,仕事は辞めて自宅安静と言われました.

31週,2回目の出血.夜中にトイレで出血し,慌てて主人を起こして受診.

この時も,受診した時には出血が止まっていましたがそのまま入院となりました.

トイレ付きの個室に入りましたが,ポータブルトイレ使用のベット上安静に。

ウテメリンの持続点滴が始まり,入院した翌朝、いつ帝王切開になってもいい様に心電図と,レントゲンと,止血時間の検査(耳に針を刺して出血させ,

どのくらいで止血するかを見るもの)をしました.

32週,3回目の出血.

早朝、何かが流れ出る感触で目が覚め,トイレに座るとさらに出血。

トイレが血の海状態に.

ガーゼを膣に挿入して圧迫止血を試みて、NSTを装着.

ウテメリンの流量を上げて様子を見ることになりました.

出血が続いたら手術になるため,朝食は絶飲食に。

幸い,出血は止まり,子供の心音もしっかりしている為,手術はしない事に.

そして、32週から1週間に1回、200mlずつを3回計600mlの輸血用自己血を採り,手術に備えていきました.

33週でも少量出血

その時は大事に至らなかったのですが,35週と4日目にまた出血してしまいました.

その日も早朝,出血と同時に覚醒。

ガーゼを挿入して圧迫止血をし,NSTを装着。

朝食は絶飲食で様子を見ることに.

主治医には「超音波で赤ちゃんを見て2000gあるようなら,小児科と麻酔科の先生と相談して手術に踏み切る」と言われ主治医自ら私の自宅に電話をして下さり,主人が呼ばれました.

そして,推定体重が2200gある事と,これ以上お腹においていたら,母体が持たないという事で午後からの手術が決まりました.

 

導尿管を入れ、抗生物質のパッチテスト,筋肉注射,着替え,剃毛,止血時間の検査など次々と処置が行われていきました.

その間に,麻酔科医の説明,OP室の看護師さんの説明、主治医からの説明などがあり、同意書にサインをして,主人とTVを見ながら,時間が来るのを待っていました.

午後1時過ぎ、ストレッチャーに乗り,いよいよ手術室へ。

一気に恐怖感が増大してきました.

手術室に入り,どんどん処置が進んで行き,思っていたよりも麻酔の注射も痛くなく「かなり痛いコトしたんだけど」と言われたのも分からなかったほど麻酔が良く効いていた様でグイグイ押されるような感じがしてあっという間に赤ちゃんが取り出されました.

その間はずっと恐怖感が強く,手術室の看護師さんが泣いている私の涙を拭いて鼻をかんでくれ、手も握っていてくれ、麻酔科の先生にも「頑張って、もうすぐ赤ちゃん出てくるからね」と励ましてもらいました。

助産師さんに赤ちゃんを見せてもらった時には張り詰めていた糸が切れたように涙が止まらず,とても嬉しかったです.

胎盤は子宮口を塞いでいたものの,背中側に付いていた為に開腹したらすぐに赤ちゃんを取り出せた様で主治医に「出血も少なくてすんだよ」と言われ

ほっとしました。

麻酔科医に「麻酔を足したから,目をつぶったら眠れるよ」と言われ、閉腹する頃には疲れて何時の間にか眠ってしまっていました.

 

病室に帰ってきてからは,胸に圧迫感があって息苦しく、ベッドを少し上げてもらい枕を取ってもらいました.

仰向けで寝ているのが辛く、身体の下に枕を入れてもらったりもしましたが,身の置き所が無くて意識は朦朧としているし,何かを聞かれても話すのも辛くて、「手術ってこんなにしんどいんだ」とずっと思っていました.

午後2時半ぐらいに病室に帰ってきて,意識もはっきりして少し楽になったなあと感じたのは夜中でした.

自己血も手術室では200mlだけ輸血したとのコトで残りの400mlは病室で点滴しました.

子宮収縮剤の点滴が入るとお腹の痛みが強くなるし,痛み止めもすぐには効かないので,痛くなってきたなあと思ったら迷わず痛み止めを使ってもらいました.

硬膜外麻酔の痛み止めと,坐薬を使ってもらったので思っていたよりも楽に乗り切れました.

 

次の日から,少しずつ身体を動かして3日目に導尿の管をはずしてもらってからは日を追うごとに痛みも和らいできて身体も楽になってきましたが、10日目の朝,

座っていられないほど腰がだるく感じ、内診してもらった所「子宮口が開いてない時に手術したので、悪露が子宮に溜まっている」と言われて,子宮口を広げる処置をしてもらいました.

 

子供は手術室で、助産師さんと、立ち会って下さった小児科の先生に、全身状態をチェックしてもらってすぐに保育器に入り,小児科入院となりました.

(2240gで産まれた事と,私に妊娠性糖尿病という合併症があった為です)

術後2日目からおっぱいの手入れを始め,昼間だけ3時間毎に搾乳して小児科に届けてもらい,車椅子に乗って面会にも行きました.

子供の経過は順調で,1週間で産婦人科に上がって来ました。

それからは母子別室だった為、新生児室まで授乳に通いました.

そして,術後14日目に子供と一緒に退院する事が出来ました.

 

全前置胎盤だった為,帝王切開でしか出産できないという選択の余地無しだったにもかかわらず,胎盤が上がるという奇跡を夢見て,最後まで心の葛藤が続きました.

帝王切開が嫌なのではなく,手術するということが怖くて仕方なかったのです。

結局,覚悟を決めたのは手術が決まった時でした.

経膣分娩と,今回の手術と両方を経験しましたが、命を産み出すという事は,

どちらも痛みを伴う事であり,そのプロセスが違うだけだと感じています.

何よりも,大出血になったら母子共に危ないという危機を救っていただいた事に,誰かにこんなに感謝した事がないくらい有り難く思っています.

 

最後に、主治医には,もし3人目を出産する事があれば,一人目が経膣だった事と,

帝切の理由が前置胎盤だった事から、VBAKは可能と言われています. 



omiさん

お住まい  神奈川県横浜市
帝王切開の回数  1回
出産地  神奈川県横浜市
出産年齢  40代
子の生年月  2002.8
産院(総合・個人)  総合

5ヶ月に入った時の真夜中、ふと気が付くと大量の出血。

寝ている主人を起こして、あわててかかりつけの病院に行くと、そこで初めて「前置胎盤」との診断でした。

幸いにもしばらくして出血も少なくなり、でもそのまま2週間の入院。

「子宮口を縛れば、少しは出血しにくくなりますよ」のひと言で、その手術も受けました。

ただ個人病院だったため、何かあった時には対応できないとのことで総合病院へ移る方が良いとのお話で、紹介状を書いてもらいました。

 

家に帰ってからも毎日張り止めの薬を飲みながら、とにかく安静の日々。

6ヶ月の半ば頃、丁度主人が長期の出張に行くこともあって実家に戻りました。

そのまま何事もなく過ごせた2ヶ月あまり。

なんとなく「このまま行けるんじゃないか」と思っていた矢先、8ヶ月の終わりになって管理入院を言い渡されました。

結局、何ヶ月経ってもいっこうに胎盤の位置は変わらず、入院した時点で帝王切開確定。

 

9ヶ月の終わりのある日、やはり突然出血が始まりました。

それまでは内服薬だけで頑張ってきたものの、ついに24時間の点滴スタート。

翌日には主人が呼ばれ、このままもったとして37週半ばの手術日が決定し、同意書にサインしました。

しばらく出血が治まっていても、また数日後には出血。

点滴の量や強さがどんどん上がって、最初の出血から2週間後、いつもと違うお腹の張りを感じました。

それまでも10分おき、5分おきの張りを感じることはあっても、張るだけで痛みは全く感じなかったのに、その日は妙に腰も重くお腹も痛いような・・・。

それでも夜中ということもあって「様子を見ましょう」で、一晩中悶々としてました。

 

翌朝、気が付くとお腹の子が動かない!!

いつもはお腹の中であっちこっち移動しては、心音を取りに来る看護婦さんを翻弄してたのに。

看護婦さんに訴えてモニターをつけてもらったら、案の定、赤ちゃんの心拍が時々下がって普通じゃない!

「もしかしたら、へその緒が巻き付いてるかもね」と看護婦さん。

その日の朝に緊急手術が決まり、あれよあれよという間に準備が整いました。

手術前、点滴を抜いたところ途端に大出血。

移動するストレッチゃーに乗るのに身体をちょっと動かしただけでも、自分の身体からどくどくと血が流れ出すのがわかりました。

幸いにも輸血にまで至る量ではなかったようです。

 

いざ赤ちゃんを取り上げて、担当の先生が「こりゃあズケーやぁ!」とひと言。

なんと、病院始まって以来のへその緒5重巻き。

心拍も下がっていたらしく、なかなか泣かない赤ちゃん。

大丈夫なの??

小児科の先生も呼ばれ数分、なんとか無事に産声が聞こえました。

即座にNICUに運ばれましたが、週数もギリギリ早産ではあったものの36週と6日だ

ったので自発呼吸もでき、少し血糖値が低いのと黄疸治療をしただけで問題なし。

赤ちゃんの生命力ってすごい!

2025gと小さかったため、おっぱいをあげに行っても直接吸う力は弱くまだまだですが、やっと先日NICUから新生児室に移されました。

あとは体重が2500gを超えれば退院できるとのこと。

 

帝王切開で良かった。

前置胎盤じゃなかったら、自然分娩だったら・・・もしかしたら助からなかったのかもしれない。

娘が大きくなったら話してあげるつもりです。

「帝王切開だったから無事に生まれたのよ」って。

 

頑張ったのは私じゃなく、赤ちゃんの方。

生まれて来てくれてありがとう!



とむさん

お住まい  埼玉県所沢市
帝王切開の回数

 1回

 (3回目までは経膣)

出産地  埼玉県
出産年齢  30代
子の生年月

 1997.4

 1998.6

 2000.8

 2001.12

産院(総合・個人)  総合

7ヶ月に入った検診で胎盤の位置が低いようだから、次回詳細の超音波検査をしましょう、と言われたのが大出血する10日前のことです。

 

私 「もしかして前置胎盤ですか?」

医 「子宮の入り口のへりにかかっている状態です。胎児が成長するにしたがって、だんだんと胎盤もあがってくることが多いので、今のところは様子を

   見ましょう」

私 「生活する上で注意する点はありますか?」

医 「なるべく安静にしていてください。無理をすると出血しますよ。」

 

通勤にラッシュの中を往復3時間かけていること。

家に帰れば4才、3才、1才の子供たちがいること。

これらのことから、私にとっての「ふだんの生活」はかなりハードです。

何度か看護婦さんにこのような毎日のことはお話してあったので、本当に安静が必要であれば、休職するように言われるだろうと思いました。

ゆえに「安静に」=普通に生活をしていてOK、無茶をしなければ、と解釈したのです。

先に書いたように、今から思えば、普段の生活がすでに超ハードで、十分無理をしていたのですが、毎日のことだったので、感覚がマヒしてたんですね。

辺縁前置胎盤は、週数が進むにつれて胎盤の位置が正常に近づくことが実際に多いらしく、医師もそれほどの危険を感じなかったのかもしれないなぁ、とも思います。

こんな感じの会話をして、3週間後に超音波検査の予約をして帰りました。

その10日後、まさかあんなことになるとは想像もしなかった。

 

28週に入ったその日、会社は休みでした。

夕食の支度をし、一段落ついた夜の7時。

大人は私ひとりだけでした。

4時ぐらいからずっとおなかが軽く張っていることにふと気づきました。

妊娠は初めてではないので、経験からわかりますが、張りの程度としてはたいしたことはありませんでした。

ただ、ずっと張ったままなので、少し横になった方がいいと思い、ソファーを見たところ、まぁ、部屋がちらかってること。

片付けて掃除機をかけてから休もうと思ったのが、大間違いの始まり。

考えてみれば、あの張りの長さは普通じゃなかった。

そして、掃除機をかけるために腰に力を入れた瞬間。

「サーッ」

あ、おしっこがちょっと漏れちゃったかな。妊娠中だしな。

ところが、またすぐに「サーッ」

「おしっこじゃない...」

頭が妙に働いて、携帯と着替えとナプキンをひっつかんで、風呂場へ駆け込みました。

 

「胎盤の位置が低い」

「前置胎盤=大出血したら一刻を争う危険」

エトセトラ、頭の中をぐるぐる回りました。違ってくれよ、出血じゃなくってくれよ、

自分に限ってそんなことないよな、唱えるように口に出して言いながら、下着をおろすと、案の定というか、目に焼きついた赤。

それも、鮮血の色。

しかもこんどは、「ぼとぼとっ」と風呂場の床に血が落ちる。

完全に出血してる。出血し続けている。止まらない。

出血多量で死ぬ、のか?

赤ん坊はもう駄目なのか?

 

その後は、もう身体をまったく動かせなくなりました。

ほんのわずかでも身体を動かすと、血があふれる状態。

全身の振るえがなんとしても止まらなくなり、のどがからっからに。

ものすごい速さでうつ心拍数が、よけいに振るえと喉の渇きをひどくしてしまい。

救急車を呼び、その日のうちに設備の整った病院で手術を受けました。

約4リットルの出血。

自己血貯血などあろうはずもなく、輸血。

胎児を取り出したあとも、まったく出血が止まらず子宮全摘。

7ヶ月の赤ん坊はNICUへ。

 

半年経った今、小さかった息子もようやく退院し、私も健康を取り戻しつつありますが出産直後から3ヶ月ぐらい、精神的にも肉体的にもどうにも立ち直れませんでした。

「リスクのない分娩」については一ヵ月後に摘出した子宮の病理検査結果が出て、否定されました。

胎盤が子宮に癒着していて、仮に37週以降まで持って経膣分娩していたとしても出産時に大出血していただろうとのことでした。

むしろ経膣分娩後に手術となると、そちらのほうが難しいとのこと。

また、異常なまでに子宮壁が薄かったこと。

それを聞いて少し、事実を受け入れられた気がしました。

無理をしたからこうなった、というよりも、はじめからそういう妊娠だったのだ、

この子はそういう運命だったのだ、仕方なかったのだと。

 

後から調べて知ったのですが、前置胎盤は、立て続けに出産していたり、多産の人に多いそうです。

まさに自分がそうでした。

 

つくづく思います。

昔の女性はこうして出産で命を落としていったんだ..

私も生きる時代が違えば、間違いなく、この出産で死んでいた、と。

今こうして、親子で元気に生きていて、今の時代に生まれたことと現代医学に深く感謝せざるを得ません。

 

前置胎盤と言われた方、その程度には「全」前置胎盤から「部分」前置胎盤、

「辺縁」前置胎盤と差はあります。が危険度は皆、同じと考えて、絶対に無理はなさらぬよう。

無理をしてもしなくても、結局はその妊娠の仕方でどういう出産になるか決まってしまうのかもしれません。

ですが、無理をしていると、万が一早産やその他の不幸な事態になったときに間違いなく自分を責めます。

 

事実だけでもつらいのに、その上、自責の念が加わるともっと苦しいものとなります。

自分を責めることになる要素はなるべくなくした方がいいと思います。

また、絶対安静になって入院していらっしゃる方へ。

私のように、子供に障害が残るかもしれず、子宮も失い親子で輸血を受けたりすることを考えれば(息子も貧血の為、輸血を受けました)、出産までのあと何ヶ月か、少しは頑張れるかと思います。

 

つらいでしょうが、一生のことを考えれば、あともうちょっとです。



mayu&makoさん

お住まい  関西
帝王切開の回数  1回
出産地  関西
出産年齢  30代
子の生年月  2001.8
産院(総合・個人)  総合

2000年12月に不正出血があり大学病院を受診しましたが

2001年1月に検査結果を聞きにいくと妊娠していることがわかりました。

1月17日に少量出血があり切迫流産の可能性で自宅にて安静にしていました。

職場の方の勧めから「近くの病院のほうがいいのでは」ということで近くの個人病院に通院していましたが、4ヶ月の4月18日に中程度の出血があり「前置胎盤」の診断を受けました。

12日間入院していました。

 

私は血管が細く針を刺すと縮んでしまうようで点滴をしていましたが静脈炎を起こし服用の薬に変更していただきました。

それから経過観察をしていましたが症状が改善しないのと、輸血が必要な場合に備えて「自己血」貯血のため、再度以前の大学病院に紹介となりました。

そこでは1週間に1回1~2泊の入院をして300ml×3 計900mlの貯血の計画となりました。

1回目の貯血の次の日曜日の早朝に中程度の予告出血があり救急で入院となりました。

その場の診察では「1週間から10日以内に大出血を起こすかもしれない」ということでした。

入院中に2回の貯血を行いましたが多くの検査で血管を使っているため血管が詰まったりしてなかなか血液がとりにくかったです。

 

入院してから11日目の朝に結構多い出血があり緊急帝王切開となりました。

皆さん準備の「剃毛」とか書かれていますが緊急ということでトイレに行きたかったのですがそれも行けず、「20分後に手術します」ということで大勢のスタッフの方が来られて、「剃毛」や「同意書(手術、麻酔、輸血の3種)」があわただしく行われました。

手術は子宮頚管に胎盤が入り込んでいたそうで結構多く(2650ml)自己血は半分手術中に使い、時間も3時間ぐらいかかったようです。

貧血になったため残りの自己血は術後病室で輸血となりました。

特殊な薬を使い、普通の病院だったら子宮全摘だったかもしれないそうです。

筋腫が4個あったため出産後の子宮収縮が悪く腹痛がひどかったです。

3日間は起き上がれず4日目に電動ベッドをあげてみました。

あかちゃんは最初呼吸障害のため保育器に入っていました。

黄疸があったため光線療法を受けていましたが、いっしょに退院しました。

 

帝王切開については職場の方から「診断書で休めるからいい」とか「楽でいい」とか「こどもは小さく生んで大きく育ったらいい」ということを言われて現実は母子ともに危険なことがあることをもっと知っていただきたいと思います。

NICUにいる赤ちゃんは未熟児網膜症やいろんなリスクもあるし、お母さんも赤ちゃんに母乳をパックにして届けたり 面会で症状を聞いたり本当に大変だし心配だと思います。

詳しいことはHPに書いています。(すごく愚痴が多いですがお許しを)http://www.kcc.zaq.ne.jp/dfayu807/index.htm



なつきさん

お住まい  兵庫県
帝王切開の回数  1回
出産地  大阪府
出産年齢  20代
子の生年月  1999.10
産院(総合・個人)  総合

妊娠発覚後にすぐ出血し個人病院に入院しました。

出血量がとても多く(一番多い時で3日で洗面器一杯くらい)、何度ももうダメだろうと言われました。

エコーで胎盤の素となるものが子宮口を覆っていることがわかりいずれ前置胎盤になるだろうということで、総合病院に転院しました。

 

妊娠6ヶ月の時に前置胎盤と診断され安静の日々。

お腹の張りがものすごく張り止めをずっと服用していました。

 

30週に入った日に出血し再び入院。

出血は増えるばかりで陣痛の間隔も5分おきになりましたがなんとか10日もたせました。

 

31週3日で強い陣痛を抑えることができなくなりNICUのある病院に母子搬送され、31週4日で破水。

即、帝王切開となりました。

しかしこの2日間で出血は全くナシ。

手術中に分かったのですが胎盤が剥がれはじめていて羊水は血の海でした。

 

麻酔は始めは半身でしたが、薬が効かなくて全身麻酔に。

産声は聞きましたが、それ以外は全く覚えていません。

心配されて輸血も子宮摘出もなく無事済みました。

 

傷は現在、幅1.5センチ。ケロイド状になっています。

友達の看護婦曰く、ちょっと先生下手かなぁ・・・

そう言えば手術はベテラン先生と若先生だったなぁ。

若先生が縫ったのね。

1702グラムで産まれた息子はまだまだチビですが元気いっぱい育っています。



いつみさん

お住まい  群馬県
帝王切開の回数

 1回

出産地  群馬県
出産年齢  20代
子の生年月  2001.4
産院(総合・個人)  総合

理由は前置胎盤。

32週の時点で管理入院をして、急な出血に備えて自己血貯血というものをしました。

週1回、3週にわけて罫900mlの自分の血を貯めておきました。

手術中に出血量が多く、輸血を必要とした時にも使うと言われましたが実際使ったのは600だったそうです。

 

37週4日で帝王切開となりました。

麻酔は、私が以前盲腸の手術をした時に麻酔で足にしびれが残ったことから、全身麻酔をすすめられました。

この病院では下半身にしろ全身にしろ、硬膜外麻酔を合わせて使用するのですが

(術後の痛み止めをいれるため)それもやめたほうがいいとのことで、全身麻酔オンリーでした。

何が一番嫌だったって、導尿ですね。

全身麻酔だから麻酔かける前に導尿するからもちろん痛いわけで。

術後の痛みよりツラかったかも(笑)

麻酔覚めたあともしばらくボーッとしてたんですが、どこからか「女の子でしたよ」と声が聞こえて一安心。

後陣痛も傷の痛みも思っていたほどひどくなく、痛み止めは使いませんでした。

 

でも翌日我が子の顔を見に行くためにNICUに行く時、車イスでの移動でしたが痛みで気持ち悪くなってしまい、一度だけ痛み止め(座薬)をいれてもらいましたが。

術後2日目に歩行開始。導尿もはずれ、午後には点滴も抜いてもらってやっと我が子を触ることができました。

次の日から母子同室で育児開始。

 

思えば痛みよりも空腹がツラかったかな。

ひたすら水飲んで耐えてました。

でももう一回帝王切開で産みたいとは思いません。

やっぱり手術は怖かったし・・・。

今はこの子で精一杯です。



ばたこさん

お住まい  長野県
帝王切開の回数

 1回

 (1回目は経膣分娩)

出産地  長野県
出産年齢  
子の生年月  2000.10
産院(総合・個人)  総合

私の帝王切開の原因は辺縁前置胎盤でした。

25週目に「胎盤が下付き、でも上がる可能性あり」と診断されましたが、結局上がらずに38週でとりあえず入院。

41週がきても全く陣痛の兆候も出血もなく、内診の結果「胎盤があと5センチ子宮口にかかっている。

自然分娩でがんばれないことはないかもしれないけど促進剤も使えないし、わざわざ陣痛を起こして大出血して帝王切開をするより、最初から帝王切開したほうが安全。

ぼくはあまりやりたくないなぁ・・・」と言われました。

 

1人目の出産でも16日遅れで促進剤なしでは陣痛がつかず、2日がかりでやっと生まれた経験から

「これはもう自然には陣痛はつかないかも」と内心思い、赤ちゃんの無事が一番だと考えていたので決心、承諾書にサインしました。

翌日、入院仲間の声援を受けながらOP室へ。

背骨から麻酔を入れられ仰向けにされて「これは痛い?」など聞かれましたが、この時すでにパニックに陥っていた私は

「先生、痛い、痛い」とあわててました。

が、「もう相当痛いことしてるぞぉ♪」なんて先生は言うし、何も感じないのでそれからは落ち着きました。

5分ほどして先生の「よいしょ!」のかけ声とともに腰が「ポンッ(゚o゚)」と浮いて軽くなり、「やっぱりよっぽど重いものかかえていたのね・・・」を実感。

これが息子の誕生の瞬間でした。

 

それからは先生たちとおしゃべりしたり、あちこちを見回したりしていました。

出血も1L以内で輸血をせずにすみました。

部屋に戻ってからはコンコンと眠り、痛くなれば痛み止めの注射や座薬をいれてくれました。

それよりつらかったのは子宮収縮剤入りの点滴(T_T)、

脂汗たらたらで懇願してやめてもらいました。

この注射針のあとも1ヶ月以上痛かった・・・。

抗生剤の点滴や腸の動きを良くする注射、鉄剤など、次々とやってくる注射の山にはちょっとまいりました。

思いがけず自然分娩と帝王切開の両方を体験しましたが、痛みの種類と産後の回復が違う以外はあとはほとんど同じだと感じました。

今回、自然分娩or帝王切開を自分で選択せねばならないことはかなり迷ったしつらかったです。

でもとにかく無事に生まれてホントよかったと思っています(^^)。



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